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『公共哲学とは何か』田中正造とグローカル公共哲学の存在を知った(日本の歴史)

 日本でこれから問題が表面化する「多文化共生社会」と「地域創生社会」に対して必要な公共哲学という考え方をまとめた入門書。公共哲学とは、「政府=公」と考える従来の国家哲学ではなく、人々を担い手とするのが公共哲学である。著者は公共哲学を、タコツボ的な従来の学問に対するイノベーションだとし、トランス・ディシプナリー(学問横断的)と包括的な視座を必要とするものとしている。公共哲学をはっきり定義した哲学者はハンナ・アーレントで、彼女は公共的なものを以下の2つの意味で定義した。

1)万人によって見られ、開かれ、可能な限り最も広く公示されている現れ
2)私達すべてに共通する世界

 注意すべきは、1)の万人を「独自性をもつ多種多様な人々の構成体」としている点で、これが「多文化共生社会」につながり、2)は「地域創生」につながる。当然のことながら、公共性は「私」を「公」に従属させるものではない。アーレントが公共性を主張する理由は、師匠で、かつ愛人であったハイデガーの公共性が、個性を失った人(ダス・マン)の集合体とみなすことの逆手をとったものなのだろう。

 原始キリスト教からのパウロの思想は、奴隷も自由人も、ギリシア人も、ユダヤ人も区別なく平等に原罪から開放されるという意味で、公共性だとしている。しかし、モスク(アッラー)を媒介したザカート、シーア派のフムス、ウシュル、ハラージュ、ジズヤ、サダカ、カルド・ハサン、ワクフなどのイスラームの公共性についての解説はない。

 本書から学んだ点は2つある。
 ひとつは、明示国家に抗して、地方自治の確立のための独創的な公共哲学(足尾銅鉱山毒事件への抗議運動)を行動した田中正造の存在と、カントの「世界市民=地球市民」と多文化共生社会を対立させない「グローカルな公共哲学」の存在だ。いずれも興味深く、さらに学んでみたいと思う。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。