「人生はゲームなのか?」を手掛かりに「哲学」を知る~平尾昌宏著『人生はゲームなのだろうか』~
『人生はゲームではない』
平尾昌宏著『人生はゲームなのだろうか』(ちくまプリマー新書、2022年。以下、本書)はそう結論付ける。
いきなり結論を書いたが、別に"ネタバレ"ではない。
本書の趣旨は結論ではなく、それが導き出されたプロセスを「知る」ー正確には、「結論は他所から与えられるものではなく、自身がプロセスを経て導き出すものである」ということを「知る」ーことにある。
そのプロセスは「考える」ことだと本書は説く。
何やら難しそうに思えるが、本書を開くのに勇気や心構えは不要だ。
何故なら、本書は、(たぶん)中高生向けに書かれたものだからだ。
そうだからと言って、侮るなかれ。
本書は、"本来の意味での"「哲学とは何か」を教えてくれるのである。
最近(でもないのかもしれないが)、「哲学」とは、「世の中の不安、不満、不条理」について「それらの本質はこうだ! だからそんな世の中で生きづらいあなたは、こうするべきだ!」と、自分の生き方を指南してくれるものだと思っている人がいる。
「世の中の本質は哲学の長い歴史から既に導きだされていて、(現代の)哲学家はそれを教えてくれる人」と。
確かにそんな風に書かれた「哲学書(を装った本)」が度々売れているらしい。本書も一見、その類に思える。
しかし、著者は期待を裏切り、"本来の意味での"「哲学」は、そのようなものではないと説く。
たとえ「世の真理」というものがあったとして、それで自身が納得できるわけではない。
つまり、「哲学」は世の真理を解説するためのものではなく、自身が納得できる答え(らしきもの)を探し続けるものだ、と。
まぁこう書いても、ネットの”ネタバレ”記事やファスト映画などで「『結論(オチ)』だけ分かればいい」という人はいるだろう。
別にそれはそれで構わない。それがその人の生き方なのだから。
しかし、結論(オチ)だけ知って、それが何になるのだろう?
という自問は、一度くらいしておいても良いのではないだろうか。
『人生はゲームではない』という結論(オチ)だけ知っても、大して役には立たないだろう。SNSで呟いたところで、「それが何?」とか「そんなことは当然だろう」と云われるのが(それこそ)オチだし、それ以上突っ込まれても何も言い返すことはできないだろう。
本書を(ちゃんと)読んで、共に考えていれば、少なくとも自身の中で『人生とは何か』『ゲームとは何か』について、何かしらの「術」が身についているだろう。
そして、それらを身につけてきたプロセスそのものが、「世の中のあらゆる事柄」に応用できると気づいているはずである。
本書はこう教えてくれている。
人生はもちろん、小説、映画、恋愛、勉強etc……
結論(オチ)しかないのではなく、それを真に「理解」するためには、そこに至るプロセスこそ大切なのである。
「自分の心に聴く」ための道具が「哲学」である。
本書で道具を手に入れられる中高生が羨ましいが、大人だって遅くはない。
まだ間に合うはずだ。