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ホログラフィートーク(心理的逆転の解消)セッション後のこころの変化をまとめてみた
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Twitterをこころのメモ帳として使っている。
Twitterはゆるく人と繋がることができる、いわゆる「SNS」だけれども、個人的には「マイクロブログ」のような存在に近いのではないかと思う。
ふと思いついたなんでもないことや、素敵だと思ったこと、心に引っかかっているもの、自分の課題になりそうなんじゃないかという気付き、そういったさまざまな心の動きをポイっとTwitterに投稿しておくと、自分を振り返るのに使い勝手のよいライフログになってくれる。
なにもWeb上でやらずとも、チラシの裏や日記帳でもこと足りるかもしれないのだけれど、140文字という文字制限があること、反応があるなしに関わらず人目に触れる可能性があることが、思考をキュッと煮詰めることや、より適切な言葉を探すためのよい意味の「枷」になってくれるのが気に入っている。
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5年ほど前、発達障害の診断を受けた。
3年と少し前、とてもよいカウンセラーの先生と出会い、発達障害や生育家庭の機能不全、愛着障害、それらを発端とした認知の歪みと思考のクセ、人と違うモノの見方や感覚など、絡まった糸を少しずつ少しずつほぐしてきた。
まだまだ先は長いのかもしれないが、5年前の自分と比べればずいぶんと「人間」ぽくなったのではないかと思う。
今年の2月、その先生の紹介で複雑性PTSD療法の一環として「ホログラフィートーク(心理的逆転の解消)」の専門家の先生のセッションを受けた。
ホログラフィートーク:https://www.holographytalk.com/
そのとき「ホログラフィートーク」についての予備知識がまったくなかったので、受ける前に多少どういうことをするのか知っておきたいと公式サイトを見てみると、なんだかものものしく怪しげな雰囲気を醸し出していて、よいものなのかどうか判断できなかった。
体験者の声を検索してもほとんど見つからなかったので、正直なところあまり期待していなかった。
若干疑いつつも「自分が信頼を寄せている先生が ”あなたに必要だと思う”と教えてくれ」「とても不思議なタイミングで専門の先生とお会いできる機会を得た」ので受けてみたのだけれど、結果としてそれから約4ヶ月、自分の中で様々な変化が起こっていて、とても驚いている。
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ホログラフィートークのセッションを受けるまで、そもそも「心理的逆転」というものが自分の中にあることも、半信半疑だった。
(あとで心理的逆転についていろいろ学んだところ、「心理的逆転」という表現に、当事者のこころの状態とのズレが大きく齟齬があるように感じている。「よくなりたくないというブレーキがある」のではなく「よくなりたいと思っていても、よい状態というものを知らない」のではないかと思う。「心理的逆転」という言葉が「心理的逆転のない人」から生まれたものなのかもしれない。)
結果的に、私はホログラフィートークを受けたことがきっかけでいろいろなことが良い方に向かっていて、怪しげだと訝しみつつも受けてよかったと思っている。
だから、今後ホログラフィートークを受ける人が「体験者の声」として見つけられるよう、セッションのことをまとめておきたいと思ったのだけれど、あれはなんというか初めての、非常に特殊な体験で、うまく言葉にできそうにない。
ここではセッションそのものの内容ではなくて、セッション後に起きた自分のこころの動きを、自分のツイートをキュレーションして振り返ってみたいと思う。
自信とか自己肯定感、自尊心を持たないまま大人になってしまうと、それらが「ある」状態をイメージできなくて、自分で育てようにもなかなかうまくいかなかったりするんだよなぁ( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) February 8, 2020
そもそもそういうのって「育てる」というよりは「付く」「生まれる」的な、受動的、結果的なものかもしれぬ
いまは多少何かあっても「そうは言っても我はあの猛獣いっぬ①を最期まで看取った者ぞ( 'ω')?」「イッヌ②にごはんと散歩を教えたのは我ぞ( 'ω')?」と思うし、どんなにダメな時でもイヌたちはおかーさんおかーさん言ってくれるだろうと思えるので、生きるために必要なのは多分愛された記憶( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) February 8, 2020
少しことばが足りなかったな( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) February 8, 2020
「安全を脅かされない場所で」
「行動や結果の評価に左右されることなく存在をまるごと肯定されること」
かなぁ( 'ω')
このへんで何故か唐突にらくがき、お絵かきを始めた。
「絵を描くこと」は私にとって、長年封印してきた行為である。
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 4, 2020
さかな pic.twitter.com/sHqlq4ygRx
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 4, 2020
