映画『女優は泣かない』
映画『女優は泣かない』(2023年。以下、本作)を自ら小説化(小学館文庫、2023年)した有働佳史監督が、「あとがき」にそう記している。
冒頭で引用した有働監督の言葉は、「人間には多面性がある」ということではなく、梨枝と咲は「同一人物」だということを意味する。
違いがあるとすれば、それは「右/左」「表/裏」ではなく、「(二人が出会った時点での)before/after」ということになるのではないか。
そして、この"人物としての"「before/after」は、二人が出会うことにより、"成長としての"「before/after」に転じる。
そのキーワードは「プロ」だ。
物語の前半、密着ドキュメンタリー撮影をしている間、二人は頻繁に「プロ」と口にするが、その言葉は上滑りしている。
何故なら、二人とも「本当のプロ」を知らないからだ。
この時点での二人は全く同じで、それはつまり、「このままではいけない、とわかってはいるが、その外に出る術を知らず、だから、自身のこれまでの装備を捨てられない」ということで、その「とば口(before)」にいるのが咲で、「装備を捨てられないまま時を経た結果(after)」が梨枝である。
そして、この「装備を捨てられない」ことを「プロ」という言葉で誤魔化している(つまり、「手持ちの装備で戦って勝つのがプロ」みたいな……)。
「プロ」という言葉は、物語中盤、梨枝が家族に向き合わざるを得なくなり、咲がそれに帯同(何せ二人は同一人物なのだから)することにより、発せられなくなる。
そして終盤、"人物としての"「before/after」が対峙する。
「before」の咲が独白する。
この独白を受けて、「after」が自身の現状を認めることにより、物語は"成長としての"「before/after」に転じる。
つまり、二人が「外に出られなかった」のは、装備が重すぎたからであり、それ以上に「そこから出るのは負けだ」と勝手に固執して自らを縛り付けていたからだ。
「プロ」という言葉は、ラストに2回出てくる。それも、「after」から。
本作を観た観客が元気になれるのは、伏線回収ともいえるラストシーンで放たれる「プロ」という言葉の意味がすんなり心に沁みてくるからだ。
メモ
映画『女優は泣かない』
2023年12月6日。@ヒューマントラストシネマ渋谷
毎週水曜日の映画館のサービスデー。19時上映回は8割の入り。評判の高さを実感する。
まず印象に残るのは、梨枝を演じる蓮佛美沙子さんが、"サルタク"(上川周作)のタクシーの中でサングラスを外したときに初めて見せた「瞳」だ。
彼女自身がパンフレットのインタビューの中で、梨枝を『トゲのはえた柴犬みたいな子』と表現しているが、まさにサングラスといった『トゲ』の下に柴犬の愛らしさとピュアさが隠れていることを的確に表現していた。
伊藤万理華さんは、彼女の主演作『サマーフィルムにのって』(松本壮史監督、2021年)での『その体当たりの芝居と熱量を観ていて自然と伊藤さんが咲に見えてきて』と有働監督のコメントがあるとおり、映画ではないが『わたしがなくさない』と言い切ったハダシの情熱がまだ続いているように思えて、とても嬉しかった。
ちなみに、咲が足を捻挫するのは、物語上のご都合主義的展開だが、有働監督はもちろん自覚的だ。
咲が病室に忍び込み、真希(三倉茉奈)に見つかってしまう場面。
再び忍び込んだ咲は、そこで松葉杖を忘れてしまう。それが結局、咲の魂胆が梨枝にバレてしまう伏線になっているのだが、監督が咲の捻挫を自覚的に用いたとわかるのはそこではなく、事が済んだ後の2行だ。
ちなみに、本作はスッキリとした展開で観客を楽しませて元気を与える物語だからモヤッとした謎は残さない。
唯一あるとしたら「本当のラスト」1カットだ。
本文で、終盤「プロ」という言葉が2回出てくると書いた。
2回目はラストシーン。では1回目は?
全然関係ないが、升毅さんが病院のベッドで昏睡状態になっているシーンを観てふと、『沙粧妙子-最後の事件-』(フジテレビ系、1995年)を思い出した。