電気系エンジニアは面白く読める。ヤオヤから辿る電子楽器の歴史~田中雄二著『TR-808<ヤオヤ>を作った神々 電子音楽 in JAPAN外伝-菊本忠男との対話-』

2024年10月4日夜、NHK-Eテレにて「星野源のおんがくこうろん」という番組が再放送された(初回放送は2022年12月24日)。番組のテーマは「世界の音楽を変えたジャパニーズマシン 808」。

星野氏曰く、『一人のプロデューサーや音楽家よりも、もしかしたら、世界に影響を与えているマシンなんじゃないか(と思う)』。
「808」こと「TR-808」-通称「ヤオヤ」-は、日本の電子楽器メーカ・ローランドが1980年に発売したリズムマシンの型名。
今のミュージックシーンでも数々のアーティストの楽曲で聞くことができる(ただし、現在は808の音のクローンがほとんど)独特のドラム音を発するTR-808は、世界中に広まっていくサクセスストーリーとともに半ば伝説化している。

その番組を見た数日後、私は渋谷の書店で偶然、一冊の本に出合った。
田中雄二著『TR-808<ヤオヤ>を作った神々 電子音楽 in JAPAN外伝-菊本忠男との対話-』(DU BOOKS disc union、2020年)だ。
菊本忠男氏は、TR-808を始め、ローランドのリズムマシンを中心とした製品開発の中心人物で、2022年12月17日にNHKで放送された「ノーナレ 808 Revolution」という番組で、怪しげなガレージ工房のようなところで作務衣を着てインタビューに答える男性こそが彼本人だ。

本書では、その菊本氏本人が、ローランド在籍時代に開発した技術・製品を田中氏のインタビューによって振り返っている。
これが、20世紀半ばから21世紀の現在における、日本のみならず世界の「電子楽器」だけでなく、世界の技術が「電気(ハードウェア)」から「ソフトウェア」に至る、素晴らしい歴史書となっている(故に、かつての「電子立国ニッポン」が現代において没落している顛末までがわかる)。

何より驚くのは、それを単なる製品の変遷ではなく、「電気技術」の変遷で説明していることだ。
だから本書は、楽器好きが「懐かしい」と懐古するものではなく、電気系のエンジニアのサブテキストのような内容になっている。

それはローランドという会社が「電子技術」を大事にしていた証でもある。
それを象徴するのがヤオヤの型番「TR-808」で、「TR」はリズムマシンだから付けられたわけではなく、電気系のエンジニアなら一般常識である「TR=トランジスタ」が由来なのだ(つまり、それほど、トランジスタの登場は革命的だった、という証でもある)。

本書が電気系のエンジニアが楽しめる本だというのは、冒頭において、シンセサイザーの元祖とも云えるモーグ(日本では「ムーグ」とも呼ばれる)の説明でも明らかだ。
長い引用になるが、これを読めば本書の特徴がよくわかるだろう(特に引用文末)。

最初に発明された音色合成の原理は「倍音加算方式」。フランスの物理学者、ジョセフ・フーリエが1796年に発表した「フーリエの定理」に基づく。(略)これを音響学の世界で理論化したのがヘルマン・フォン・ヘルムホルツ。フーリエ理論によれば、楽器の音はピッチを決定する基音と、音色を決定づける膨大な数の倍音の組み合わせからなっており、その数のオシレータを用意して時間変化をコントロールすれば、自然界にあるありとあらゆる音を模倣できるという「倍音加算合成」を発見する。これが最初のシンセサイザーの理論となった(略)。
一方、1950年代に当時の西ドイツで「電子音楽」の歴史が始まる。器楽演奏を否定し、シンプルなオシレータ数個で、純粋なサイン波で作曲を試みる現代音楽の一ジャンルとして誕生したもの。(略)関わったエンジニアにはフーリエ理論に基づく知識はあったものの「倍音加算方式」で音色合成するには、膨大なオシレータやエンヴェロープ装置が必要。それが現実的でないことは明白だった。
ドイツの技術者、ハラルト・ボーデがトランジスタを使って、音を制御する各機能を共通電圧で制御するモジュラー・シンセサイザー・システムの開発を50年代から研究を始める。(略)この原理に基づいて63~64年にかけて、東海岸のロバート・モーグが「モーグ・シンセサイザー」を(略)発明する。このときモーグらが用いたのが、倍音豊かな音をフィルターで削り、彫刻のようにして音作りする「倍音減算方式」。ここからシンセサイザーの歴史がスタートするのだ。
基本はVCO(略)、VCF(略)、VCA(略)からなっており、これらはすべて共通の電圧規格で制御する。これに時間変化のためのエンヴェロープ・ジェネレータ(略)、音の揺らぎを与えるLFO(略)が加わるのが基本でワンセット。LFOをVCO(略)にかければビブラート、VCFにかければワウワウ(グロール)、VCAにかければトレモロの音になると言えば、それぞれの機能がわかりやすいだろう。

