映画(2023/10/20):『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想_5FIN.総括、感想、個人的なエピローグ
11.総括
11.1.家族と家
この映画を貫いているテーマとして、使い古されたテーマではあるのですが、「家族と家」の話があります。
テーマは使い古されていますが、今回出力された物語は、
「身近な家族は大事だが、そうでない家の諸々はどうでもいい。
よって、人と家族になりつつも、家の資産と負債の相続、そして最終的には家そのものも、放棄して生きていく」
という、かなり迫力のあるものになっています。
11.2.現実とファンタジー
それは、「現実とファンタジー」という、これも使い古されたテーマと微妙に重なるように設計されているように見えます。
しかも、今回は
「最終的には、己に縁のある現実の『上の世界』の方が、突き詰めれば己に縁もゆかりもないファンタジーの『下の世界』より大事」
という、だいぶ迫力のある形でです。
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まあ、日常生活のことだけ考えたら、それは基本的には、そもそも言うまでもない、当たり前の話なんですよね。
とはいえ、大叔父のように『下の世界』について考えていられる人たちもいる訳です。
そして、眞人ら大叔父の血の者たちのように、『上の世界』についてまともに考えたくなくなっていたから、そうしている人たちもいる訳です。
そこは、もちろん、安易に無視してはならない話です。
でも、そういう彼らが、後で『上の世界』に向き合えるし帰れるのだとしたら、『下の世界』は、どれだけ価値があろうが、最終的には要らなくなる。
現に、作中では、最後の方では手放され、結局はもう改めて振り返られることはなかった。
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ファンタジーは、楽園も、万病に効く薬ももたらしたりはしない。
現実に向かえる力を養うことには効くかもしれないが、そこまでだ。
ファンタジー世界をたくさん描いてきたスタジオジブリが、ファンタジー世界へのけじめを示し、一線を引いた、とも言えるのではないでしょうか。
そのような、かなり迫力のある話をしているように聞こえます。
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とはいえ。
キツイ日常や現実そのものが、当の現実に向き合う力を損なっていくことがあるのは、周囲を見てても、眞人を見ても、多々あることです。
そして、だからこそ現実に向き合えないというケースもまた多い。
そういう時に、キツイ現実の側が、たとえば
「ダーッハッハッハ! こまけぇこと気にしてんじゃねーよ! さあ呑め! 喰え! 唄え! 遊べ!」
などと迫って来たら、倍キツイに決まっているのです。
まず、何より、キツイやつが、迫り来たりしないで欲しいんだよな。
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こういう時、現実から隔離されて休んでいるうちに、現実に向き合うだけの気合は、ふつう回復するものです。
そのためには、現実からの隔離、とても大切なことです。
そして、もしその人がまた現実で生きてやっていきたいのなら、その蘇った気合を以て、帰って、現実で生きていけるのです。
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でも。
現実が、引き続き、生きてやっていくに値しないようにしか見えなかったとしたら?
それは、気合が満ちようがなんだろうが、帰って来る訳がありません。
ファンタジーの中で生きて死ぬだけです。
それがアカンというのは簡単です。
でも、じゃあどうするのか、という話は当然避けられなくなる。
そして少なくとも、眞人は夏子に、
「一緒に家族という現実をやりましょう。
自分はちゃんとやろうと努力します」
と言ったのでした。
これはそういう、立派な解の一つでしょう。
ヒミは、自分が眞人という立派な子をこの世にもたらすことを悟ります。
それを通じて、己の中に生命の奇跡の力が在ることに励まされ、堂々と『上の世界』に帰っていったのでした。
これも一つの解でしょう。
眞人とその偉業を、隣で、この目で見た。
そうして得られた納得は、全てに優先するのです。
大叔父は、結局『下の世界』と運命を共にしてしまいました。
大叔父にとってみれば、『上の世界』は、結局戻るべきところではなかったのでしょう。
大叔父は『下の世界』と共に生き、『下の世界』と共に死す。今更何の躊躇いがあろうか。ということだったのかも知れません。
11.3.働きかけることと巻き込まれること
そして、もう一つ注目すべき点として、
「少なくとも、己が働きかけてもたらしたものは、現実として効き目があるし、その現実は消耗をもたらす脅威ではなく、大いに頼りになる礎である」
という話をしているようにも見えます。
働きかけには、
わだかまりのある誰かを拒むことも、
誰かと喧嘩することも、
腹立ち紛れに大き目の石で己の頭をかち割ることも、
心底気に入らないやつを憎むことも、
武器を作ることも、
取引材料で交渉をすることも、
本を読みふけることも、
わだかまりのある誰かを別の誰かのために探しに行くことも、
心底気に入らないやつと決闘することも、
わだかまりのある相手を受け入れる旨伝えることも、
自分に誰かが素晴らしいものをくれようとした時に、自分には適してないから断ることも、
当然含まれています。
どちらかというと、綺麗事でないことの方がずっと多いですね。
この、働きかける営みを、おそらく大叔父は「災禍をもたらす人間の悪意」と呼ぶのでしょう。
