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秋の味覚と物々交換経済、秘密のマツタケの楽園

ある日「パタタタ」と、小気味のよい音のする小さなオートバイがやってきた。近隣のばあさんだ。「ポンポンに乗るにはよい季節だ」と言って、50ccのオートバイのスタンドをガシャンと立てた。

老人たちはオートバイのことを「ポンポン」と呼ぶ。サイズの大小や排気量に関係なく、オートバイはすべてポンポンである。

「クリ拾ったから食え」と袋にいっぱいのクリをくれた。僕はありがとうとお礼を言い、お茶でも飲んでゆくかとたずねた。「こんびにへすいーつを買いにゆくのだ」パタタタと去って行った。

元気なばあさんである。

夏野菜をたくさんおすそわけした

今年はいつにも増して夏野菜が豊作だった。特にナスやシカクマメ、ゴーヤなどは毎日食べきれないほど収穫できた。加工したり、乾燥させたりして保存するとよいのだが、そういった時間も作れないほどであった。

それらは、近隣のものや友人、知人などにおすそわけされる。このあたりでシカクマメやゴーヤを栽培しているものはほとんどいないので、大変喜ばれた。ニワトリを飼育しているものには、エサとして虫食いなどで出来のよくないポップコーンなんかもおすそわけした。

僕が種から育てるナスは人気銘柄で、とても評判がよい。「ナスはまだか」と、毎日のように畑の様子を見にくるじいさんもいる。

みなそうやって、おすそわけをし合う。単純に食べきれない、無駄になるともったいないという理由だ。決して見返りを求めているわけではないが、件のポンポンのばあさんのようにお返しをくれる。

緩やかな物々交換経済である。

マツタケが豊作らしい

用事で街に出かけ、留守にしていた。帰宅すると、玄関先にマツタケがおいてあった。心あたりが多すぎて誰がくれたのかわからない。または、何かの手違いでおいていったのかもしれない。その誰かの気が変わらないうちに、とりいそぎマツタケご飯にして食べてしまった。

数日後、勝手口にマツタケがおいてあった。まるで『ごんぎつね』である。ごんは先日より多くのマツタケをくれたようだ。せっかくなので、火で炙って食べた。

そのままにしてはおけないので、ごん探しをした。ごんは近隣のじいさんであった。いつも色々もらってるからな、とのことで、僕はこちらこそありがとうとお礼を言った。

その後もさまざまな人がマツタケをくれた。今年はマツタケが豊作なのだそうだ。これほどマツタケを食べたのは初めてだ。僕はマツタケが生える場所を知らないし、買って食べることもない。マツタケとはあまり縁のない、暗く物悲しい人生なのでは、と思ってしまうほどである。

マツタケが生える場所は最高機密である

釣り人に、どこで釣っていたのかたずねても「ほら、あそこの曲がって降りた先の下のさ、がけのすぐ下の。しかし、全然だめだったな」などと、曲がったりくだったりしてばかりで詳細は教えてくれない。

彼らにはそれぞれ、魚がたくさん釣れるとっておきの場所がある。そこは来たるべきその時、ふさわしい人物にのみ伝えられる。その秘密の穴場をひとりじめしたいからではなく──それもあるけれど──環境を荒らされたくないためである。

この人は信用できるだろう、とこっそり教えたら次々と釣り人が押し寄せ、穴場でもなんでもなくなってしまった経験が一度はあるのだ。

マツタケも同じである。親子や兄弟、夫婦であっても決して教えてはいけないそうだ。口の軽いものならなおさらいけない。酒の席などで得意げにペラペラとしゃべってしまう。酔いが覚めると、そんなことはすっかり忘れているので質が悪い。

マツタケの生える場所も、来たるべきその時、ふさわしい人物にのみ伝えられるのだ。マツタケをもらっても「出どころは聞かない」が暗黙のルールである。間違っても聞き出そうなどと思ってはいけない。

秘密のマツタケの楽園

しかし、である。もしかしたら、伝えることが出来ぬまま忘れ去られた場所があるのではないか。もしくは、伝えることを忘れていた、おっちょこちょいなマツタケハンターだって何人かいたのではないか。

恐らくその場所は現在、マツタケの楽園になっているはずだ。長いあいだ人が立ち入っていないため、マツタケの菌床があたり一帯を覆い尽くしているだろう。

いつかその楽園を見つける時まで、僕は玄関先にマツタケがおかれていないかと、日々見張りつづけるのである。

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