本を読むことの利点を、改めて考えてみる。
「本を読みなさい」と注意されることはあっても、「本ばかり読んで」と注意されることはなかなか無いと思う。
ここにいらっしゃる皆さんはまだ、文章を読むのが得意なのかもしれない。でも年々人は文章を読めなくなっているとよく言われる。果たしてほんとうにそうなのかということについては置いておくが、わたしの傍には昔から本があるのが普通で、図書館に毎週通うのが普通だった。高校3年生、受験に向けて大詰めといった頃、「本ばかり読んでいて大丈夫なの?」と母親に心配された。「大丈夫。国語の読解力の練習になるから」と適当に答えていたが、今思えば全然大丈夫ではなかった。数学の夏のテストで赤点(限りなく青に近いレッド)を取った直後だったのである。昔から好きなことしか出来ないのは相変わらずだ。
映画と本は、わたしの好きな娯楽の二大巨頭である。しかしわたしにとって映画は趣味というより娯楽色が強めであるのに対して、本はそうでもない。どちらかと言えば呼吸のようなもので、無いと落ち着かないのだ。わたしは本を吸って吐き、映画や映像作品を食べて生きているようなものである。
映画は好きだし、オススメしたい作品も確かにあるが、映画を見ること自体を習慣にした方がいいとまでは思わない。しかし本は読んだ方がいいと断言出来る。今回は、わたしが読書によって得たものを書くことで、積年の「何故本を読まなければならないのか?」のわたしなりのアンサーとしたい。
本を読むメリット① 語彙や知識が増える
よく言われていることではあるが、読書が語彙を増やし、知識を鍛えているのは確かだ。こう言うとHow to本や何某かの指南書を思い浮かべて「そうだよな」と思うかもしれない。しかし小説についてもまた、「知らない知識を得る」という観点から読むことは可能だ。最近本格的に自分で小説を書きだすようになって特に思うのだが、作家は実に様々なことを見て、聞いて、経験して、また徹底的に調べて物語を書いている。そうでなければ、作家と同じ様な見た目や思考の人間ばかりが出てくる、非常につまらない物語であふれてしまうだろう。読者は物語に込められている作家が緻密に調べた事柄をひとつひとつ拾うことで、より濃縮された体験ができると思っている。自分で調べよう、勉強しようと思うより、人の勉強した道のりをたどるほうがはるかに楽である。けもの道を歩くより、誰かが舗装してくれた道を行くのが楽なのと同じだ。恐らく多くの人が、本を読むメリットとして、「語彙力や読解力向上」であったり、「多くの知識を身につける」ということを挙げるだろう。しかしそれでは若干足りないと思う。
厳密に言えば、ただ本を読む「だけ」では、語彙や知識は右から左へ抜けていってしまう。だからこそ感受性や知性で些細な物事を察知し、拾い上げるセンサーを養わなければならない。そしてそのセンサーを育てるのに一役買っているのもまた、読書なのである。
本を読むメリット② センサーの感度を高める一助となる
わたしは自身の好き、嫌いに敏感に生きているきらいがある。それはきっと、長年本を読んでいく中で培われ、醸成されたのだと思う。「なんか好き」も、「なんか嫌い」も、必ず理由があるはずである。それがたとえ明快な解として導き出されなくても、「なぜ好きか」「なぜ嫌いか」を一歩引いた場所から分析し、自身の心象の解像度を上げることが、安易に人を批判し追い詰めることの抑止力になると思う。自己理解と他者理解は根本を一にしている。些細な言い回しの違いを徹底的に検討したり、いちいち「なぜ」「どうして」を考えることは時間がかかるし非効率的かもしれない。しかし効率非効率で語ってはならない物事の尺度にまで、効率化を持ち込んではならない。ちなみにこのセンサーの持続力には大いに個人差があると思うが、私の場合は物語や文章、映像作品、演劇等に久しく触れないとすぐにへなってしまう。でもだいたい、そういう風にできているんだと思う。ぼんやり生きているだけでは使うことのないセンサーを常に働かせておくのは難しい。でも、いつか必ず役に立つ局面が来ると信じて、わたしは今日も本を浴びながらせっせこ育てている。
本を読むメリット③ 過不足ない想像力を鍛える訓練ができる
ただの「想像力」ではなく、「過不足のない」想像力である。文章には、映像効果や音響効果がないので、必然的に余白(マージン)が生まれる。この部分を適切に補い形にするのが、「想像力」であり、「読解力」であると考えている。ただむやみに補完するだけがすべてではない。ああでもないこうでもないと思考を巡らせ、時に他者と意見を交わしながらとめどなく考える思索行為には、何物にも代えがたい価値がある。勝手に推し量って語ることが、悲劇を招くケースもある。ある程度の方向性をもって(正しく、と一口に言ってしまっていいものなのかどうかわからないが、今はそう言っておく)、しかし独自な切り込みを入れて再構築する。これが解釈のあるべき姿で、物事を見たいように見ることではない。このあたりも本を読むことで鍛えることができると思う。
本を読むメリット④自分でない物語が何より楽しい
しかしこれまで色々と書いてはきたものの、いちばんしっくりくるのが「楽しい」ということである。自分ではないひとの、人生の追体験や、対話ができる(と、思っている)。友達の少ないわたしだが、今までなんだかたくさん人としゃべってきたような気がするのは確実に読書のおかげである。没入感は他のコンテンツにも充分あるだろうが、本には本なりの没入感がある。楽しみ、味わいながら本を読むことができたら、それはもう最高だろう。
ここまでつらつらと語ってきたが、やはり本を好きなわたしが好きであることを前提としているためにある理論の穴はいくらでもある。言葉足らずなところも。だから是非本を読んで、あなた自身でわたしのこの文章を補ってほしい(文章力のなさを、他人に委ねて解決しようとするいけない面が出てしまった)。
活字を読む(というか、追う)ことに苦手意識のある人も多いと思うが、絵本や児童書の類を読んでみるのもいいのかもしれない。最近は大人向けの絵本も出されている(この辺は、順を追って紹介していきたいけれど、長くなってしまうので、またの機会に)。
本は会話と並んで、限りなく物語の源泉に近いのだと思う。
言葉に絶望し、それでも言葉を諦めきれないわたしにとって、純粋な言語だけで勝負する本という媒体は、とても稀有でかけがえのないものなのだ。