コレはなんやの昔話
昔話って、漠然と何かしらの教訓を持ったお話だと言う印象をお持ちではないでしょうか。
うさぎと亀であれば、コツコツ努力することの大切さ、アリとキリギリスであれば、まじめに働く事の重要性が教訓と言えるでしょう。
こんな感じで昔話は、語り継がれているという事もあって、教養や学びといった、為になる部分があるお話なんだと、少なくとも僕は漠然と思ってるんですよ。
それが、語り継がれる中で足されたものなのか、元からそういう物語として作られたものなのかはわかりません。でも今そのお話を聞く我々にとっては、何か教訓になるセンテンスが入ったお話なんだと思ってるんですよね。
でもそんなことを思いながら読んでいくと、たまに「コレはなんや」って思ってしまう、昔話ってのもあるんですよ。
最近思うのが。
はなさかじいさん
昔、昔あるところにやさしいおじいさんが住んでいました。
おじいさんはポチと言う犬を飼っていました。
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
はなさかじいさんです。
灰を巻いて花を咲かせるシーンが有名ですけど、この話も「コレはなんや」と思える昔話なんすよね。
ある日、おじいさんはポチと山に出かけたところ、突然ポチが吠えだしました。
「ここほれワンワン。ここほれワンワン。」
「どうしたんだ。よしよし掘ってみよう。」
「こりゃたまげた。金貨が出てきた。ありがとうよ、ポチ。おまえは本当にあたまのいい犬なんだな。」
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
この話、優しいおじいさんの飼っている犬が、金貨を見つけるところから物語は始まります。そもそも二つ名が「優しい」になるおじいさんの、徳の積み方を知りたいっすよ。
このことを聞くといじわるな、隣のおじいさんはポチをこっそり山につれて行くとポチに吠えさせました。
「ここほれ。」とポチは小さく吠えました。
「ここだな。金貨を見つけて金持ちになるぞ。」
いじわるなおじいさんがポチのないていた場所を掘ると、そこからわれたかわらや茶わんがたくさんでてきました。
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
そして、いじわるじいさんが登場します。
二つ名が「優しい」になるじいさんの徳の積み方も気になりますが、「いじわる」を二つ名にされるじいさんもじいさんですよ。ってかそもそも、「いじわる」を苗字みたいに使われるほど、そこまでの悪行をしてきてるんですかね。
いじわるなおじいさんはおこってポチをなぐりころしていしまいました。
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
してるわ。
犬殴り殺すやつは、いじわるというよりワル。
それを知ったおじいさんは、ポチがかわいそうなので庭に墓を作ってやると、不思議なことが起こりました。
ポチのお墓から、大きな木が生えてきて、見る間に大きくなりました。
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
そして優しいおじさんは、犬のお墓を作って庭に埋めると、木が生えた。
ここまでは、犬がかわいそうなだけ、犬を失ったおじいさんがかわいそうなだけなんですけど、不思議なのはここからです。
おじいさんは、その木を切って、ウスを作りました。
そして、そのウスでおもちをつくと、なんと、おもちが小判に変わったのです。
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
何故爺さんは、木を切ったんですかね。
死んだ犬の生まれ変わった命とも言える木を切って、臼にするという感覚は、優しいと言えるんですかね。そもそも、可愛がっていた犬の墓を作ること自体、優しいのかもわかりませんし、「優しいおじいさん」と言われるほどの、徳の積み方をしているとは思えないんですよ。
さらに物語は進んで、またいじわるじいさんは臼を盗んで失敗し、その臼を燃やしてしまいます。
短絡的な犯行に直面した優しいおじいさんは、次の行動に移ります。
やさしいおじいさんは、かれたサクラの木に登って、ウスの灰をまきながら言いました。
「枯れ木に花をさかせましょう。枯れ木に花をさかせましょう。」
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
コレは、なんや。
もはや、優しさとかじゃないや無いっしょ?奇行でしょ?
考えても見てくださいよ。自分の優しいジィちゃんの飼い犬が殺されて、庭に埋めたら木が生えてきたとするや無いですか。
まず優しいおじさんは、それを切り倒して臼を作ってるんですよ?
その時点で、大分心配になるでしょ。確実に陰で「あの優しかったおじいちゃんが...」って、噂をしてしまうでしょうよ。
しかもそのあと、燃やされた臼の灰を持って木に登り「枯木に花を咲かせましょう!」って、灰を巻き始めるんやで?
もう、絶句よな。
いったん、デイサービスの予約は入れるもんな。
すると、それまでかれていた木にサクラの花がいっせいにさきました。
それを見たお殿様は、喜んで、やさしいおじいさんにたくさんのごほうびをくれました。
ーはなさかじいさん【昔話童話童謡の王国】
しかしながらコレは昔話ですから、優しいおじいさんは、優しいが故に幸せを勝ち取ることはできます。
そして物語は、いじわるじいさんがマネをして、お殿様の目に灰が入ってしまって牢屋に入れられる、というおわり方をしていきます。
俺は何度読んでも、このお話の教訓がわからないんですよ。
仮に教訓が、「どんな辛いことがあっても、人を責めない優しい気持ち」だとしても、犬を殺された気持ちが、晴れることがないんですよね。
まぁ、強いてこのお話の教訓を言うならば。
書いたかどうか。
確認してから、記事は書け。
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