見出し画像

死なないための同人活動

 同人に限らず「ものをつくる」って、欠落した部分を埋め合わせるためとか、失ったものを補うためとか、癒えない傷を慈しむために行われることが多いから、ものづくりの場ってどうしても、不幸な人、哀しみの人、傷だらけの人がたくさん紛れてる。でも、ほとんどの人が「私は平気だよ」って、無理な笑顔を見せて、自分が苦しんでることとか、抱えてるものがあることを悟られないように、偽って強がって演技してる。私もそうだった。さも普通であるかのように、平気であるかのように装って、誤魔化して、でも無理で、何年もかけて壊れていった。

 それもこれも自己肯定感の低さゆえ。人気ジャンルで創作をしたら、みるみるフォロワーが増えて、いいねがついて、あっという間に「人気者」「成功者」の仲間入りをした(ような錯覚に陥った)。それまでずっと満たされてなかった、人生の何もかもが上手くいってなかった私にとっては、飢餓状態の時に与えられたご馳走に他ならなかった。貪る手を止めることはできない。今となってそれは「ドーパミン中毒」だったと客観視することができるけど、当時の私は知る由もない。それはギャンブルやソシャゲの課金がやめられなくなる依存状態となんら変わりなくて、それを止める方法はメタ認知すること・自分を律すること。でもこれって、健全な心理状態の人でも容易ではないことだから、精神が不安定だった当時の私に、そんなことができるわけがないのは当然で。
 その頃の私がどんな心理状態だったかといえば「チヤホヤされたい」とか「有名になりたい」とか、そんな生易しいものじゃなかったと記憶している。「私にはこれしかない」とか「これをやめたらもう誰にも必要とされない」といった、根深い恐怖心から駆り立てられていたように思う。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、当時の私はそのぐらい人生に行き詰っていた。同人活動で大勢の人から注目されるようになって、ようやく自分の価値を見出した、居場所を見つけた、という気がしていたのだ。自己重要度、他者貢献、安全基地、自己実現。その頃の私は心理学に出会ってなかったからこれらの言葉は知らなかったけど、もし当時の私に知識があったら、こういった言葉を割り当てていたと思う。

 なぜ私の自己肯定感が深刻なまでに低かったといえば、幼少期から虐待を受けて育ったことにある。十代のうちから人生に絶望し、生きる気力をなくしていたところに、作品を通して自分を認めてもらえたこと、褒めてもらえたことに「生きててよかった」とまで思ってしまった。それを人生の使命のように受け取って、気づけば執着に繋がって、自分自身のリソースのほとんどを、同人活動に注ぎ込んでしまっていたのだ。自分の内側にあるどす黒いものとか、痛ましい過去とか、そういうのを外に出さないように注意を払って、自分はノーマルで、充実した人生を歩んでいるのだと、愛想笑いをする。愛されて、恵まれて、豊かであるように、自分自身を偽り続ける。絵を描いて、漫画を描いて、同人誌を描いて、称賛や承認を途絶えさせないよう、食事や睡眠も疎かにして。もう何度も何度も心を殺されてきたから、今度こそは救うために、心を死なせないために描いた。それが結局、心を殺すことになってしまうのだけど、あの時の私にはそんなことを憂慮する暇なんてなかった。

 有名になった、売れっ子になったような錯覚に陥っていた私は、エゴを強めて、驕っていた。「この人よりもいいねが多い」とか「あっちよりもブクマがついた」とか。そういう競争心を持って、下を探しては安心して、自分を納得させようと必死だった。私は優れてる。ダメなんかじゃない。これだけの数がついてる。あの人よりも上。だから大丈夫。そういう風に考えていた。でもこれは同時に「自分より上の人たちがいる」という現実を、直視しなくてはならない視点だった。そのことに当時から気づいていたし、一体どうすればその思考から抜け出せるのか、わからなかった。誰も教えてくれなかった。「競争してしまう」「優劣の判断をしてしまう」「そういう自分がイヤだ」ということを、真剣に聞いてくれる人は周囲にいなかったし、インターネットで検索しても「比較しないようにする」とか「気にしない」「競争じゃないと自分に言い聞かせる」とか、わかりきった言葉にしか行きつけない。
 そもそもの原因が「低すぎる自己肯定感」だとか「懲罰的な思考習慣」だとか「深層心理に刻み込まれた劣等感・罪悪感」ってことは、私の目には留まらなかった。「毒親育ちで精神的な虐待を受けてきたから」ってことも、その時の私では辿り着ける答えじゃなかった。
 当時の私はまだ二十代だったから、現実から目を背け自分の本音を誤魔化しながら過ごしていたけど、当然、こんな精神状態で創作が続くわけがない。本当にそれをつくることが楽しいと思ってる人や、つくる喜びや幸せに溢れてる人達と、一緒にいられるわけもない。不幸を紛らわすために、死から遠ざかるためにつくろうとしてる私が、そういう人達と肩を並べて、一緒に笑えるわけがない。

