舞台『嵐になるまで待って』

舞台『嵐になるまで待って』(成井豊脚本・演出。以下、今作)が、初演から30年を迎えた。

今作は演劇集団キャラメルボックス(以下、劇団)の主宰者で作・演出を務める成井豊が、1991年に出版した小説『あたしの嫌いな私の声』(主婦と生活社)を自ら上演台本に起こしたもの。
しかし、30年前の初演は劇団の本公演でなく『1993 キャラメルボックス・アナザーフェイス ダブルヴィジョン「い」組』として、劇団ショーマの高橋いさお氏の演出で上演された(ちなみに、今作も劇団公演ではない)。

劇団公演として成井演出で再演(改編)されたのは1997年のサマーツアーで、今作は、ほぼそれを忠実に再現しているといって過言はないだろうと思う。

広瀬教授の部屋を中心に、背後に透明のガラスが張られた格子状の壁、という舞台セットもそうなのだが、なんと広瀬教授のキャラやセリフまでほぼ踏襲されていて、あれ(特にジョディーとのやりとりのくだり)は看板俳優の西川浩幸のためのシーンだったはずだが、それを劇団☆新感線の粟根まことが忠実に再現していて驚いた(とはいえ、ジョディーとのやりとりでの最終的なキレっぷりは、AGAPE Storeの「BIZシリーズ」での「結城」を彷彿させて面白かったが)。

物語は、嵐が来る少し前から嵐が過ぎ去った日までの5日間に起こった出来事を、広瀬教授が振り返るという回想形式をとり、彼が語り部として物語を説明しながら進む。
物語を説明しながら展開する手法は、劇団というか成井本人の特徴で、書籍・日記・手紙を登場人物が読む(朗読)という手法もよく見られる(だから必然的に、回想形式になることが多い)。

この特徴が、劇団の評価が賛否両極に分かれる原因で、「芝居好き」を自負する人たちには概ね不評である。曰く、「わかりやすい」。
しかし、この「わかりやすさ」が観客を物語に没入させるのに絶大な効果があるのは事実で、現に私も今作を没入して観たし、カーテンコールで夢から覚めたような感覚に陥った(この没入感とそこからの覚醒は、かなりの爽快感をもたらす)。

この「わかりやすさ」は、もちろん、劇団及び成井本人が自覚的に選択しているものだ。
森本一夫著『キャラメルミラクル』(TOKYO FM出版、1999年)には、こう記されている。

キャラメルボックスの芝居にはさまざまな魅力があるけれど、どれかひとつ、と言われたらやはり「わかりやすさ」だろう。
(略)
(旗揚げメンバーで看板女優の)大森(美紀子)の言葉を借りれば、成井作品はある時期からどんどん「わかりやすく」なってきた。それはきっと、エンターテインメントを目指すプロの劇団、プロの作家としての意志表明であり、成井自身の大きな成長の軌跡でもあるのだろう。
(略)
キャラメルボックスはエンターテインメントとしての芝居を目指していた。「わかりにくいものが良い」と言われる時代に「わかりやすいものが一番」と主張した数少ない(もしかすると唯一の)演劇集団だったわけである。

「わかりやすい」のどこが悪い。

つまり、今作は、劇団初演(実質、再演)版が、成井のポリシーとしての「完成形」であり、だから時代を超えて「普遍的」だと判断しての上演だったということだろう。

メモ

NAPPOS PRODUCE 舞台『嵐になるまで待って』
2023年7月30日 マチネ。@サンシャイン劇場

実はこの芝居は、ある意味でエポックメーキングな作品である。
登場人物の一人である雪絵は「ろう者」で、2002年上演の三演版で雪絵を演じたのは、「ろう者」である忍足おしだり亜希子さんだった。
今でこそ「ろう者の役をろう者の俳優が演じる」ことが増えてきたが、当時は、ほとんど例がなかったのではないだろうか。
彼女はその後、高杉役で共演した劇団員の三浦剛氏と結婚した。
今作の手話指導に、お二人がクレジットされているのを見て、何だか嬉しかった。


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