九十七話 厄介
「この頃、間近に第二期の検閲を控えていたんだ」
「検閲ですか!」
兵長の言葉を一言も聞き逃すまいと、すでに身を乗り出して聞いていた浅井は即座に反応する。
「そうだ。七月十日に予定されていた。それもあって、各中隊は盧溝橋付近の河原で、最後の追い込みをかけていた。二期から新兵だけでなく、古兵も加わり、中隊教練が編成される。さっきも言ったように、ちょうどこの年は、歩兵操典が改正され、幹部も学んで教える必要があったので、特に熱が入っていた。毎日暑い中、盧溝橋付近の永定河の砂利河原まで、八キロ往復して、昼夜関係なく演習をしたよ。北支の気候に慣れて来た頃とはいえ、高粱の丈は伸び、熱風で草いきれが酷く、日射病で倒れる者も出たな」
「なるほど、そうでしたか!自分は、第一期をやる前に、今こうして戦線に向かってます。兵長は第一期の検閲にどういう心持ちで臨まれましたか」
「初年兵第一期か。いや、もう心持ちも何もない。ただ他の新兵に遅れを取らないようにするだけだ。検閲は五月下旬にあり、楊柳の芽が吹いていたが、花鳥風月を愛でる暇など一切ない。当日は、黄砂や砂埃が一面に舞い、さらなが世紀末の様相だった」
「無事終わったのでありますか?!」
「一応な。そういえば、夜間演習の検閲終了後、牟田口連隊長から訓示があったのを覚えている。『諸子は、選ばれて我が栄えある駐屯軍に入隊し、今一期の教育を終えた。以後、古兵に伍して戦場に立ち、祖国防衛の一線でお役に立てることを男子の本懐と心得よ』と言われ、その上で『ここが戦場となってもいいよう、一木、一草、地形、地物ともによく覚え、暗夜でもあっても方向を誤らぬようにせよ』と叱咤激励されたな。あれは印象に残っている」
「深いですね。心に残ります。しかし、実際戦闘になりそうな気配はあったのでしょうか」
「それはあった。宛平(盧溝橋)県城内には、第二十九軍の馮治安師長率いる第三十七師一個営がいた。この部隊は、最も抗日意識が強いといわれ、嫌がらせの名人だった。我々が、県城近くにさしかかると、城壁の上に機関銃を据えて威嚇してきたり、青龍刀を抜いて気勢を上げたりする。永河定の射撃場へ行く際、以前は県城内を通って往復していたが、それが出来なくなった。古兵の話では、あるとき城門で歩哨に止められ、頑として通さないので理由を訊くと『日本軍は靴に鋲を打っているから城内の道を傷つける』と言ったそうだ。とんだ言いがかりだが、以来余計な紛争をさけるため、城外を遠回りするようになったと言っていた」
「そんな厄介がいましたか!」
「ああ。宋哲元師長率いる二十九軍は、華北に三個師団、約八万の兵を持ち、装備もいい。満州事変でも日本軍に抗戦してきたが、関東軍に太刀打ちできず察哈尓方面に退避していた。その後、中華民国首脳部の政治的考慮で、日本側に接触。昭和十年から日本軍の了承のもと京津地区に進出していた」
「国民党はともかく軍隊が厄介だったんですね」
「まあな。翌年九月一八日は豊台事件が起きている」
「豊台事件?!」
浅井にとって初見の言葉だった。