映画(2023/10/19):『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想_4.『下の世界』から『上の世界』への話(後半)
9.全体としては継承されなかった『下の世界』の終わり
9.1.神々の戯れ、王にしてみれば、民を賤しめる許し難い話でしょうね
傑物だったが、己より己の創った世界の方が大きく、そこに己の全てを吸い尽くされて喘いでいる大叔父。
基本的には私は、彼のやることに、とやかくケチを付けられる立場にないし、付けたくもないんですよ。
眞人もケチを付けはしなかった。
しかし、当事者にとっては、たまったものではないでしょう。
インコ大王は、得体の知れないいかがわしいくだらない石の積み木を、自分の手で何とかしようとします。
何とか出来て然るべきと思い込み、とはいえ大叔父の意識と目と手の精妙さを持たないインコ大王は、積み木を崩しそうになり、とうとう窮してサーベルでぶった斬ってしまいます。
石の積み木は、得体の知れないいかがわしいものではありましたが、くだらないものではありませんでした。
隕石に異変が起きます。
『下の世界』が割れ、大叔父も、インコ大王も、その裂け目に呑まれていきます。
『下の世界』が、滅ぶ。
***
インコ大王の軽挙妄動はともかく、その怒りは、まあ、分かります。
当事者、殊に、住民の王たるインコ大王にとってみれば、大叔父と眞人の対話など、住民に都合の悪い、否、住民の都合を顧みない、ふざけた有害な茶番、神々の戯れにしか見えなかったことでしょう。
そして、
「神の領域のなんかの拍子によって、王と民の領域は存続したり滅亡したりします」
という話は、責任感のある王だったら、不愉快の極みでしょう。
インコ大王にとっては、こんな話で自分たちの生存が左右されること自体が、もうどうしようもなく受け入れ難かったように見えます。
まあ、観客でなく、彼の立場だったら、おそらく私でもそう思うはずです。
我々の世界はくだらない積み木か?
そして我々はそんなくだらない積み木の上に載せられた、有象無象のどうでも良い駒なのか?
今ここにある我々の存在を、神の如き立場とはいえ、随分とちっぽけに扱ってくれるじゃあないか。
***
でも、権限と、それに基づく姿勢によって、できることとできないことというのは、やはり厳然としてあるものです。
インコ大王は、立派な王だったのでしょう。
だが、単なる事実として、神ではありませんでした。
それで、王の怒りにより、神の領域に手を出して、どうにもならなくなり、軽挙妄動を為し、肝心の『下の世界』を滅ぼしてしまいました。
何らかの理(ことわり)が、その人にとって理解できないものであった場合、取るべき道は二つです。
分からないまま、それでも現にあるものなので、とにかく受け入れるか。
分からないことを理不尽に思い、腹を立てるか。
インコ大王には前者の感覚はおそらくなかった。
後者の、よく分からない理に対する理不尽さへの怒りが勝ってしまった。
皮肉にも、ファンタジー世界の住人は、「よく分からない理」を持つが、「他所のよく分からない理を尊重するマインド」は別段持ち合わせていなかった。
彼らは彼らの現実に生きているのであり、そこから外れた領域への、たとえば大叔父の理解不能な営為への敬意など、別段なかった。
たとえば、石の積み木は、丁寧に扱うべきものではなく、得体の知れないいかがわしいくだらないものとしてしか捉えられなかった。
そして、そここそがまずかった。とも言えるかと思います。
***
でも、正直、大叔父の理想は分かっても、現実にはインコ大王みたいなことは起きてしまいます。
万人が理想通りにやれる訳ではなく、その理想そのものが他人には下らなく見えることもある。
結果として、理想はいつか失敗し、取り返しがつかなくなり、終焉する。
残念ですが、理想と現実の話としては、至極ありふれた話でしょう。
立派な神の悠長な譲歩も、立派な王の切羽詰まった怒りも、どちらも理解はできるのです。
だからこそ、ある意味なるべくしてこうなってしまった。
そこは本当に、残念でならない。
9.2.特段荒事もなく夏子やキリコが出てこられた件について(以下憶測)
さて。
最奥部の聖域から、夏子が出て来て、やはり出て来ていたキリコと合流します。
ここで特段何らかの目を引く演出がないので、
「あれ? こんなに呆気なく解放されちゃうんだ」
と拍子抜けしてしまいました。
何で何事もなく出られたんだ?
