加納 土著『沈没家族 子育て、無限大』
少し前に観た映画『石がある』(太田達成監督、2024年)に、川原で一心に石切りをする得体の知れない男が登場する。
未経験だという演技がこれまた怪しさを増している彼の名は加納土。もちろん本名だ。
演技未経験で俳優ではないとはいえ、彼は「映画」と無関係な人ではない。
彼は『沈没家族』というセルフドキュメンタリー映画を監督し、2017年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)で審査員特別賞を受賞した。
映画はその後、『石がある』と同じポレポレ東中野で上映された。
私は悔しいかな映画は観ていなくて、というか、彼自身がその映画の制作過程や後日譚を綴った『沈没家族 子育て、無限大』(筑摩書房、2020年)で映画の存在を知ったのである。
映画は先に書いたとおり「セルフドキュメンタリー」で、つまり著者自身が「沈没家族」の一員だった、というか、「沈没家族」自体が著者を育てるために作られたものだった。
当然だが、そういうチラシに興味を持ってくれる人はほとんどいなかったらしい。そこで、『穂子さんはまず、子育てに興味がありそう、おもしろがってくれそうな友人に、自分がいないあいだの子守りを託した』。
そこから徐々に人が集まり始め、必然的に穂子さんは、『集まってきたひとたちをつなげる役割も担うようになる』。
つまり当初「沈没家族」は、土くんを保育してもらう共同体のものだったが、いつしか「様々な事情を抱えた大人の寄り合い所」のようなものになっていった。その中には、穂子さんと土くんと同じような境遇の人たちもいた。
そして、そのことが実は大事だったのでは、と、著者は振り返る。
そして、子守りに来たわけでもない、ただ居場所が欲しかっただけの大人も、周りに(当然のようにいる)子どもたちと接するうちに認識が変わってきたという。
そういった経験から著者は、「沈没家族」が理想だとか正しい在り方だということではないと断ったうえで、こう綴っている。
「沈没家族」は、2000年代初頭、土くんが8歳のときに様々な事情により穂子さん(と土くん)が八丈島へ移住することで終焉する。
映画は、著者が当時の「沈没家族」に会いにいき、改めて「沈没家族」とは、いや「家族とは」を問い直している(と思う)。
本書は、著者(土くん)の生い立ち、映画を撮るきっかけ、映画を撮っている最中のこと、PFFで賞を受賞したときのこと、「沈没家族」が住んでいた東中野にある映画館で上映されたときのこと(著者=監督は『二カ月半のポレポレ東中野での公開中に、100回以上舞台挨拶をした』らしい)が綴られている。
上述した通り、「沈没家族」が理想だとか在るべき姿ということでは決してないが、本書は「家族とは、共同体とは」といったことを改めて考えさせてくれるきっかけにはなる。