(大叔父やジブリや評者からは「そういう意味ではない」と言われるかもしれませんが)
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そしてそれらは全部、眞人にとっては一番確実な現実であり、頼れるものでした。
それはそうでしょうね。だって、どれもこれも、目の前にあり、己で決め、成したことなのだから。
これが、ただ巻き込まれただけなら、そうはならなかったでしょう。
『下の世界』は眞人を巻き込みましたが、最終的に眞人にとっては他所の世界のままでしたし、まして帰るべきところとはなり得ませんでした。
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働きかけることは、しばしば、綺麗事ではない。
そしてそれは、己と分かちがたい現実をもたらす営みである。
それは当然、強固に頼りになる。
こうして、上手く行っていない家族との関係を作り直すことだってできる。
そして、選ばなかったものは、己と関係なくすることができる。
己はそれらを、己の中で咀嚼された追憶として振り返っても良いし、それ以上振り返らなくてもよい。
大叔父の創った、資産だか負債だかわからない家のことも。
ファンタジー世界のことも。
自分を巻き込んだあらゆる全てのことも。
だいたいこの辺の話をしていたのではないかと思います。
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怖いですよ。特に後半のシビアな割り切り方。
眞人は、石を見て懐かしむことはあっても、爽やかに別れたトモダチたるアオサギのおっさんや、崩れ去った塔のことは、別段もう振り返りはしないのです。
もう、何の引っ掛かりもなく、現実をやっていけるのだから。
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ファンタジーアニメスタジオとしてのスタジオジブリが、これを意図的に描いているのです。
「我々は、この仮の宿の如き役目をやることにしたのだ。
そうである以上、最終的には旅立つ者たちを見送るのだし、場合によっては見捨てられるのだし、思い出されはしても振り返られることはないのかも知れないのだ。
そんなことは百も承知で、やることにしているのだ。
皆さんは、どうぞ存分に、休んだり、旅立ったり、見捨てたり思い出したり振り返らなかったりして下さい。
だって、仮の宿とは、そういうものなのだから」
という、バッサリとした苛烈な覚悟のようなものを感じてしまうのです。
12.感想
これは、形の上ではもちろんエンターテインメントではありますが、もっと別の、大事なメッセージを、たくさん伝えようとしている作品です。
そして、それらのメッセージは、それを必要としており、聞くことも出来る、いろんな人の元に届く。そんな、長い手紙のような作品でもあります。
大叔父の遺産を、眞人は受け取りませんでしたし、振り返りもしませんでした。
それはそれで良いのです。それが当たり前なのだから。
ですが、私は、大叔父の長い長い遺言に、聞き入ってしまったのでした。
大叔父はこじらせた人だし、立ち位置を考えれば人類の敵でもあるのは確かなのですが、それでもひとかどの傑物であることは間違いないのです。
もっと大叔父の話を聞きたかった。
聞いているこちらは、たぶんたくさん読み間違いをしているだろう。
どういう意図だったのか、教えて欲しかった。
何度でも、ゆっくりと、話がしたかった。
そう勝手に思ってしまいます。
(その上で、やはり、『下の世界』の継承と再構成の話を託されたとしたら、やはり悩んでしまうとは思うのですが)
13.個人的なエピローグ
最後に、個人的なエピローグの話をして、この一連の記事を終えることにします。
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とある日の、とあるところでの話です。
子供のいるお母さんに、『君たちはどう生きるか』の感想を訊かれて(この記事よりはもっと手短に)語っていたのです。
しかし、結局
「それだと、家族の葛藤があるし、お話も難解だし、子供向けでもファミリー層向けでもないですね。じゃあちょっと選択肢から外れるかな」
という至極ごもっともな意見が出てきました。
まあ、そうでしょうね。
私もそれについてはとやかくは申し上げられません。
多くの人が、時間がそれほどない中で、映画を選んで観る訳です。
そして、多くの人が、スタジオジブリのアニメ映画は子供向け・ファミリー層向けの鉄板であると思っていますし、現に多くの子供やファミリーが視聴しています。
逆に、子供向けやファミリー層向けっぽくないとされるもののを、子供や、それ以上にファミリーが、観ている余裕があるか、という話にもなります。
スタジオジブリはでかい会社なので、子供向けやファミリー層向けっぽくない作品を、「それでも出すぞ」という心意気で、世に出すことは可能でしょう。
しかし、率直に言います。
おそらく、家族の葛藤の話があり、難解でもあるので、正直これはファミリー層向けではなく、また別段子供向けでもないでしょう。
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その上で。
私には良かった。
だから、「良い」と思ったところを、こうして感想として書きました。
「そもそもネタバレになっているかどうかすら怪しいのだが、ネタバレしようが何だろうが、観た時の良さは、なおも圧倒的に保証される」
ということも含めてです。
もし、この感想を読んで、「良さそうじゃないか」と少しでも思った方には、観て欲しいのです。
そもそもこの感想はそのために書いたものなのです。
「良さそうじゃないか」と思ったあなたこそが、この映画のターゲットです。
是非どうぞ。
(以上です)