 もうその頃には「このままではダメだ」と気づいていたと思う。創作のジャンルを移しても、趣味そのものを変えても、自分自身が変わらなければ、この現実は一生続く。不幸体質の自分の在り方や、比較して競争してしまう習慣、自分の価値を外側に委ねてしまう自尊心も、私が手放さない限り、ずっと携えたままになる。
 この時期私は三十歳目前で、同人活動を初めて十年近くが経っていた。過去に出会った作家さんの一部はプロとして活躍し始めていて、焦りとか、嫉妬とか、そういった重くて暗い感情に飲み込まれることも増えていった。
 仕事は上手くいってなかった。恋人もいなかった。貯金もない。部屋の片付けもろくにできない。自分は社会のお荷物で、生きる価値がなくて、存在の意義が感じられなくて、何をしてもしなくても、罪悪感がつきまとった。
 ゴミ出しの曜日はいつも忘れてしまうから、行き場をなくしたゴミ袋が玄関に山積みになってる。雨が降っても取り込むことのできない洗濯物。シンクに積まれた洗うことのできない食器。買ったまま放置された、シュリンクがかかったままのコミックとか、切れたままの電球だとか。床に転がったワインボトルからはすえた匂いがしていたし、冷蔵庫の中で放置された食材は腐ってカビが生えていた。ガス代とか水道代とか、期日までに支払えなかったことは一度や二度ではない。カレンダーは、半年前からめくってなかった。
 この頃の私は鬱病の初期状態にあったと、数か月が経って気づくことになる。死なないために創作をしていたのに、いつしか、心は完全に死んでしまっていたのだ。

 その頃から少しずつ、本を読むようになった。それまで集めていたアニメやゲームのグッズを売って、DVDやCDを売って、溜め込んでいた同人誌も、手あたり次第全て売った。そのお金で本を買った。こびりついた汚れを剝がすみたいに、過去を断ち切った。絵は描けなくなっていた。それよりも、現実を変えたかった。「不幸な自分」を、終わらせたかった。
 心理学に出会ったのも、この頃だと思う。YouTubeで専門家の動画をたくさん見て、少しずつだけど変容させていった。「心理学に関係した同人誌を出すの、面白いかも」と思ったのもこの頃で、そこから数年経って初めて評論ジャンルでサークル参加をすることになる。抜け出し始めた瞬間だった。それまでの私は、自分自身の不幸から逃げるために、自分を偽るために同人活動をしていたけれど、評論に移動してからは、自分自身の不幸を受け入れるために、自分が自分で在るために、同人活動をしている。だから自分の体験を漫画にして、本にした。恥も傷も不幸も、私の大事な経験で個性なのだと、受け止めようと思ったのだ。

 私の経験は、極端かもしれない。でももしかしたら、とてもありふれたものかもしれない。私の場合、元々持っていた自己肯定感の低さや、誰にも語れない不幸な境遇が、趣味である同人活動によって照射されたに過ぎない。もしかしたらそれが「仕事」の人もいれば「学校」の人、「恋愛」や「子育て」の人もいるだろう。その人にとって一番適した場所の一番適したタイミングで、光が当てられて、影の存在に気づかされる。目を背けずに向き合った人だけが、そこから抜け出すことができる。人生の課題。これは自分自身にしか解けない。

 もう随分と遠い過去のように思えて、振り返って文字に起こしてみたけど、思い出して心の傷が疼くようなこともなくなっている。今まさに苦しみの中にある人は、きっとたくさんいると思うけど、自分が望めばいくらでも抜け出せることを、伝えられたらいいなぁと思っている。というか「このままじゃダメだ」「変わらなきゃ」と思えた時点で「このままでいい」「変わらなくていい」と意固地になっている時の自分より一歩踏み出しているから、それはもう「変わり始めてる」のだよと、教えてあげたい。


 自分の苦しみは自分でしか癒せないけど、もし今悩んでいる人が辿り着く先のひとつに、私の言葉があるかもしれないよなぁと思って、この記事を書きました。同人で悩んだことがきっかけで、自分の人生と向き合うことになった人間がここにいるよ。当時は必死だったけど、今となっては「私って面白いなぁ」って、ユーモアとして受け止められるようになってる。こういう人間がいていい。こういうサークルがあっていい。こういう生き方があっていい。そう思える人が、もっと増えたらいいなぁって、そう思ってる。

六月二十九日 戸部井
(下書きに保存したまま忘れていました。投稿日:十月十七日)