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 5, 2020
自分は人のお気持ちがまったく分からないわけではない(と思う)のだけども、長年共感だと思ってたものはじつは共感じゃなかったっていうのを一言で言えないのでまとめるとこういう感じ( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 6, 2020
#HSP #共感力 #AC #過剰同調性 #ASD #受動型 pic.twitter.com/eaYgjfFzcZ
小さいころは好きだったはずの「お絵かき」を長年封印していたこと、久しぶりにらくがきをしてみて感じたことを、このように振り返っていた。
この3日間、20数年ぶりにお絵かきをしてみて分かったのは、
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 6, 2020
・ヘタでも色を塗るとなんとなくそれっぽくなる
・過去に描いたことがあるものは線がとりやすい
・絵は好きだったはずの描く行為に父の血を感じざるを得ないのがしんどくてやめてしまっていた、でもやっぱやれば楽しい
ということ( 'ω')
大人になってから何度も、理解しようとか伝えようとか歩み寄ろうとかほどよい距離感を保とうとか、いろんな角度から関係の再構築を試みたけど届かないどころか消耗するばかりで、ある日の父の言葉で「あぁこれはムリなやつだ」と力尽きて、それ以来会っていないし、私からは連絡していない。一度も。
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 6, 2020
父には絶対に似たくないのに、時々どうしようもなく自分の中に父の血を感じることがある。
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 6, 2020
調子イイこと言うときとか、衝動的に行動するときとか、絵を描くときとか、モノを作りたくなるときとか。
父はアマチュアだったけど、某団体に入ってたり個展やったりする美術畑の人で、絵もとても上手だった。
そうは言っても親なんだから的な世間の圧は長いこと私を苦しめたけど、血が繋がっているからといって分かり合えるわけでも仲良くできるわけでもないし、自分を追い詰めてまで無理に彼を許す必要はないと思う。
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 6, 2020
でも、お絵かきを楽しいと思うことは、父と切り離して、もう許してもいいんじゃないかな。 pic.twitter.com/1LWWLcMVT2
めも:心理的逆転解消のセッションから約50日
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 6, 2020
ええと別に強く恨んでいるとか憎んでいるとか許せないとか思っているわけではなくて、むしろなるべく健康で幸せでいてほしいと思っていますよ( 'ω') ただし私に関わりのないところで←
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) April 6, 2020
私は自分の気持ちや考えを言葉にするのが苦手である。
特にリアルタイムで対応を求められる「しゃべり」が苦手で、意志の伝達がなかなかスムーズにできないのだけれど、絵を描くことを自分に許して以来「絵と文字を合わせて図にする」という出力方法を得て、これまでよりも解像度の高い伝達ができるようになってきた。
(まだまだ練習中なので精度は低いけれど、続けていけばもっと自由に表現できるようになる気がする)
自分に足りなかったもののひとつは「お弔い」だと思う
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
なくしたものや本来そこにあったかもしれないもの、はじめからなかったもの、もしかしてあったかもしれない未来、与えられるはずだったもの、得られなかったものに対して、「適切に悲しむ」ことを許してこなかったかも
怒ってもいいんだよ、たくさん悲しんでいいよ、と言われてもピンとこなかったり、グリーフワークがまったく機能しなかったりしたのは、自分の輪郭も、感情も、生きてることも、人生が続いていくことも、なんにも理解してなかったからでは( 'ω') なぜなら存在に一切の価値がなかったので
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
めも:心理的逆転解消のセッションから2ヶ月と22日
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
体験したことがないものや、そこになかったものを、自分ごととして理解するのは難しい。
ホログラフィートークの不思議なイメージと時間の中で、私は自分がこれまでに体感したことのない「あったかもしれない未来」「あったかもしれない感情」を垣間見た。そして初めて、「何を悲しめばいいのか」「何に怒ればいいのか」が分かった気がした。
それは同時に「どれだけ望んでも、もう得ることはできないこと」「取り返しのつかないこと」を知ることでもあるのだけど、自分の欠損を知らないまま見よう見まねでヒトの形を保って生きるよりは、ヒトとしてどの部分が欠損しているのか理解した上でヒトの形をまねたほうが、生きやすくなるのではないかと思う。そこに痛みがあったとしても。
適切に悲しむにも怒るにも、素養というか基礎体力的な何かが必要だと思う( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
あるいは経験???