さて、本書は真空管が使われた、クローゼット並みの巨大さで一面つまみだらけのモーグから、「TR」やその他半導体の登場で小型・省電力化、「Z80」や「intel8080」といったマイコンの登場でリズム・プリセットの搭載や操作性の改善、メモリの大容量化・低価格化により音色が増大し高クオリティ化し、サンプラーが出現する……

日本のメジャー電子楽器メーカは、ローランドの他に、最大手のヤマハ、そして電子計算機から進出してきたカシオ。この3社がしのぎを削る。

1980年代は「音源」。
ヤマハは1983年に発売した名機「DX7」でFM音源を搭載。
その翌年、カシオが独自のPD音源を搭載した「CZ-101」を発売。
ローランドは1987年、『FM音源のカウンターとして登場した』LA音源をお搭載した「D-50」を発売する。

私は楽器をやっていないが、小学校高学年の頃にNECからホビーユースに近いPC-6001というパソコンが出た。電気店のパソコン売り場にはパソコンスキの少年が集まり、勝手にプログラムのコードを書いたりして遊んでいた。
電気店には手作り工作キットのような物やちょっとした電子部品も売っていて、それら工作キットに部品をつけ足したりして改造して遊んでいる者もいた。
中学・高校生には高価な部品なんか買えなかったし、というか時代的に、高機能・高性能、小型で省電力な半導体なんて世の中になかった。
だから、部品の入手や回路の組み立てなど工夫するしかなかったのだが、そういったことを考えたり実行したりすることの方が、実は楽しかった。
パソコンだって8bitで容量も数キロバイト程度しかなく、パソコン雑誌に掲載された16進数が羅列された「マシン語」と呼ばれる「プログラム」をひたすら手で打ち込んでいたし、それらを参考に自分で「プログラムらしきモノ」を作っていた。出来たプログラムを実行してもただ文字が出てくるだけとかそんな程度で面白みはなかったが、それより「プログラムらしきモノ」を作るのに没頭した時間はかけがえのないものだった。
私が住んでいたのは田舎町だが、早熟な者は中学時代からバンドをやっていた。そういった者たちも恐らく、もちろん演奏は楽しかっただろうが、それに加えて、シンセサイザーに付いている様々なつまみやスイッチを操作して自分だけの音を作るのが楽しかったに違いない(本書ではそういった楽しみが豊富に語られている)。
本書を読みながら、そんな、まだ子どもだった頃の私の周りのことを楽しく思い出した。

しかし私は、唐突にその言葉に出会って、少なからずショックを受けた。
それは1990年代に入った頃の話……

菊本 この後メモリの価格が急速に低下します。メモリ拡張カードによるマルチサンプルのキーボードが普及して、シンセサイザーは消えていくんです。市場が求めていたのは、音作りできるシンセサイザーではなく、選択できるリアルな多数のプリセット音だったんです。

これは(落胆の)実感として良くわかる。
WindowsやMac(「Apple」じゃない)が普及して、パソコンはプログラムのためではなく、市販の計算ソフトなどを使うための道具になってしまった。
だから電気店からパソコンキッズがいなくなった。
テクノロジーが進化すると、人間が創意工夫できる余地が減ってくる。
市販品を買ったほうが、コストも手間も安くなるからだ。
じゃあ、そういった細かいことは市販のものに任せ、人間はもっと大きな創意工夫に向かったかといえば、現状、そうとは言えない。
何故か?
ヒントは、本書の「あとがきのあとがき」に寄せられた菊本氏の言葉に隠されているような気がする。

マーシャル・マクルーハンママメディア論に従えば、楽器はメディアで身体の「拡張」であり「主張」であるということになります。(略)人類史では機械、電気、電子の時代は前時代に比べると、ほんの一瞬で情報革命の時代はデジタル、コンピュータ、Webクラウド、IoTがメディアになってしまいました。現代は各種メディアから吐き出される情報は莫大で、もはや人間の「知性」リテラシーだけでは処理できない状態です。

ヤオヤを中心とした楽しい話を、と意気揚々と描き出してみたものの、気づけばちょっと寂しい話になってしまった……

とはいえ本書は、電気系の知識が少しでもあれば(楽器が弾けたり興味があれば尚更)楽しく読めるはずなので、是非手に取ってほしい。

ちなみに、モーグを始めとする1970年代末の電子楽器およびそれらを用いた音楽制作については、2021年に日本で公開されたフランスの映画『ショック・ドゥ・フューチャー(原題 LE CHOC DU FUTUR)』(マーク・コリン監督、 2019年)で確認することができる。
この映画にはローランドの名機「CR-78」の実機も登場し、その愛らしい姿だけでなく、魅力的な音とリズムと機能を堪能することができる。



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