noteを書き続けていたら、あっという間に毒親を許せた話
自分が両親を許す日を想像してなかった。
これからもずっと、燻った気持ちなんだろうと思っていた。
でも、書き続けることで、あっさりと許せてしまった。
母を許せなかった
わたしが↓の記事を書いたとき、母のことを許せてなかった。
常時、怒ったり、憎んだりって感じではなかったけど、心のどこかで納得できなかったんだと思う。
例えばだけど。
あの時、母が「幸せでーす!いえーい!」って言ってきたら、ハァ?どこまでわたしの気持ちを踏みにじれば気が済むの?って、腹が立ちすぎて武者震いしてたと思う。
許しの道が突然開けた2ヶ月間
あれから、2ヶ月弱。
あっけなく、母を許した。というか、父も母も許した。
想像を上回る早さだった。
noteを書いていたら、自分でも想像できなかったスピードで消化されていった。実際に公開した記事はそれほど多くないけど、公開できない内容は下書きのまま保管したり、消したり。結構な量の文章を書いたと思う。
文章を書くと、芋づる式に思い出が蘇って、また文章を書く。
文章を書くために両親のことを思い出して、また書く。
手が止まって書けなかったときは、散歩に出かけながら「あのとき父と母はどんな風に思っていたんだろう?」って何度も考えた。
あぁ、あのときの母は、今のわたしと同じくらいの年齢だったんだなぁとか。そういえば、あんな出来事あったなとか。
両親をひとりの人間として見つめる
父と母の立場や視点から、ここまで深く考えたのは、生まれて初めてだったかもしれない。
なんの本だったか忘れてしまったけど
みたいなことが書いてあった気がするんだけど、あー、そうかもな。わたしは、両親のことを「親」という枠の中でしか見てなかったな。と、ふと感じた。
ひとりの人間として、真正面からまっすぐ見たことはなかったかもしれない。
でも、noteに文章を書くようになってから、父と母の心の傷も、葛藤も、苦しみも、自分なりにだけど理解して受け止めたら、憑き物が落ちたような気がする。
ふたりにも辛いことあったんだろうなぁ、って思ったら、ぎゅって抱きしめてあげたくなったのだ。
本当は許しかった
本当は、わたしは両親のことをずっと許したかったんだと思う。
でも、ふり上げた拳を、どう下せばいいのか分からなかった。一言、ごめんねって言って欲しかった。そして、本当は、ぎゅって抱きしめてもらいたかった。
noteに書き続けていたら、あぁ、もういいんだ。謝ってもらわなくても、もう許せる。抱きしめてもらえないかもしれないけど、わたしが、ぎゅってしてあげればいいのかって思った。
実際に会うことはないから、心の中でだけどね。
嫌っていた理由を理解
母はわたしのことを嫌ってはいたけど、母の生い立ちとか、父や母を取り巻く環境があまりにも酷だったから、彼女は、わたしを嫌うことで精神状態を保っていたんだろうと思う。
親としては良くないのかもしれないけど、人間だし、そんなこともあるのかもね。過去のことだし、全然いいよーって、軽い感じで許せてしまった。
母は、父のことが大好きだったから、ふたりで幸せに暮らしてくれていたらそれでいい。
来世も親子でって言われたら「え!!?まじか…またハードモードだな…。」って正直思うけど、そんなにわたしのことが好きなら、まぁ、また子どもになってあげてもいいですよ。笑
それでも毒親エピソードを書き続ける
母と父のことも許してはいるけど、これからも毒親エピソードは書いていきます。
書いてるうちに新しいことを思い出したり、新たな視点が生まれるから、自分にとって、文章を書くことはデトックスなんだと思う。
毒親って言うのにちょっと抵抗感もありつつ、でもまぁ、それくらい許してよって感じだね。
もし許せなかったらまた書きます
自分の中では許したって思ってるんだけど、実は全然許せてなくて、憎しみが爆発することがあったら、それはそれでここでまた書かせてください。
盛大な勘違いすぎて、なかなかおもしろい展開w
それでは、また。