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随筆(2020/6/3):虚無で渇いてしまった願望に、瑞々しさを取り戻す(1)なぜ男子は性衝動をコントロール「しない」のか

1.思春期の性衝動を、大人になるまで禁じることによる、数年来の怨恨と、報復のような自力救済

思春期男子においては、性衝動のコントロール現実として失敗しがちであることを前提に、決めうちで禁欲をする。
という倫理観や政策、まあ、わかる。

だが、これは、かなり猛烈な怨みを残す。
数年間、やりたいことを我慢させられたら、ようやく出来るようになったら、かなりの確率で、しばらくは

「お前らよくも今まで我慢を強いやがったな。ノシつけて払えオラッ。
誰も救済しないんだから、誰も信頼しねえ。俺が自分で自分を救済してやるしかねえんだよ。
平たく言って、お前らには信頼がない。そんなやつらの御託、要は「払いたくない」というのをいかに正当化するかの言い訳だろ。外形的には何も違わないが?

そんなのはどうだっていいから、黙ってさっさと払えオラッ」

となるよ。何事でもこれは付きまとう。当たり前だよ。
そして、最悪だよ。こんなの。

だから、こんな我慢を強いたら、本当はいけないんだよ。
「望まない妊娠を誰も防げない」という、およそ避けたい事態は、これで予めかなり避けられるし、防げるかも知れない。
だが、これは思春期の少年少女を、怨恨の釘と藁人形にする。方法論にあまりにも大きなデメリットがありすぎる。

2.望まない妊娠を避けるための仕組みは、破綻した瞬間、それを守らされてきた人たちの怨嗟の渦になる

ちなみに、望まない妊娠の話が出ると、
「もちろん最大の利害関係者は妊娠した女性なので、彼女の都合が最優先されるべき」
なのだが、
「そもそも望まない妊娠を防ぐための仕組みに、かなり多くの人に、かなりの我慢とストレスが要求されている。
それはある程度納得させられているが、当然だが我慢もストレスもなくなりはしない」

以上、
「望まない妊娠が起きたこと自体が、その仕組みと全我慢と全ストレスを水泡と帰し、仕組みを真面目に守っていた人たちは、無駄な努力に我慢とストレスを払ってきた価値ゼロのアホ頭であった、という話を避けられなくしてしまう」
んですよ。
この時点で、仕組みを真面目に守って来た人たちは、メチャクチャ悪印象を持つようになるんです。

問題を防ぐために努力している人たちは、問題が起きると、問題だけでなく、それに関わる全ての人を憎むようになる。その中には被害者すら含む。という、よくあるあれです。
実に嫌な話だが、
「我慢もストレスも全部無駄だった。もういい。何もかもぶち壊しにしてやる」
という絶望は、それほど深いのです。

一般に、人は困っている人に寄り添うのは当たり前だが、人を困らせないために水面下で耐えた人たちに寄り添うのは、かなり異常なムーブだと言えます。
でも、世の中には、困っている人よりも、人を困らせないために水面下で耐えた人たちの方が、圧倒的に多いからね。
それこそ、問題発生時になると、そういう人たちがどう感じるか。ということは、かなり大きな影響要因となってきます。

***

もちろん困っている当事者そんなこと考えてる余裕なんかないんで、これでそういうことまで考えることを要求するのは、およそ無理な話なんだが…
「何て迷惑なんだろうな、仕組みを守っていた人たち。結局は私を守れなかったくせに、「無」が、口を利くんじゃあない」
くらい言われても、何もしょうがないと思いますよ。

もちろん、ゼロリスクなんて、そうそう出来ることじゃないよ。
だが、それを、困っている当事者に、口が裂けても言えることじゃないよな?

結局、あんたがた、守ってはいても、防げなかっただろう。それに尽きるんだよ。
何をしたかじゃあない。何が起きたかだろ。問題は。

3.抑圧、自由、抜け駆け、制裁

ちなみに、思春期女子性行為をやっていると、思春期男子にとっては、ふしだらというか、それよりもまず、

「おい、俺は禁欲を余儀なくされたが、なぜお前はそれをしておらぬ?
俺だけが苦しいのに、お前は楽しんでよい?
あのう、何様だ?
抜け駆けを禁じられた人を、自分が抜け駆けして先を行くの、どういう意味においても、端的に、ズルじゃん。
何で、平然と天下を大手振って歩いておられる?
しかも耐えている方を尻目にして、口を開けばバカにして?

何だそれは? 何でこんなことが許されている? 到底許される世界ではないが?
そういうやつらが、耐えている方以上の不利益を制裁として食らってない、というかむしろ利益を得ているの、耐えている方の人間としては、何一つ納得行かないが…?

となりがちなんですよね。

4.つまり? 耐えなきゃいいのでは?

