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「目頭を押さえた」舞台感想

はじめに

大変ご無沙汰しております。イノコノコノコです。
「ご無沙汰」と書きましたが、前回の記事が2021年12月6日ということで、ご無沙汰どころの沙汰ではありませんね…。舞台をいろいろと観てはいたのですが、仕事の方でバタバタとしており、感想まで手が回りませんでした。

しかし!今回は何としてでも皆さんに感想をお伝えしたい作品に出会ったので、再び舞い戻って参りました!!その作品こそ、演劇引力廣島第19回プロデュース公演「目頭を押さえた」です。

今回もできるだけネタバレは避けたいと思いますが、後半若干ネタバレを含みますので、「ネタバレ注意!!」の表示にはご注意いただければと思います。

演劇引力廣島とは

さて、感想に入る前にプロデュースしている「演劇引力廣島」について少しだけ説明します。

「演劇引力廣島」とは「演劇創造を通じて、広島から他地域へ出ていくだけでなく、他地域からも広島を目指してきてもらえるような、双方向の関係が築いていける魅力ある演劇都市「広島」を目標に名づけられました(パンフレットより引用)」という広島市文化財団の演劇事業とのことです。あくまでも企画公演なので、座組も毎公演異なり、今回は広島で活動する人と県外で活動する人がミックスする形で構成されていました。

市を挙げて演劇文化の振興に取り組むなんて、広島はすごい街だなぁと深く感心しつつも、さらにすごいのはその内容です。今回19回目ということで、実は私、第15回公演の「昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ」も観劇しているのですが、これがすごかった!何がすごかったかというと、群像劇のお手本のような作品で、計算されつくされた立ち位置やタイミング、構成にはただただ舌を巻くばかりでした。

そんな期待値爆上がりの今回のプロデュース公演「目頭を押さえた」、劇団iakuの横山拓也さん作・演出でキャストは何と倍率10倍のオーディションをくぐり抜けた人たちで構成されているそうです。これはワクワクしない方がおかしいですよね…。というわけで、ここからはそのワクワクを抱えながら観た私がこの作品から何を感じたのか述べていきます。

目頭を押さえた

ワクワクしてフワフワしていた私ですが、観劇後はしっかりと足に地をつけて、心をグッと鷲掴みにされ、そしてすっきりとしていました。端的に言うとそんな舞台です。文句なしのハイクオリティ会話劇、演劇の力をまざまざと突き付けられました。

キャスト

さすが、10倍。個性を残しつつも安定的な演技で終始釘付けになりました。特に杉山馨役の池村匡紀さん。感情のふり幅の大きな役でしたが、無理矢理な感はなく、スッと言葉が入ってきました。また、「母」を全身で体現したような中谷史子役の市原真優さん。節々から感じる母の圧と身勝手さについつい笑ってしまいました。余談ですが、演じるとき身近すぎる人って結構難しいと思うんですよね。情報量が多くて、表現がまとまらないというか、どこからどう手をつけていいんだろうってなると思うんです。でも。市原さんはそんなことを一切感じさせず、「自然な紋切型」とでも言うべき母を演じていらっしゃいました。これはすごい技術ですよね…。
他のキャストの方も「会話」そして「舞台上ポジショニング」においてかなりハイレベルだったと思います。キャストの中には中学生や高校生もいましたが、キャリアの差はほとんど感じませんでした。演出力・育成力もあるとは思いますが、すごいポテンシャルの持ち主だと驚くばかりでした。

装置(※ネタバレ注意!!)

会話劇に即した具象舞台ではありますが、あまりゴテゴテせずすっきりとした舞台でした。上手奥を小高くして小屋(作品内では喪屋と呼ばれる)がしつらえてあるのですが、つくりが丁寧なのはもちろん、舞台ツラにある居間と同じ空間に存在しているのがいい味を出していました。ドラマではカットを割れば簡単に別空間を表現できますが、舞台上でしかも具象的な装置で別空間を表現するのは簡単ではありません。それでも、舞台上に二つの空間をつくっていたのは、日常をよりリアルに表現するために必要だったからではないかと思います。舞台では色んなものがそぎ落とされて表現されています。何を舞台上に残すか、その選択は作品が伝えたいものが何かを意味してるのかもしれません。

脚本・演出(※ネタバレ注意!!)

今回最も感動した部分です。脚本・演出ともに同一の方が担当されているので、まとめてお話しします。私はこの脚本で人の会話の面白さ、ドラマチックさに強く胸を打たれました。「都会っ子大学生の家庭教師」と「都会に憧れる田舎高校生」の初めましての会話、「進路のことで揉める父子」の会話、「微妙に距離感のある義理の兄弟」の会話…どれをとっても他愛のない会話ですが、その他愛のない会話に強く惹きつけられました。もちろん、言葉選びや関係性の描き方が丁寧であることが、会話に惹きつけられた大きな理由ではありますが、今回はそれと同じくらい「空間のつくり方」にポイントがあったのではないかと思います。

会話をするには基本的には会話に参加する役者が舞台上に存在する必要があります。そして、存在するだけでなく会話をする動機が必要です。これらをクリアした後に会話が生まれ、役に関係性が紡がれ次の会話につながります。当たり前のことですが、今述べたことは結構難しいことだと思います。ドラマを生み出すために無理矢理役を登場させたり、動機もないのに関係性を何とかつくろうと台詞をねじ込んだり、脚本を書いているとやってしまいがちではないでしょうか(ちなみに私はよくやってしまいます…)。しかし、この作品には常に会話に「必然性」があり、その必然からドラマが生まれ物語が進んでいきます。必要な人が必要な場所に現れ、役として必要な言葉を言う、それが役の関係性を深め、物語を前に推し進める。これは会話劇の理想形なのではないかと思います。ドラマを生んだのではなく、気づいたらドラマが生まれていたという最高の形でこの作品は進んでいきました。最近、純粋な会話劇を見ることが少なかった私は、「言葉の力ってすごい…」と改めて感じさせられました。脚本的には決してすっきりとした内容ではありませんし、むしろ後半は突き付けられる現実に涙してしまいましたが、それでも私の心はすっきりとしました。作風に関わらず、良い作品を観た後はこういう気持ちになりますよね。

おわりに

今作は私に改めて演劇のすばらしさに気づかせてくれました。最近、私も恥ずかしながら脚本を書く機会が増えたのですが、つい自分の言葉の力を信じ切れず、尖った演出やパフォーマンスで乗り切ろうとするものばかり書いていました。でも、言葉が持つ力は本当は私が思っている以上に偉大でした。言葉を紡ぎ、人が動く、それだけで演劇は充分に面白いんだと思います。ぶっ飛んだパフォーマンスも演劇の魅力ですが、日常の会話を切り取るのも演劇の魅力ですよね。こんな偉大な作品に出会えたことに感謝します。

最期までご覧いただきありがとうございました。不定期ではありますが、今後も頑張って掲載していきます!

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