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アセクシャルの私の恋愛観: セックスよりも一緒にケーキを食べよう

「それって、恋人じゃなくて、友達なんじゃないの?」

ふと、パートナーとの関係を話した時に言われた言葉が、頭の中でリフレインする。

「パートナーでなく、友達か…」

最近、友達と恋話をしていて、改めて自分の恋愛観やパートナー観が他人と違うことに気がついた。今日は、そんな自分の恋愛観やパートナー観について書いていけたらと思う。


はじめに: 私について

私は現在、アブロロマンティック•アセクシャル (ノンセクシャル) を自認している。自身のセクシャリティを説明するなら、性的には誰にも魅かれないけれど、気持ち的に魅かれる相手はいて、その対象となる性別が流動的であるとまとめられるだろう。大雑把に言えば、「好きになった人が好き。」ただ、それだけだ。 


愛してるからこそ体の関係は持てない

SNSやネットを覗けば、恋と友情の違いは、体の関係を求めるか否かだと説明されていたり、大切な人と体の関係を持てず、愛されていないのではと悩む人たちがいる。けれど、私にはその感覚が分からない。なぜなら、私は、他人に性的な気持ちが向かないからだ。

人は誰かを愛すると体の関係を持つもので、そうすることで愛情を確認することができる。

多くの人にとって、体の関係を持つことは当たり前かもしれない。それが、恋人と友人の線引きだと言う人もいるだろう。体の関係を持つことは、相手への愛情表現であったり、二人の間の愛情を確認する行為であるだろうから。しかしながら、私にはそれが分からない。私は誰かを好きになっても、相手と裸で交わりたいと思えない。シンプルに愛してる相手と裸で交わることが、愛情確認や愛情表現に繋がらないのだ。

—恋人にするほど大切な人に、どうして自己の欲求の処理に付き合わせるのだろう—

性行為を見下しているわけでもないし、体の関係を持つのも、お互いに同意があるのなら、愛情を確認するには素敵な行為だと思う。けれど、いざ自分が好きな人と性行為をすると思うと、自己の欲求の処理を手伝わせているような気分になる。あくまで、私の中で、性欲は食欲と同じように自分の中で完結するものだから。だから、愛してるからこそ、パートナーとは体の関係を持つことはできない。


セックスよりも一緒にケーキを食べよう

アセクシャルのコミュニティ(AVEN)には、「一緒にケーキを食べる」("sharing and eating cake") (Decker, 83) という言い回しがある。アセクシャルにとっては、セックスよりもケーキの方が魅力的だからということらしく、今では、トランプのAや黒の指輪のように、アセクシャルのシンボルとして普及し始めている。(Decker, 83-84)

「一緒にケーキを食べる」

アセクシャルの私にとって、この表現は私が求める関係をうまく表してくれている言葉だ。パートナーとは、ケーキを一緒に食べるような精神的に寄り添う時間を大切にしたい。体の関係はなくても、同じ時間を共有して、相手が笑ってくれるのなら、幸せだと思ってくれるなら、私はそれだけで幸せだし、そこに二人でいる意味があるとも思う。


パートナー・恋人とは

「でも、それって友達じゃないの?」

「恋人ならこうしなくちゃ。」

「それって、二人でいる意味あるの?」

自分の恋愛観やパートナーとの関係を話すと、時折こんな言葉が聞こえてくる。確かにその通りかもしれない。体の関係もなく、相手が恋愛感情を持ってない私たちの関係は、皆が思うスタンダードから外れているのだから。けれど、一度考えてみてほしい。

―誰かとの関係に、教科書的な一通りの答えなどあるのだろうか―

本来他人との関係は、相手に多大な迷惑をかけない限り、お互いが幸せだと思っている限り、もっと自由で、多様であるべきだ。恋愛感情がないカップルがいたって良いし、性的関係のない付き合いだってあって良いだろう。今の私たちは、あまりにも「フツウ」に囚われすぎている。


まとめ

ある人は、愛しているからこそ、人は誰かと体の関係を持つと言う。同時に私にとっては、愛してるからこそ相手との関係は持てないし、持つという発想すらない。体の関係を求める人がいる一方で、体の関係を求めない人たちもいることは、相矛盾しているようにも見える。けれど、どちらの考えも、別の考えを否定するものとはならないし、そうなって然るべきではない。人の関係というのは、人の数だけあって一通りの答えなどないのだから。


エピローグ

パートナーを思い浮かべながら、お菓子を作る。この状況下で、一緒に食べることも、対面で渡すことも出来ないけれど、相手に気持ちが伝われば十分だ。

郵便局に走って、お菓子の入った箱を引き渡した。

「来年は一緒に食べられますように。」

そう願いながら、自転車のスタンドを蹴って、家に向かって走り出す。頬を撫でる風はまだ肌寒いけれど、不思議と体は温かかった。




引用文献

Decker, Julie Sonder. The Invisible Orientation: An Introduction to Asexuality. New York, Carrel Books, 2014. 

上記の文献の日本語訳はこちらです。

アセクシャルの最大のコミュニティ:AVEN


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さねとも のあ (Noah)
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