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『昭和天皇の研究 その実像を探る』本棚に置いておきたい1冊だ(日本の歴史)

 「さくら舎」から山本七平さんの著作の復刻版のようなものがたくさん出ていたので、ほとんど読んでみたが、それらの中で断片的に語られていた昭和天皇と戦争責任に対する考察をまとめた集大成が本書だ。昭和生まれの私としては、スペースが少ない本棚に置いておきたい1冊になる。

 山本七平さんの昭和天皇と戦争責任に対するアプローチは、「昭和天皇の自己規定」を深堀することで、どのような思考でどのような判断あったかを考察するという方法だ。昭和天皇の自己規定は、ひと言でいうと「立憲君主制」だ。つまり、憲法上の責任者が審議を尽くし、裁可を請われた場合、あるときは裁可し、あるときは裁可しないとはできない。昭和天皇の心持ちで判断する専制政治(神権的独裁君主)でなく、明治天皇が定めた明治憲法に絶対遵守という自己規定が明確にあったという。

 しかし、元侍従長は戦後まもなく昭和天皇の「二・二六の時と、終戦のときのニ回だけ、自分は立憲君主としての道を踏み間違えた」という発言を紹介している。昭和天皇が寄って立つ立憲は明治憲法だが、それは「五箇条の御誓文」をその基礎として意識しているものだ。昭和天皇の「憲法の命ずるところにより・・・」という言葉に表れているように、天皇がトップではなく、その上に憲法があると考えているのだろう。
 これらの立憲君主制を第一と考える昭和天皇の自己規定は、昭和天皇の教師であった白鳥庫吉博士と杉浦重剛の影響が大きい。このことを、教科書である「倫理御進講草案」から立証しつつ、英国王であるジョージ五世への強い親近感と第二外国語がフランス語からの親英仏米、反独伊の心情などを教師の経歴からまとめている。

 日本は国体護持を条件に、ポツダム宣言の受諾の意志を連合軍に通達、その後の連合軍からの「日本政府の形態は、日本国民の自由意志により決定すべき」という返事に対し、国体護持につながらないと軍部は大反対。昭和天皇は、そのときの以下の発言を「終戦のとき立憲君主としての道を踏み間違えた」と位置づけている。

「それで少しも差し支えないではないか。たとい連合軍が天皇統治を認めて来ても、人民が離反したのではしょうがない。人民の自由意志によって決めてもらっても少しも差し支えないと思う」

 つまり、五箇条の御誓文の通り「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とし、議会からの結論でポツダム条約受諾、あるいは却下という裁可が上がり、昭和天皇が判断したのではなく、天皇という神権的独裁君主として、自らの判断を意見として述べたことが、立憲君主制ではないということだ。また、マッカーサー会談についても、ドイツ皇帝のウィルヘルム二世が、第一次大戦の敗戦後、すべてを投げ出しオランダに亡命したことを反面教師とし、「私に全責任がある」と発言したのだろうとしている。(昭和天皇は反独伊)

 最後に山本七平さんは、昭和天皇の自己規定としての立憲君主のあり方は、憲法を維持するために必要だとし、しかし「閣議決定」が上奏され、それを裁可したら戦争になる場合、憲法遵守は「罪」なのか、そうでないのか、それは人々の判断に任せるとして本書を締めくくっている。

 昭和天皇がマッカーサー会談で守ろうとした人民は、開戦裁可時に、例え彼が憲法を逸脱したとしても、それを「罪」としたであろうか、という問題については、本書のテーマを超えてしまうため、言及はない。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。