随筆(2020/11/10):実践における積極性や社会的実践における社交性を含む、好印象ムーブからの、信頼
公正取引は信頼が構築されてなくてもやれるが、それより高度な取引は、信頼がなければ、やれない。
そういう信頼は、誠実さや取引の安全と同じくらい、その人が悪印象を与えないか、相手に好印象を与えられるか、という話に左右される。
典型的には、物事をやっていける程度には積極的であるかと、人とやっていける程度には明るくあるかどうかだ。
「どちらもやりたくねえ」? まあ、それは、俺も、そうなんですよ。特に、疲れている時は。(忙しいと、ふつう、疲れるんですよね…)
でも、どちらかはやった方が、信頼がマニ車のように回って、徳(得)になるんですよ。そうしたら、生き残りは、かなり大幅に楽になる。
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これは、この前から言ってる、「許せない気持ちでは先に進めない、許そう」という話にも通じる。
公正取引では、取引に不公正があったら、許さないで敵意を剥き出しにして戦うことになる。
だが、信頼は、敵意を剥き出しにしている人には、ふつう訪れない。(訪れる場合、それは余程己の率直さを信頼してくれているか、あるいは食い物にしやすいと見られて甘言を弄されているかだ)
そして、信頼がないと、取引は一回性のものにしかならない。継続的な取引のためには、やはり信頼は要るんです。ふつうはその方が得なんですよね。何せ、お互いに、気心は少しは知れているし、その分だけ話が早いんだから。
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実践における積極性や社会的実践における社交性を含む、好印象ムーブからの、信頼。
ぜひ、やっていきましょう。
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