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随筆(2020/10/26):「共感と問題解決」というモデルは、「存在と真理」というモデルに、さらに単純化できる(2)

2.未知なる驚異の感情は、別に常に脅威であるとは限らない

感情の仕組みの話をすると、なんか注意すべきと感じたものがあったときに、「止まって」凝視する。聞き耳を立てる。ということが驚きの基本となります。

(『グラフィック心理学』か? 懐かしいけどだいぶ古い教科書じゃね?)(ウルセー俺の大学生の頃はこれだったんだよ)

それは、たいてい、未知のもの、分かんないもの、不確定要素、すなわちリスクです。

それらは、だからこそ、注意すべきものです。上記のものは、それなりに注意しないと、対処できないようなものでもあるのだから。

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もちろん、解明すればリスクは下がりますが、それは驚きの感情と言う観点からは、副次的な話にすぎません。

そして、もちろん、不明なものいったん解明されたら、驚く理由は減るので、驚きの感情そのものが弱くなります。

不明解明は、対応してはいますが、基本的には別のものです。

もし、不明解明脳内でセットにしすぎて切り離せなくなると、トラブルの元になります。

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何でトラブルの元となるかというと、その驚き不快なものであるとも別に限らないのに、他人に不快と決めつけられて薄められるからです。

そりゃあ揉めるに決まってる。

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今から言うことを、どうしても理解してもらえない場合が、しばしばあります。

なので、

「理解出来なくてもいい。実際にこうなんだ。

じゃあ、そう振る舞った方が、生きていきやすいんですよ。

納得は行かないでしょうが、実際にそうなりがちなんだから、これはもうしょうがない」

という水準で受け止めて下さい。

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さっきも言ったように、驚きというものが、不快なものであるとも別に限らない。

単に驚いただけ。ということもある。

むしろ、驚きは、不快感含まれていないものは、しばしば感情を揺さぶる感動をもたらしてくれる。

具体的に言うと、シャキッとしたモードになる。あれはあれでいいものです。

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というか、未知のものにいちいち不快感を抱いていたら、多分その人、ストレスだけで簡単に衰弱死するからな。

未知のものでも安全であることはよくある。特に、治安のよくなった社会では。

驚き不快感切り離せるようになることで、人はそういった安全な環境適応できる。

そうなれないのなら、こんなもん、注意力忍耐力浪費だ。に決まってる。

驚く度にいちいち不快にならない。そういう人間の脳の仕組みは、適応上ももっともなところがある。そういう話です。

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そんな訳で、未知なる驚異の感情は、別に常に脅威であるとは限らないということが分かってくる。

場合によっては、シャキッとしたモードになることもあり、それはそれでいいものだったりする。

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で? それを? シャキッとしたモードを? 他人が薄める? しかも、良かれと思って?

揉めるってば。そんなの。

そういうことです。

(続く)

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