〇〇してもいいよ、と自分を許容するの、言葉では認知してたはずだけど、してもよい(しなくてもよい)、しても安全である(しなくても安全である)、という実感がなかったから、どれだけ言葉がけをしてもイマイチ届かなかったんだろうな…( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
ホログラフィートーク、先生の勧めならやってみるお(*‘ω‘ *)くらいのノリで受けたものの、心理的逆転とか正直よく分かってなかったし、そんな信用してなかったんよね
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
ちゃんとした複雑性PTSDのための療法らしいけど、サイキックみというかスピリチュアルみがあるし、体験者の声あんま出てこないし…
何年かかけて積み重ねてきたものとか、今の環境とか、タイミングとか、そういうものがいろいろ噛み合った結果でもあると思うけど、ものすごい体験だったわ…( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
自分がそこまで引っ張られてると思ってなかったというか、「そうではない」状態とのギャップを知らなかったので…
でも体験に理解が追いついてなくて、なんかのタイミングで突然脳内で繋がるので、あとからあとから「これが…ウォーター……?」みたいな感じで降りてくるんよな( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 8, 2020
毎回北島マヤちゃんばりに白目むいてるわ
↓ これは「鬼滅の刃(マンガ)」の「兄上と縁壱さん」についての感想だけれども、自分にも当てはまる部分があると思うので、一緒に載せておく。
人はなりたいものに憧れるんだけどさ、そのなりたいものが「あったかもしれない未来」「そこにいつか到達したはずの自分」だとその対象を妬んでしまうんよな…
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 13, 2020
それがあまりにも自分から遠いところにあるならば、少し痛みを伴った眩しさ的な憧憬ですむもの… ( ˃̣̣̥ω˂̣̣̥ )
いま現在、コロナ禍の中で世界が急激に変化しつつある。社会も、人との関わり方も、人の価値観もほんの数ヶ月でどんどん変わっていて、先が見えず不安の大きい世の中だ。
それでも多分、これまでの人生の中でいちばん安全な環境で、私は少しずつ発達している。
我イヌでいうと7歳くらいだからそこそこ分別も付いてきてるけどちょっと何かあるとすぐ忘れてクルクル回るし、今までと同じように食べちゃダメってシニア向けごはん始まってもオヤツもっとほしいし、好きなニオイの人にはおでこを擦りつけたくなるし、すぐ眠くなるけど仕方ないよね7歳だもの( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 12, 2020
スポーツでもなんでも、大抵のチームプレイで足を引っ張るマンor独自ルール生み出すマンになってしまうワイ、敵からも味方からもボッコボコにされがちなのでチームというもの自体に恐怖しかなかったけど、得意なこと持ち寄って何かするには案外いいものなんじゃねぇの( 'ω')という学び
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) May 28, 2020
自分の発達特性や認知特性を理解すればするほど、みんなのようになれるわけではないことを知る。
でも必ずしもみんなと同じになれなくてもいいし、みんなとは違うやり方ならできることもあるし、みんなと違うしあわせを考えてもいい。
私には長いこと「生きない」「生きることをやめる」選択肢があったのだけど、ここ数年で「多分なんだかんだで寿命(それが明日だとしても)まで生きるんだろうな」と思うようになり、今日初めてそれを言語化して文字にした「決意」を自分以外の人に見てもらった。やっと人生が始まった気がする( 'ω')
— 伊藤羊子(イトウヒツジ) (@hitsuji_001) January 10, 2020
今年のはじめ、私は自分と「死ぬまで生きる」という約束をした。
30歳になるまでには精神を病んで死ぬだろうと思いながら大人になったので、30以降の人生は私にとって余生だったけれど、案外余生は長く、そしてもしかしたら、思っていたよりもよいものなのかもしれない。
これを書き終えたら、何ヶ月かぶりに先生に連絡してみようと思う。