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寄添うこと

今から四年前、母が軽度認知症から本格的に認知症になりつつある頃のことだ。台所を片付けて部屋に戻ると、薄暗い部屋で母が背中を丸めてぺちゃんと座り込んでいるのを目にした。

「電気もつけないでなにしているの…」母は仏壇の前で動かない。「お母さん…どうしたの…」と声を掛けながら近づいていき思わず母を抱きしめた。

ドラマや小説なら「寄添う」「愛」「抱きしめる」をすれば、問題は解決されるように描かれている。でも現実はそうではなかった。

「大丈夫だよ、大丈夫だからね」と言いながら母を抱きしめても、抱きしめれば抱きしめるほど、浜辺の砂が掌からすり抜けていくように、母の心はそこからいなくなってしまうようだった。
「大丈夫ってどうして?どうして大丈夫なの?」もがくようにして眉間にしわを寄せた母が言う「お母さん、なんか変なのよ!でも何が変なのかは分からない…。どうしちゃったのか分からなくて怖い…。本当に怖いの…」
抱きしめる手に力を入れながら『仏壇の前で母は祖父母に助けを求めていたのだろう』と思い切なくなった。

何も言えない、何も言ってあげられない。

本当に母の言う通りだ。母を抱きしめても「大丈夫だよ!」と言い含めても、母の困りごとの解決にはなっていないのだ。母にしてみれば疎ましいだけなのだと思う。どうしたらいいのだろう、私も途方に暮れた。

認知機能を保てるように通院して薬の服用はしていたが、当時の私は医療や公的機関に全く期待していなかった。家族だけで母を見守ってあげようと思っていた。

だが、母の不安を何度か聞くうちに、このままにしておくことは母に対して不誠実な行為ではないだろうかと、家族で話し合うようになった。母への誠実さのためだけに、地域包括支援センターに相談をしてみることにした。

先方に話を聞いてもらっているうちに、私自身が救われていくという感覚があった。私は母を支えることを全く負担に思っていなかったのだけど、母の状態やそれに対しての自分の切ない気持ちに第三者が共感してくれたことが嬉しかった。そしてこの訪問で認知症の公的支援のリハビリを受けることにつながった。

前年から母は食が細くなり随分痩せてしまっていたのだが、冷え症もひどくなっていたのでかかりつけ医に相談して「人参栄養湯」という漢方薬が処方されていた。こんな時にリハビリが始まった。これらが功を奏したのだと思うが、一年後母の体重は四キロも増えて健康的な体系になった。

ハイ(元気)とロー(だるくて寝込む)が一日ごとに繰り返され弱気になったり不安になることもあるが、根気強く手を握ったり抱きしめたり時には添い寝もして、母が物忘れの病気であること・薬や運動で治療はしていることを説明している。また、母が忘れてしまうことは私達が覚えているから安心してとも話している。母は全てを納得してないようだが、不安な時は深呼吸して落ち着く術を身に着けてくれた。

寄添うというのは、一時的な行為ではなく、一緒に試行錯誤を繰り返すことなのだと母に教えてもらっている。

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