ですが、よく考えたら、『下の世界』の力が失われるまで夏子はずっと隠されていたのだし、とにかく出て来られなかったのです。
『下の世界』が隠していた者は、『下の世界』が隠す力を失ったら、出られる。
シンプルな理屈です。
そして、これ以上ここに荒事なり何なりの目を引く演出やエピソードを入れることは、話の雑味にしかならなかったのでしょう。
私にアニメーターの技能があれば、夏子が目覚めて、動けることに気付き、戸惑いの果てに立ち上がり、お腹を気遣いながら歩き出す描写を、十数秒程度入れるかもしれません。
そして、こう書いてて、自分でも思います。こんなのは「雑味」としてボツにされるラインであろう、と。
10.帰って来た者たちの得た、人生を左右するほど大切なものと、そこまでではないが有難いもの
10.1.ヒミの、そして久子の、人生を丸ごと肯定できるほどの歓び
『下の世界』は滅ぶ。
眞人も、夏子も、ヒミも、インコたちも、逃げる。
ヒミは『上の世界』への扉を開く。眞人と夏子は彼らの住む、ヒミは自分の住んでいた頃の田舎へ。
この頃には眞人も気付いていた。ヒミは、母、久子なのだと。
『上の世界』の元の時間の流れに戻ったら、いずれ病院で火事で焼け死ぬ。そんなので本当に良いのか。
ヒミは、なんと、それで良い、望むところだ、という趣旨の言葉で返すのでした。
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かなりびっくりする発言ではあります。
ふつう、自分の死期と死に様を、あらかじめ知っていたくはないものです。
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しかし。
ヒミの内面を、少し考えて見ます。
ヒミ、幼い久子は、晴れやかな顔で『上の世界』に戻って来たとのことでした。
つまり、かつての『上の世界』では、元々はそうではなかったということです。
何か『上の世界』での生活に嫌気が差していたのかもしれません。
ヒミは、『下の世界』に大いに順応し、特殊能力を縦横無尽に振るい、それもあってかのびのびと振る舞っていました。
ある意味、生きる力を相当回復していたと言えるでしょう。
そしておそらく、大叔父がヒミに対し、『下の世界』を継いでくれ、と迫ることはなかった。
少なくとも劇中ではそのような描写はありませんでした。
それに、ヒミが後継の話を、ひょっとしたら一度はされたかもしれないが、しつこく迫られたようにはとても見えない。
もしそんな話を迫られたのなら、眞人が選択の際に見せた気負いや、あるいはそれとは別に
「そんなこと言われても困る。
ここは逃げ場だったはずだ。
なのに、たった今逃げたくなるような選択肢を突き付けられてしまったぞ。
どうすればいいんだ」
という屈託があるのが当たり前です。
が、そんなものはヒミの言動からはまるで伺えない。
それどころか、大叔父は己の目的にマイナスに働く、ヒミのペリカン対空砲火を、特段咎め立てはしなかったようなのです。
大叔父とヒミは、ふつうに友好的な関係でした。
そしてお互い、その距離で留まった。
後継だの、世界の目的だの、そんなのっぴきならない話にはならなかった。
***
とはいえ、ヒミその人は後継者をやらないのだとしても、大叔父が世界の維持と継承の件で苦しんでいたこと自体は、ヒミもちゃんと理解はしていたように見えます。
『下の世界』は、新たに来た夏子とお腹の子を後継者にしようとしているようだ。
夏子の姉としては思うところがあったのかもしれませんが、とはいえじゃあ自分が替わってやれるのかというと、それは無理だったはずです。
じゃあ、どうすればいいんだろう。
その夏子を探しに来た、大叔父の血の者である新たな客、眞人。
ひょっとしたら、彼が、大叔父の肩の荷を降ろしてくれる、救いの手になるかもしれない。
それに、少なくとも大叔父は、どうもこの眞人に期待をかけているようなのだ。
***
結果的に、大叔父の望み通りにはならなかった。
『下の世界』も滅んでしまった。
だが、考えてみれば。
ヒミは、敬愛する大叔父のエージェントのペリカンを焼いて制するようなちぐはぐなことを、ずっとしていたのです。
そもそもの話として、ペリカンが人のたましいを食う『下の世界』自体を、ぐずぐずとせずにスパッと終わらせた方が、どれほどかマシだったのかもしれない。
***
眞人は、『下の世界』を受け継がず、それによって破滅の引き金を引いた。
そして、苦しんで生きてきた可哀想な偉人である大叔父の肩の荷を、こんな形ではあるが、結果的には降ろしてやったことになる。
そして、今、夏子を助けて、『上の世界』に連れて帰るのだ。
どれもこれも、途方もない、大した偉業ではないか。
この眞人は、やったのだ!
そして、ヒミは、それを横で目の当たりにした!
***
ヒミは眞人が未来の自分の子であることに、もう気付いていました。
こんな大した子である眞人を産むという、ものすごいことを成せるのです。
己は、それを為せるだけの、強く尊い、生命の奇跡の力と共に在る!
その後いつか火事で死ぬ?
それが何だ。
見るべきほどのことをば見つ!
だから、全部やるぞ!
