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プロサッカー選手の西原と僕
僕の友達に西原という奴がいる。
彼は海外でプロサッカー選手をやっている。
「何でこんなにサッカーが好きなんやろう」
居酒屋での彼の一言が、僕の頭にこびりついて離れない。
僕がスポーツを好きじゃなくなった日
西原と僕は幼馴染で、幼稚園から高校まで、同じ学校に通っていた。そして西原は、小学校に上がると、地元のサッカーチームに入った。当時彼は、運動神経が良く、頭も良いと近所で評判で、「大人びてる西原君」と言われ、優等生キャラを欲しいがままにしていた。
一方僕も、そのサッカーチームに入っていた。
当時の僕は、今の100倍くらいヤベェ奴で、魔女狩りの文化が消えていなければ、確実に処刑されていたと思う。常にしゃべっているのはもちろんだが、劇で、自分の名前をイジられたことに拗ねて、帰ったふりして、みんなが迎えに来てくれるのを待っていたりした。
ちなみに西原をはじめ、誰も迎えには来てくれなかった。
僕は、警備員に連れ戻された。
そんなヤバい僕が、キラキラスポーツのサッカーチームに、なじめるはずがなかった。
そもそもサッカーでなくても、チームスポーツに、こんな激痛小学生が居たら、つまはじきにされてしかるべきである。僕は小学生にして、しっかりサッカー部の洗礼を受けることになった。
そして、その先頭にいたのが西原だった。
優等生の西原は、上級生からも同級生からも慕われていて、彼の言う事は絶対だった。彼の面白いがみんなの面白いであり、彼の好きはみんなの好き。そして、彼の嫌いはみんなの嫌いになった。
そして僕は小学三年生でサッカーをやめた。
この日を境に後にも先にも、スポーツをすることもなければ見ることもない。
僕はこの日から、スポーツが好きではなくなった。
僕の知らない西原
そして話は飛んで、社会人。幼馴染と飲んでいる時、ひょんなことから西原が来ることになった。
数年ぶりの再会。
目の前に座る先に、僕が知っている西原は居なかった。
高校生の頃、僕はうだつの上がらない吹奏楽部で、西原はサッカー部だった。
僕は相変わらず、「常識にとらわれるな。」と言いながら、全体練習中に扇子で涼をとるような、しっかり痛い、中二病ステージ4だった。
そんな中西原は、サッカー部のキャプテンになっていた。
中学時代は塾が一緒だった事もあり、一緒にお好み焼きを食べながら、
狂ったように話をしていたが、高校に入ると僕と西原の接点はあまりなくなってしまっていた。ただ、僕の耳にも、西原のうわさは聞こえていた。
西原は孤立している、と。
正直そういう性格も知っていた。
僕はスポーツに興味はないが、運動神経も良くて、頭も良い西原は、まっすぐになりすぎて、失敗することもあったようだった。大口をたたいてしまったり、人を見下すような言い方になってしまったり、それは昔から少なからずある奴だった。きっとそれが、悪い方向に出てしまったのだろう、と思った。
そのまま僕と西原は大学で別れ、噂すら聞かない、遠い存在になってしまった。
そして数年を経て居酒屋で座っている西原は、僕の知ってる西原とは、別人のようだった。
恐ろしく謙虚で、優しく、それでいて少しバカ。
どれ程の苦労をすれば、ここまで人が変われるのかと思うほど、優しい、愛される人間になっていた。
「呼んでくれてホンマにうれしいわ!」
時間を捨てるように飲んでいるこの飲み会に、わざわざやってきて、心から喜んでくれている西原
「海外でサッカーやってんねん!」
人と飲んで、初めて思った。
「俺はこれでいいのか」と。
何でこんなにサッカー好きなんやろう
去年の年末、西原と飲みに行った。
「誘われたら行くしかないやろ!」
彼は終電も終わっているというのに、走ってきてくれた。「久しぶり」を挨拶に酒を飲み、スターを囲んでの宴に、テーブルは盛り上がった。
その時僕は、純粋に聞きたい事があった。
それは、西原は辛くは無いのか。と言うことだ。
運動に縁遠い僕からすれば、毎日トレーニングをするというだけで、もう辛い。加えて彼は、それを仕事にしている。スポンサーになってくれる企業を探したり、プロとして入れるチームに飛んで行ったり、大好きなサッカーで生活するために、西原はありとあらゆる苦労をしている。
それは、辛いことではないのだろうか。苦しくて、辞めたい事ではないのだろうか。僕は、それが聞きたかった。
「全然辛くないで!」
西原は、朝一の挨拶くらい、元気にはっきりそういった。