もちろん、抜け駆けする側からしたら、
「それこそが自由であり、抑圧に甘んじているやつはバカなので、何言ってもバカにしか聞こえない」
訳ですよ。
そこは、まあ、ある程度は、正しいよ。

で、そうなると、これの解決、

「彼女たちが言うように、耐えているやつはバカだ。
つまり? 耐えなきゃいいのでは?
俺らに「耐えさせている」やつらの言うことは、今後から聞かないことにする」

という適応になっちゃうんだよな。そりゃあ、まあ、そうだろうよ。

5.男子は性衝動をコントロール「しない」のは、「出来ない」からというより、「耐えていると要するに損を強いられているだけになる」からだ

で、気を付けなきゃならんが、こうなった男子、当然、性欲をコントロールする動機がなくなる。
コントロールが困難であるとか、そういう話ではなくなる。コントロールがバカバカしくなるんだ。

だって、それをやってる限り、抜け駆けするやつらに負けるし、バカにされて、際限なく粗略に扱われるんだもんな。
「真面目に言いつけを守って損をしたがるやつ、真面目かもしれないが、悪いけど野垂れ死にしてもらうしかないんですよね」
とふつうに思っている人たちの間で、真面目に言いつけを守って損をする人が、どうして磨り潰されないで生きていけることだろうか。

そりゃあ、コントロールなんかせんわ。
あるいは、真面目なまま、自由な人たちから距離を取るかだ。

6.自由な他人は危険だが、だからって「他人を再び不自由にして管理下に置けばいい」とはならない

で、精神的ななにがしかを、コントロールも予測も管理も放棄した人、周囲としてはおっかないじゃないですか。
少なくとも、そいつの怒りや攻撃の感情については、外から予測出来ていて欲しいじゃないですか。

その辺り、気持ちは痛いほど分かりますが、それは、

「お前の怒りや攻撃の感情は、お前のものではなく、他人の管理下にあるし、それはそう望まれているので、つまりはそうある「べき」だ」

という話に、ほぼ自動的になっちゃうんですよ。

何で
「怒りや攻撃の感情「だけは」他人が管理下に置いていい」
という、おおよそ正気の沙汰ではない理屈が、案外まかり通っているんだろう。
「それは他者危害的な感情であり、だから他人に負の影響があるから」?
ちーがーうー。
そんなもん、どんな感情だって、度合いが違うだけで、原理的には同じなんですよ。
自分が、嫌悪感を持たなくても、全く興味のない、そんな他人からの好意となると、かなりの場合、それは気持ち悪いものとして感じられるだろう。
で、好意って、他者危害的な感情か? そうはならんやろ。
んで、他者危害的な感情「でなくても」他人に負の影響がある以上、上の理屈は、そのままでは、理屈としてまるで成り立たない。という話は避けがたいように思う。
だから、それは動機としては在り得ても、理由としておよそおかしな話なんだ。

「彼女たちが今さら
「私たちにとって都合が悪いから、やめろ。そんなものは有害で邪悪な振る舞いだ」
とか言うの、噴飯ものなんだよな。
他人は、悪者扱いしておいて、友好的なコミュニケーションが成り立つ、傷つく心のない、ブリキの木こりではない。
サイコパス脳になっていないだろうか? 友達と話をしているだろうか?
結局、彼女たち自身が、俺らに「耐えさせている」やつらの一部分でもあるのだった、というオチだろうか。これ、メチャクチャ最悪な話なんじゃないか?
だとしたら、さっきも言ったが、俺らに「耐えさせている」やつらの言うことは、今後から聞かないことにする。これに尽きる。
だから、何言ってんだバーカ。という話にしかならねえ」

こうなる。

7.他人の感情に、脳に指を突っ込んでガタガタ言うの、他人の自我や自由を脅かすこと甚だしい

怒りも、攻撃の感情も、まずはその人の心の持ち物だ。
それを、
「他人がどうこうしていい」
という話は、極めて自我を脅かす、敵対的なものだ。
「他人の評価軸を重んじ、自我の深化を、しかも第二次反抗期前後に、相対的に軽く扱え」
というの、まあまず不可能な要求でしょ。
「抑圧はバカくさい、自由が素晴らしい」
という価値観を獲得した後だったら、なおさらだ。

そういう、相容れ難い複数の話を、同時に突きつけている。ということになる。
そりゃあ、無理だって。それ。
これ、ダブルバインドっつって、他人を混乱させて支配するための手段だぞ。これを手癖でやる人、支配の手管を呼吸のようにやっているのに等しいんだからな。支配に伴う責任は、真面目にやるとかなり面倒なものになるし、それが嫌ならそもそもその手は使わない方がいいですよ。マジで。

じゃあ、どうするのか? (続く)

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