【狐狼の血 LEVEL2】わしゃぁ、そないわるうないんじゃ
8.21(土)12時からの舞台挨拶(全国劇場中継)付き上映を見にいってきました。
▼前作の感想はこちらから
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▼イントロダクション
暴力と狂気がはびこる街。そこで、刑事、暴力団組織、マスコミ、そして女たちの壮絶なバトルロイヤルが幕を明ける...!原作は、柚月裕子の『孤狼の血』シリーズ三部作。今回は原作では描かれていない映画オリジナルストーリーが展開する。
主人公は、目的の為には手段を択ばない一匹狼の刑事・日岡(松坂桃李)。街の平和のため警察と裏社会のタイトロープを続けていたが圧倒的“悪”=上林(鈴木亮平)の登場によって、秩序が崩れていく...。暴力団組織の抗争、警察組織の闇、マスコミの策謀、身内に迫る魔の手、そして最凶最悪のモンスターによって、日岡は絶体絶命の窮地に追い込まれる...!
そんな極限状態の中で、日岡が知る衝撃の事実とは? 信じられるのは誰か? ここでは、闘うヤツしか生きられない。
全方位、敵。
生きるため、守るため、
戦い抜け!
▼ストーリー
ここでは、闘うヤツしか
生きられない。
3年前に暴力組織の抗争に巻き込まれ殺害されたマル暴の刑事・大上の後を継ぎ、広島の裏社会を治める刑事・日岡(松坂桃李)。しかし、刑務所から出所した“ある男”の登場によって、その危うい秩序が崩れていく…。
やくざの抗争、警察組織の闇、マスコミによるリーク、身内に迫る魔の手、そして圧倒的“悪魔”=上林(鈴木亮平)の存在によって、日岡は絶体絶命の窮地に追い込まれる。
▼ここからは感想です
ネタバレなしでいくと、開始してすぐ松坂桃李こと日岡に「うあ、かっこい…!!」とときめきます。きっと男性でもときめくというか、物語の始まりにふさわしいシーンです。
狐狼の血は関係性と一瞬一瞬の中でその人が何者なのかを表していく群像劇でもあり、正しいだけでは解決できない何かと、世の中には完全に諦め切って悪にならざるをえなかった存在をうまーく表現しておりました。
▼書きにくいのでネタバレ含みつつで書きます
マジで名作、これは日本アカデミー賞全部取るはず!
映像、全体の脚本、配役がとてもよかった。主演男優賞と助演男優賞と監督賞と作品賞と音響・編集賞は取るはず、!バイオレンス性が苦手な人にはお勧めできない映画ではありますが、描かれている世界観について語り尽くしていきます。
組織としての暴力性
まず、松坂桃李演じる「日岡」はマル暴デカを引き継いで、立派な好青年からヤーさん相手に啖呵と銃を振り回す男になっており、THE漢、男の中の男、という感じ。
対する悪役、鈴木亮平演じる「上林」はとにかくやばい奴で、そのヤバさは出所したあとすぐにわかるわけで…。絶対目を合わせたくない。
その2人の対峙によってストーリーが進むわけだけども、これまで日岡が頑張って作り上げて一般人を巻き込まないことを目的にしていたのに、そんな努力はどっかの誰かさんのせいで水の泡に。
この映画のすごいところは、ヤクザ同士、ヤクザ組織の暴力の応酬、組織としての危険さを匂わせつつ、本来の目的を別の箇所に隠していて素晴らしい。その技術、細かいディティールがとても演出として完成されている。映画を見慣れすぎて先読みしすぎな人でも心から楽しめる作品。たとえ先読みできてもたいして支障はなく、がっかりもありませんでした。
飼い犬と狼との対比
劇中にかわいいわんこが出てきます。わんこ好きとしては嬉しい限りなんですけども、タイトルにもある狼、強くなりすぎて絶滅したニホンオオカミの例えが随所に出てくる中で、犬もキーポイントのように思えた。前回はそんなに犬の印象はなく、どちらかというと豚と水死体の印象なのだが、今回は犬である。
狐狼の血の世界の中では、警察官とヤクザも、所詮何かの飼い犬にすぎないのかもしれないと表している。ガミさんも日岡も上林も一匹狼といえるはず。
とはいえ、かわいいあのわんこはすがる先を見つけ、ことなきを得て生き延びている。かわいいというだけで生き延びることができた。弱い存在であったとしても、強い存在に庇護を受けることで生き延びたのである。世の女性らに可愛さを求められるのも、誰かから庇護を受けるための一つの手段なのかもしれないと少し思った。
チンタの姉の店を守るのは尾谷組で、店を荒らしにきた上林組員たちと「わんわん」言い合うシーンもあるんだけど、やっぱり"愛玩としての犬"がテーマなようにも思う。強い犬死んだし。
ここから先よりネタバレあり
※ネタバレ注意報※
やらないとやられる、やらなくてもやられる
逃げられない環境に陥って仕舞えば、逃げる選択はできない。板挟みにあいながらも、チンタは日岡と上林の間で一生懸命生きていた。