だからこそ。
ヒミの、幼い久子の顔は、きっと晴れやかだったのでしょう。
***
眞人にしてみれば、久子がこの後、東京の病院で焼け死んだのは、もちろん悲しい出来事です。
しかし、久子が自分の人生を、死ぬまでの過程も引っくるめて、全体としては肯定して走り抜けたのだろうということは、ヒミの最後の言葉でよく分かった。
しかも、眞人をこの世にもたらせるからこそ、久子は『上の世界』に戻ったのだ。
それほどの話だというなら、当の眞人としては、そのような久子の人生を、良しとするしかなかろう。
最終的には、眞人は、久子の件をそのように呑み込み、受け入れたのだと思います。
10.2.ポケットにしまい込んだ激動の旅の思い出、そして新たな旅立ち
眞人が、夏子とお腹の子が、そしてキリコばあやが、小さくなったインコ大王たちが、『上の世界』に帰って来ます。
アオサギのおっさんもいました。
眞人は、石の積み木を1つ、持ち帰っていました。
大叔父の託した悪意のない石ではなく、ボツにした悪意のある石です。
小さな世界を創って保つには足りないだろうが、アオサギのおっさんにとっては触るのをためらうくらいの、わずかな魔力を帯びてもいる。
この石が、本来直ちに失われるべき『下の世界』の記憶を、眞人の中に留めている。
とんだお土産です。
(とはいえ眞人はもうこれで己が頭をかち割るようなことはないのでしょうが)
アオサギのおっさんは、長い冒険を共にした眞人を、煽る気も痛めつける気も喰ってやる気も、最早ありませんでした。
大叔父は『下の世界』と運命を共にしたのでした。彼のエージェントをやることも、もうなくなった訳です。
つまり。
自由だ。
アオサギのおっさんは、奇妙な別れの言葉と共に、去って行きます。
「あばよ トモダチ」
いけ好かない敵同士であった彼らは、爽やかに友として別れたのでした。
大団円。
***
そして、ここからが一見ミステリーです。
終戦後、眞人、勝一、夏子、そして既に生まれていた弟は、東京に引っ越すのです。
この広大な田舎のお屋敷とも、離れの小綺麗な洋風の小屋とも、おさらばです。
行って旅して帰る話はたくさん作られているでしょう。
行って旅して帰って、さらに旅立つ話を、そう言えば見た記憶がないのです。
世間では別にあるのかもしれませんが、私は今回が初めてです。そこに目を惹かれました。
(妙なところに目を惹かれている、という自覚はあります)
出発直前。
眞人は自室で、魔の石をポケットから取り出し、眺め、また戻します。
そして、自室を出て、勝一、夏子、そして既に生まれていた弟の元へ、去って行く。
これで、この映画はスタッフロールに入ります。エンディングです。
***
ここは演出上の大きな割り切りと言えるでしょう。
私なら、小屋を去って行く時に、振り返って、崩れた別荘の広大な空間を映すだろうし、そこを美しく横切るアオサギを描いたりしてしまうでしょう。
そして、こう書いてて、自分でも思います。こんなのもまた、話の「雑味」としてボツにされるラインであろう、と。
眞人はこっちに帰り切ったのだし、今度こそ義母や義弟や父との、そして亡き母についての現実に適応できている。
だったら、『下の世界』と共に崩れた別荘のことも、爽やかに別れたアオサギのおっさんのことも、今更心残りが残っていたりはしないだろう。
魔の石と、それが保ってくれている、己の中で咀嚼された、『下の世界』への追憶。それらを振り返っているだけでも、懐かしむ、という観点からは、十分な話です。
***
物語においてここはもちろん大事なラストシーンで、非直感的な難解さと後味の混濁をもたらすのも、どうか。という思いはあります。
ポケットから魔の石を取り出したシーンには、フォーカスが当たっていません。
私は最初、魔の石を取り出して眺めていたのだとは認識できませんでした。
だから、ラストシーン以降、ポカーンとした後、スタッフロール中に
「眞人は、『下の世界』のことは、最早追憶の中ですら振り返ることはないのか。
そんなのは全部過去の話だからか。
徹底している!
すごいなこの作品!」
というおそろしくドライな印象を受け、戦慄と共に感動すらしたのです。
気のせいでした。
でも、まあ、これは私が悪い。
***
それに、大筋はあまり変わらない。
変わったとしても、もっと優しいものだ。
即ち、
「眞人は、『下の世界』のことは、最早振り返ることはない。
そんなのは全部過去の話だからだ。
『下の世界』は最早必要ではない。
その上で、自分の中で咀嚼して思い出して、懐かしんでやることはできる。
それが、現実に帰り切れた者が、終わった後の『下の世界』に向けてあげられる、一番現実的で健全な姿勢なのではないか」
おそらくは、こういうことなのでしょう。
家族の現実に悩まされ、ファンタジーに隔離された少年は、己の手で家族の現実をつかみ取り、家族の現実に戻って行った。
そして、もはやファンタジーを必要とせず、咀嚼された追憶としてのみ己の中に持つ。
そうして、行って、旅して、帰った者が、さらにまた旅立つこともある。
おそらく、新たな現実で、また悩まされることもあるだろう。
しかし、咀嚼された追憶と、つかみ取った家族の現実は、
「新たな現実に直面しても、きっと、やっていける」
という自信を与えてくれたはずです。
眞人には、それで、十分だったのでしょう。
そうして、眞人たちは、新たなる現実に、静かに旅立って行ったのでした。
(次回最終回)