映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』から考えるファッションの現在と未来-
注)当記事は、映画「ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー」をきっかけに“現在、そして未来のファッション”を考えています。映画の具体的な内容は含んでおりませんので、これから観る方は鑑賞の補助線として、既に観た方は鑑賞後の補足として読んでいただければと思います。
※当記事は、映画で詳細されるジョン•ガリアーノの差別発言に関して是非を問うものではありません。
ファッション界には異端児が必要だ
2024年9月20日(金)公開の映画「ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー」を鑑賞してきました。改めてジョンガリアーノが生み出した“閃光のようなファッション”とその背後で巻き起こった“天才ゆえの愚行”に引き込まれる116分間でした。
「宣伝してください!」といわれているわけではないので、映画概要はこの辺にしておきます。
本作の感想レビューはネットのそこらじゅうに転がっていると思うので、この記事では当ブログらしく、この映画で描かれた[ジョン・ガリアーノ]という一人のデザイナーの存在から“ファッションの現在と未来”について考えていこうと思います。
…と言いながらも、感想を一言だけ添えさせていただくと、
「デザイナーとしてのガリアーノって、どこまでも感情的でセンセーショナル!」という感じ。
映画の中で中心的に言及されるジバンシィやクリスチャン・ディオールのデザイナーを務めていた当時のクチュールは無論、近作のメゾンマルジェラでのショーに至るまで、ガリアーノ節が炸裂した衝撃的なピースの数々はファッション界に未だ大きなインパクトを与え続けています。
ガリアーノ特有のクリエーションの基礎は、本作でも触れられる幼少期〜青年期にかけて形成されたといえるでしょう。
厳格な父親や文化によって抑圧された性的指向。
劇団の衣装係を担当したことで芝居から得たインスピレーション。
“彼の中で抑圧され続けた自分”と“ステージ上で繰り広げられる芸術の解放”とがぶつかり合い、他のデザイナーには作り得ない「ジョン•ガリアーノの世界観」と呼ぶべきパワフルなクリエーションが世に生み出されたのです。(同時にそれらがハレーションを起こすことで、ヘイトクライムにつながっていくわけですが…)
彼が所謂“事件”を起こす前、ファッションは今よりもっと爆発していました。映画の中ではガリアーノがファッション界を“ロック化した”と語られています。
ファッションの現在地。そして、未来。
翻って、昨今のファッションといったらどうでしょう。
ファッションショーの多くは、卒なく受け入れやすいアイテムで溢れ、店頭は背景や文脈のないコマーシャルな商品で埋め尽くされています。
ガリアーノがロック化したファッション界は、今ではすっかり消費しやすいポップスばかりを好むようになったのです。
多くのデザイナーが“愚かな天才”ではなく“合理的なセールスマン”になったからなのか、「抑圧とその爆発を露わにした人間的なアイテム」は、滅多に見かけません。
SNSが主なコミュニケーションツールとなった昨今。
社会からの抑圧が抑圧のままに終わり、ファッションのコマーシャル化が益々加速すれば、ガリアーノのような人間性剥き出しのファッションデザイナーが新たに生まれることはないでしょう。
この映画を通じて、改めて「ガリアーノのような稀有なデザイナーの芽が、現代的な表面性の中で摘まれることがないことを願うばかりだな」と思いました。
お時間あれば、映画館に足を運んでみてください。“ファッション”や“デザイナー”について、あれこれ思いをめぐらせる時間になるはずです。
※当記事は、映画で詳細されるジョン•ガリアーノの差別発言に関して是非を問うものではありません。
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