日岡はチンタに対しての想いがありながらもガミさんがやってきたのと同様に治安のためにチンタを利用し、上林は自分と似た境遇に思えたチンタへ「惨めじゃのぉ」と言いながらも哀れみと悲しみを見せていた(気がする)。
幸せとはいつ壊れるかわからないもので、どこから奪われてもおかしくはないが、やはり奪われるのはおかしい。チンタと上林、特に上林がチンタに期待と可愛さを感じているところの演技がとても素晴らしいと思った。
私がなぜそう思ったかというと、チンタが出所し組に戻るシーンの時に、いろいろ目をかけていたり、スパイ役にさせてみたり、「我なんぞ極道やっとんじゃ」と自分の昔話も踏まえつつチンタにご飯食べるの付き合わしたりとかとか疑いつつも、チンタのことは可愛かったんだろうなと、暴力以外を知らないが故、人に施すことがあんまりわからなかったんだろうなと。
チンタを殺すシーンだけ、他のシーンと違うのである。あきらかに殺す時間が短い。手口はおきまりの形になっていたけれど、発砲で一発というのは上林にしては「苦しませたくはなかったんだろうな」と感じた。(※推測)
ここでの最悪は何か
映画を観た人にだけ読んで欲しいのはここからである。
ここでの最悪というのは、やはり保身のために、日岡の影響力を削ぎたいがためにヤクザを利用した県警のおえらいさんだろう。
新しく日岡とペアになった瀬島さんの登場シーンは相当違和感があった。いくら刑事とはいえ、殺害の捜査本部の垂れ幕と一緒に写真に写りたがるなんて狂気、人が死んでいることに対して思わないところへの恐ろしさ。一緒にヤクザ事務所に行った時の落ち着き払い方。日岡のトラブルへの対処法の手際の良さ。振り返ってみると「お?こいつ?」という怪しいシーンはいくつかあった。
そもそも、いくらなんでも自分(日岡)をよく思っていない上司からの呼びかけに、何かあると思っても組織を信じていたところが、日岡がガミさんに比べて元が純朴な青年であり、従順さを表している。
日岡は、ガミさんのやり方では一般人を巻き込んでいたから、自分はそうしない。どんなに綺麗事を言っても、ヤクザ同士の抗争でヒトが死ぬならば意味はない。検挙できずにのさばり一般人に被害が起きるならば、誰かが身体を張って止めるしかない。
そういう日岡の思いと、地頭の良さ、強さが故に、少しずつ孤立していく。まさに一匹狼を継承してしまったというべきか。いや、県警には睨まれてたけど、呉原東署ではそうではなかったのかもしれない。
上林も所詮利用されただけであって、最後に日岡に呼び止められ素直に振り向いたシーンでは、日岡に復讐(だと私は信じている)されている。さらに、上司との痛み分けにも利用されている。上林も日岡も、一匹狼と思っていたが、野良犬と従順な警察犬だったのかもしれない。
シーンについて
よく出来ていると感じたシーンと、ショックを受けたところと、好きなシーンをいくつか。でも全部覚えているわけではないし、基本怒涛の展開なのでどれも印象的でした。
よく出来ているシーン
・ピアノ教室からの狂気のはじまり
・かたせ梨乃のお葬式での迫真の演技
・吉田剛太郎のへなちょこ感
・鈴木亮平の歩くところ(重心のかけ方)
・中村獅童からの松坂桃李
・松坂桃李の銃ぶっ放す&啖呵
・犬が強いものへ移動するところ
・チンタのお葬式
・斎藤工の襲撃シーン
・チンタが逃げるところ
・上林の回想
・ダシの味を確認する宮崎美子
ショックを受けたところ
・ピアノ教室
・上林全般
・ガラ空きの部屋
・死体全般
・往年の俳優たちの死に様
・チンタ
・殴り合いが終わった後
・二代目に取引前提ではないと言ったところ
・公安と科捜研
・日岡体張りすぎ
・おくすり
好きなシーン
・短髪の松坂桃李とタバコ
・日岡と中村獅童の警察署前での応酬
・日岡が手錠をはめたまま逃げるとこ
・上林と食堂のおばちゃんの関係性
・かたせ梨乃の変わり身
・上林の忠誠心
・管理官の隙をついた日岡
・日岡に呼ばれて上林が振り返ったこと
人物の狂気や立ち位置の説明は対比で生まれる
酔っ払って瀬高が「だいぶ共産党に稼がせてもらった」というところで、前作のピエール瀧を思い出す。瀬高が放った「ヤクザや悪人は俺たちは悪です、と言ってるからまだわかりやすい。悪いんですと言って悪いことをやっているから。政治犯はそうじゃない、正しいことをしていると思い込んで悪いことをやるから厄介なのだ」みたいなやつ。
その時の日岡の表情は、最初に呉原東署に現れたときの好青年の顔だった。彼は自分がそれを言われていると思ったのか、組織の上に対してなのかはわからないが、その言葉を受けて思うところがあったのかもしれない。そこから瀬高への信頼、心の開き方が変わったような気がしている(推測)。
誰もやらないことを誰がやるのか問題
誰もやらないことを誰がやるのかというのは、結構問題である。
