吉田ルイ子著『ハーレムの熱い日々』

2024年10月5日付朝日新聞夕刊の「惜別」欄に、同年5月に亡くなったフォトジャーナリスト・吉田ルイ子さんの記事が載った。

米国社会が激しく揺れ動いていた1960年代初めから約10年、ニューヨーク・ハーレムの黒人たちを撮って世に出た。その後、沖縄やベトナム、ニカラグア、南アフリカなど世界数十カ国を飛び回り、人々にレンズを向けた。カストロ、金大中、マンデラら要人にも会っている。
9月半ばの「偲ぶ会」は、そんな社会派のお硬いイメージを心地よく裏切るものだった。俳優の中村敦夫さんや報道写真家の石川文洋さんら著名人に限らず友人知人が、気さくで酒好きで寂しがりやな吉田さんの素顔を紹介した。
公私ともにつきあいの深かったクリエイティブディレクターの小池一子さんは、おしゃれで面白いものを常にいち早く見つけてくる才覚に驚かされていたと話す。「どこでも人気者。相手の懐に飛び込み、一瞬にして心を開かせる天性の力がありました。恋多き女でした」

そして記事はこう結ばれる。

ちくま文庫の30代の女性編集者の熱意で『ハーレムの熱い日々』が復刊したのは、訃報から2か月後。黒人男児のまっすぐな瞳がまぶしい。自由と友愛を希求したジャーナリストのバトンが渡される。

吉田ルイ子著『ハーレムの熱い日々』(ちくま文庫、2024年。原著は1972年刊。以下、本書)は、彼女がハーレムに住むようになり、そこで出会った人たちを撮るためにカメラを手にしたことが綴られている。

当時のハーレムは差別された(が故に貧しい)黒人たちが住むスラム街だった。

だから、結婚したての私たちが住宅を探すために大学の住宅相談室に行った時、小太りで黒ぶちの眼鏡をかけた係の女性に、
「いやならいやとはっきり言ってください。あなた方はハーレムに住むのは絶対にいやですか?」
と言われた時、私は一瞬戸惑いはしたものの、内心は期待で胸がふくらむのだった。

彼女らがこう提案されたのは、ハーレムの治安を良くするため、『コロンビア大学の社会福祉科が市と協力して、実験的にコロンビア大学の学生夫婦に入ってもらうことにした』からで、彼女たちは部屋の広さや家賃の安さといった好条件にひかれ、入居することにした。

引越し当日から彼女は、初めて見る肌の色に興味津々のハーレムの人たちに囲まれることになる。
そして隣に住む『五つくらいの女の子』バニスと出会う。

バニスはすっかり私を遊び仲間にしてしまっていた。だから、パパやママとゆっくり話す間もなく、彼女は私の手をひっぱって二十一階に住んでいるケント君のところに連れていった。
ケントは九つで、バニスのボーイフレンドだ。(略)
こうしてバニスやケントなど小さな友だちと一緒に、私のハーレムの生活が始まった。

そう、先の記事での『どこでも人気者。相手の懐に飛び込み、一瞬にして心を開かせる天性の力がありました』という小池一子氏の言葉は、故人を美化したものではない。

先に引用したように、吉田さんがハーレムに住むようになったのは『実験的にコロンビア大学の学生夫婦に入ってもらうことにした』からで、つまり彼女はコロンビア大で学ぶ学生で、当時はジャーナリズム科に籍を置いていた。

ちょうどその頃、私はバニスのバースデーパーティによばれた。誕生日の記念にと思い、私は35ミリのカメラを持って出かけた。これは日本にいる時に家庭教師をしていたカメラ屋さんから餞別にもらったものだが、アメリカに来てからもほとんどいじったことがなかった。機械にあまり強くなかったからだ。
ところが、赤いドレスでおめかししたバニスを撮った一枚の写真が、その後の私の生活をすっかり変えてしまったとは……

彼女は『ジャーナリズム科からドキュメンタリーフィルムとフォトジャーナリズムのコースに籍を移した』。
そうして、「フォトジャーナリスト・吉田ルイ子」が誕生する。

『黒人男児のまっすぐな瞳がまぶしい』写真が印象的な本書だが、中にも彼女が撮った1960年代の「移りゆく」ハーレムの写真が多く掲載されている。
「移りゆく」と書いたが、それは順を追って写真を見ていけばわかる。
始めのうちは、笑顔や純朴そうな人たちの写真がならんでいるが、ページをめくる毎に段々と人々から笑顔が消え、瞳は鋭くなる。

1964年7月19日、まんじりともしない夜が白々と明けてきた。
白人のアパート管理人と争いを起こした15歳の黒人少年が、私服の白人警官に射殺され、これに怒った黒人たちが各地で暴動を起こし、ついにハーレムでも爆発したのだった。2日間にわたる黒人と警官の撃ちあいをアパートの窓からヘルメットをかぶってずっと見ていた。銃声はまだ続いている。

自分たちにも危険が迫り、さらに愛車をめちゃくちゃにされた怒りから、それまで温和でフレンドリーで黒人からも慕われていた夫が初めて見せた、黒人への強烈な差別意識……

あの"ハーレムのリンカーン"と言われていた彼が、しかも私より物に対する所有欲のない彼が、たった車の一台をめちゃめちゃにされたからといって、人種闘争運動に参加している者にとってタブーである"ニガー"を口にするとは……
私はこわれたガラスの破片や部品を拾いながら、涙がとめどなく出てくるのを抑えることができなった。
車への感傷ではない。こわした黒人たちへの怒りでもない。人種差別問題に無知な私に、黒人を軽蔑したり、差別したりする言動をとってはいけないとあれほどいっていた理想主義者のロバートが、自らそれを破ったことが悲しかったのだ。あれほど私は彼を信じていたのに……

理想主義者の中にも脈々と流れ続ける差別意識。
半世紀以上経った21世紀の現在でも"BlackLivesMatter"などの問題として続き、解決の兆しを見せない。

解決する術はあるのか?ヒントは本書に書かれている。
差別意識は、黒人たちを理解せず、関係を持たないことによる「無知ゆえの恐怖」から生じるのではないか。
本書には、ハーレムに住む人々の「白人と変わらない普通の生活」が生き生きと描かれている。
本書を読むことは、彼らを理解することにつながる。
まずは本書を開くところから。


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