でも、毎日のトレーニングはしんどいやろ?知らん土地に行くのは怖いやろ?スポンサーを探すのは大変やろ?押し問答のように聞く僕に、西原は嫌な顔一つしなかった。
「全然苦じゃない!サッカーの事やから!」
そして、笑顔で言った。
「俺なんで、こんなサッカー好きなんやろう。」
僕は、そこまで好きなものに出会ったことがない。
しんどい思いをして、四六時中そのことを考えて生きても、結局幸せだと思えるものなんて、生まれてこの方、出会ったことがない。
しかも西原は、それを職業にしている。それで、生きている。四六時中そのことを考えるだけにとどまらず、好きなものを使って生きている。
それだけサッカーの事を考えて、苦しんでもなお、「何で好きなんやろう」と言えるほど好きなもの。
僕にはあるだろうか。
仕事を忘れたくて土日に遊びまわる日常。
残業に腹を立ててビールを飲む日常。
無理難題を押し付ける上司を疎む日常。
やはり、どこを探しても僕の中には見つからなかった。僕の日常とは全く違う日常が、西原の中には流れているんだと思った。そして僕は、出来る限り長く西原にはサッカーを続けて欲しいと思った。
スポーツ選手だから、寿命があるんだろうとは思う。
一生できるものではないんだろうし、いつかはやめないといけないときは来るんだろう。でもできる限り長く、30になっても、40になっても、何処かでサッカーをしててほしいと思った。
人生をかけるほど好きなものに出会った西原には、一生サッカーをしてほしいと、心から思った。
そんな西原が、けがをした。
世の中は不条理だ
「前十字靭帯をやってしまいました。」
noteの記事を前にしても、僕には前十字靭帯が何かはわからない。それがどれほどヤバいことで、選手生命を脅かすものなのか、寿命を縮めるものなのか、何一つわかることなんてない。でも、西原が大好きなサッカーが、取り上げられそうになっているという状況だけはわかった。
加えて、住んでいるアパートからコロナが出たらしく、帰国も出来ず、身動きも取れないのだという。
僕は、何で西原が、こんな思いをしないといけないのか、と真剣に思った。
怪我はスポーツ選手につきものとは聞く。
でも僕はスポーツ選手には興味がない。
小学三年生の頃、西原をキッカケにしてスポーツは卒業した。
別に嫌いでもないが、特段好きでもない。
だからスポーツ選手の一般論なんて知らないし、知りたくもない。
僕はあくまで西原に対して思う。
何故西原が、こんな思いをしないといけないのかと。
世の中は不条理だと。
同時に僕は、何もできない自分が、いかに小さい人間なのかを知った。
こう言う時に助けてあげられる財力も、助けてあげられる知識も、人脈も発信力も権利も力もない。
不条理の海で必死でもがいてる西原を、僕は双眼鏡で覗くことしかできないのかと。
僕が西原にできること
僕は初めて人のために何かをしたいと思った。
でも今まで人のために何かをしたことなんてない僕は、何をしていいかわからない。やらぬ善よりやる偽善とはよく聞くが、僕にはやる偽善すら思いつかない。
お金も少しだけサポート機能で送ってみたりもした。ラインもした。でも結局全部薄っぺらで、怪我をした西原の為になんてならないんじゃないかと思えてくる。
お金で治るものでもないんじゃないか。
言葉で治るもんでもないんじゃないか。
俺が何かしたところで、迷惑なだけじゃないか。
色々考えて、僕はこの記事を書くことにしました。
西原の方がフォロワーも多くて有名人ですから僕よりずっと力を持っていることはわかっています。
でも少ない人数ですが、僕の記事を読んでくれてる人は居ますし、それは必ずしも西原の事を知っている人ではないでしょう。だったら、僕の記事で西原を知ってくれた人を、西原のファンにすることができるかもしれないじゃないかと。
僕はまた明日から、相も変わらずよくわからない妄想やお笑いの紹介を馬鹿みたいに書き続けます。でも別に、僕の記事など読まんでええんです。ただ一人でも多く、西原を応援してあげてください。
そして、少しでも長く西原がサッカーを続けられるよう、サポートしてください。
今も西原は、毎日リハビリを頑張り続けています。彼はnoteも1年以上、休まず毎日更新を続けています。
だから一度でいいので彼のnoteを見てあげてください。
彼のサッカーに対する熱さ、諦めないガッツ、そして少しバカな一面。毎日更新しているだけあって、このnoteには西原の人間性が詰まっています。
そして、彼のnoteを見ると、誰もが感じるはずですから。
こんな状況でもしっかり前を向いて、必死に頑張り続ける、彼の凄さを。
※サークル活動からの応援もできるようになりました。