日岡というパラーバランスが崩れてしまったことで、あっという間に呉原、広島に紛争が起こるわけなんだけども、日岡はガミさんからの受け継ぎで一般人を守るためにヤクザ同士で牽制し合うこともしつつ、尾谷組からも嫌われてるのは知ってても、どうにか手打ちにして抗争を収めてきた。さらにビジネスを与えることでしのぎをそちらに向かわせることなど、本当によく考えていたと思う。上林以外にお薬シーンはないし、上手にやってたはず。
その手柄を県警は気に食わないわけで、ガミさん譲りの自分たちの弱みも握られているので、日岡がとても邪魔。だから公安をそばに置く。
そんな中でも、日岡は毎日ヤクザ相手に根回しをし、大きなことが起きないように泥を被りまくっているのだが、誰からも理解されることもない。ガミさんを受け継いで、頑張って創意工夫をしている。ルールはお構いなしだが。
では県警はどうだったか。結局、ガミさんや日岡の努力を総取りしているのである。彼らを下に見ながら、泳がせつつ、彼らがやってきたことを奪うのである。もちろん自覚はない。手を汚している人たちが、なぜ手を汚しているのか、何に憤りを感じているのかは彼らには関係ないからである。治安が守られることが優先で、泥をかぶっている人たちがしくじれば、その時はその時なのだ。
日岡の結論と納得してしまう上林
上林は死にたがっていたけど、死ぬ機会がなく、シャブにも手を出し、抗争も自ら出向くし、手もめっちゃ汚す。自分が生きている意味と、両親への想いを持ちながらも殺してしまって、話が通じなければ殺す気持ちや、圧倒的優位を得るために自分を苦しめた暴力を選ぶ。死神がついたのは親を殺したシーンだろう。背景に原爆ドームがあり、古ぼけてボロボロの家、彼の全てはそこで、はじめて親父だと思えた五十子会長との関係性も気になる。
日岡のタフさは逆に謎なのだが、尾谷組の組長代行の命は間一髪で守っている。上林の目的が日岡になったからだ。日岡と上林のラストシーンは上林が心待ちにしていた死神とのお別れの禊のシーンのようでもあった。日岡が上林を呼び止めた時に、自分がまさか撃たれると思っていなかったところも不思議だ。上林なら撃たれると思って、ほかの警官を盾にしても良さそうだが、彼は日岡に自分の中の理解を見つけてしまったのかもしれない(ど推測)。
上林は天才的に人の動きを把握する。かたせ梨乃が五十子会長から乗り換えたのもわかったのだろう。チンタが日岡にとどめを刺さなかったこと、「警察は自分に危害を加えた相手は意地でも見つけるくせに今回はそれがない」から罠だと思ったこと。殺すのが目的である場合や話が通じない相手には全然容赦が無いこと。事務所に来た日岡との探り合いの時はとてもいい笑顔だった。
男同士、自分が認めた相手との理解、そのつながりと承認を求めていたのかもしれない。
終わりのシーン
あれは必要だったのかと言われると、あれ以外にどう終わらせるべきだったのか私にはわからない。御神体が出てきた時に「えっ、ここでスピリチュアルエンド!?」とも思ったが、あれはあれでいい気もしてきた。なぜなら私はちょっと精神的に疲れていたから…。次回作に小説の話を持ってきやすいようにしたのか、小説にそう言うシーンがすでにあるのであればなるほどなあという感じでございます。
実のある映画なのと、演者も監督もストーリーもカメラワークも展開も全て本気なので、見るこっちも体制を整え続ける必要がある。本気のジェットコースターに乗り続ける映画。テンションも上げ下げがあるし、ショックと緩和も続きます。
ごたくはええけぇ、はよみてきんさい
暴力系の表現が苦手な人には絶対おすすめしないけど、それ以外の人にはおすすめしたいこちらの邦画。とにかく渋いです。えぐみと深みがあります。人間は綺麗でも無いし格好良くも無いので、そういう自分でいたい人たちにも刺さらないかもしれない。人間の弱さみたいなものを受け入れる準備がないとひたすらに辛いかもしれないね。
昔に比べて、暴力は減ってきたし、体罰や我慢くらべみたいなのも少しずつ減ってはきているのだなと、改めて思うわけです。
コロナの収束の目処が立たないなかで、エンタメ業界や俳優の立ち位置は大変だったはず。あの鈴木亮平でさえ仕事がなくなってしまうのかと言う驚きと、念願の職業が成り立たないなんて想像もできない。とても恐ろしい。
その中でも完成したこの「狐狼の血 LEVEL2」はとてもすばらしい仕上がりだと思うし、邦画としても傑作で、監督自体が海外からオファー受けるのもあり得そうなくらいでした。人が本気で作って成果を見ることができて、私はとても幸せでございます。
名作映画に出会えた時、テンションが上がる映画に出会えた時、「なんでこの映画をもっと早くに見てなかったんだ」「映画館で見たかった」と思うのだけど、狐狼の血は「映画館で見れてよかった」作品の一つになりました。ありがとう狐狼の血。