腰まで泥まみれ~「関西フォークの旗手」高石ともや氏~

2024年8月20日付朝日新聞朝刊の小さな死亡記事に目を疑った。

「関西フォークの旗手」と呼ばれ、「受験生ブルース」のヒットなどでも知られるフォーク歌手の高石ともや(たかいし・ともや、本名・尻石友也<しりいし・ともや>)さんが17日、京都市内の病院で死去した。82歳だった。(略)
北海道出身。大学在学中に大阪に行き、ボブ・ディランらの曲の歌詞を訳して歌う。1966年に「かごの鳥ブルース」でデビュー。受験生ブルースは68年にヒットした。
反戦・反体制のメッセージを込めたフォークソングを多く歌い、「関西フォーク」をリードした。マラソンの愛好家としても知られた。

朝日新聞2024年8月20日付朝刊

驚いたのは、出身が関西ではなく北海道だったということだがしかし、私は知っていたはずだった。
だが、彼を一躍有名にした「受験生ブルース」は私が生まれる2年前の1968年にヒットし、だから私にとって彼の印象は「受験生ブルース」と「マラソン・トライアスロンの人」だった。
いや、それも違う。恐らく、私にとって彼は「"高石音楽事務所"の人」だ。

なぎら健壱著『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫、1999年)には、こう書いてある。

(19)68年2月、立教大学八回生がキャッチフレーズの高石友也が<受験生ブルース>という受験戦争を皮肉った唄を出すのだが、この曲もアングラ・ソングという売りからして<帰って来たヨッパライ>のヒットに便乗するものであることはあきらかであった。実際レコード会社もそうした考えのもとに発売したと思われるが、実はこの両曲の著作権は同じ会社が持っていたのである。関西の秦政明という人物が管理をしている、アート音楽出版がそれであり、この秦はすでに高石とともに67年に『高石音楽事務所』という会社を作り、関西を中心に活動をしていた。

なぎら健壱著『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫、1999年)

改めて驚いたのは、高石氏は昔から音楽をやりたかったわけではなかった
ということだ。

高石は大学に在籍しながらも、学校には出席せず釜ヶ崎でラーメンの屋台を引いたり、飯場に住み込み肉体労働をやって金を稼いでいた。その頃知合った工事人夫の友達にギターと唄の楽しさを教わり、楽器屋に200円、300円と預かってもらい、8000円貯まったところで一万円のギターを手に入れる。このギターを持って各地を歌い歩き、プロとして第一歩を踏み出すのである。

(同上)

当時、大阪労音に勤めていた音楽評論家の田川律氏は、こう振り返る。

高石友也が、本名の尻石友也で大阪労音の事務所へあらわれはじめたのは、67年の秋頃でなかったか。その頃かれは立教大学に籍をおき、主としてフォーク・ソング、それも社会性の強いあちらのフォーク・ソングを日本語に翻訳してうたっていた。(略)はじめて労音の事務所でかれに会った時、東京の、しかもカレッジのフォーク・シンガーでありながら、えらい土臭い、汚れて、ジジムサイ奴やな、という印象だった。それはしかし好感の持てる顔でもあった。人懐っこい笑顔は今と変わらず、笑うと途端にとても童顔になった。

田川律著『日本のフォーク&ロック史 志はどこへ』(シンコーミュージック、1992年)

『えらい土臭い、汚れて、ジジムサイ奴』という印象は、恐らく彼の音楽の出自が「釜ヶ崎」にあるからだろう。

『人懐っこい笑顔は今も変わらず、笑うと途端にとても童顔』という風貌については、早川義男氏がこう記している。

僕が高石さんと初めて会ったのは、去年(1969年)のリサイタルの時だった。『受験生ブルース』しか知らなかった僕は、「殺し屋」や「腰まで」や「大統領殿」を聞いてびっくりした。『腰まで泥まみれ』を歌う姿はプレスリーのようで、うちの奥さんは高石ともやを色男だと言うのです。

早川義男著『ラブ・ゼネレーション』(シンコーミュージック、1992年)

「腰まで泥まみれ」は、痛烈な反戦フォークだ(原曲はピート・シーガー)。

軍隊の演習で、隊長が『河を歩いて渡れ』と隊員に命じた。
命令に従い隊員たちは、重装備のまま川を渡り始め、膝まで泥まみれになり、さらに進んで腰まで泥まみれになる。
隊員たちは隊長に「引返しましょう」と箴言するが隊長は「そんな弱気でどうするか。俺は前に渡ったことがある。俺についてこい」と、自ら先頭を歩き始めた。隊員たちがいよいよ首まで泥まみれになった時、前から叫び声が聞こえ、隊長のヘルメットが水に浮かぶのを隊員たちは見た。
彼らは引返し、隊長だけが死んだ。

『これを聞いて何を思うか あなたの自由』

僕らは腰まで泥まみれ だが馬鹿は叫ぶ「進め!」

別に戦争に限ったことではない。

ネットに度々アップされる度が過ぎた悪ふざけの動画、人を死に至らしめるまで止まない誹謗中傷。
過去に散々同じような事例を見て来たのにも拘わらず。
炎上騒ぎになったり、誰かが亡くなったり傷ついて。
苛めもまた……

そこに至って、ようやく誰もが思う。
「どうして誰も止めなかったのか? 誰かが『やめよう』と言えばよかったんじゃないか」

僕らは腰まで泥まみれ だが馬鹿は叫ぶ「進め!」


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集