『スモール イズ ビューティフル』人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしい(人間学)
参考文献に入れたこともあり、改めて、E.F.シュマッハーを読み直してみた。新たな発見がいくつかあった。たとえば、宇沢弘文氏は、社会共通資本を、自然環境(大気、水、森林、河川など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道など)、制度資本(教育、医療、金融など)という3つの範疇にわけて考えているが、同じ経済学者であるシュマッハーは、「化石燃料」と「自然の許容限度」と「人間性」にわけている。人間性を社会共通資本ととらえているためか、教育を、土地、工業資源、原子力、技術などの資源と同列に比較し、最大の資源としている。
シューマッハーは、教育の役割として、まず何はさておき価値観、つまり、人生いかに生きるべきかの観念を伝えなければならないとしている。各章に列挙されている参考文献に聖書が入っていることから、彼は形而上学が世界を創造するという考え方を根底にもっているのだろう。
シューマッハーの中間技術の考え方には、形而上学の思想が染み込んでいる。たとえば、賃金が低くても、あまり生産的といいかねる仕事でも、仕事がないよりましだという考え方には、職場の数を無視して、算出高か所得で成功不成功を測るような経済計算は、開発という問題を静態的に扱うだけで、貧困の状況にはまったく適さないとまで断言する。
動態的な方法であれば、人々が何を望み、どう反応するかに関心を向けることになる。人々の第一の願いは、なんらかの仕事について少額なりとも収入を得ることで、自分の時間と労働が社会に役立っているという実感をもつことだ。したがって、みんなが何かを作る方が、一部の少数の人がたくさんのものを作るより大事なのだ。
人間は小さいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいというシュマッハーの考え方に、私は共感する。