加納 土著『沈没家族 子育て、無限大』

少し前に観た映画『石がある』(太田達成監督、2024年)に、川原で一心に石切りをする得体の知れない男が登場する。
未経験だという演技がこれまた怪しさを増している彼の名は加納つち。もちろん本名だ。
演技未経験で俳優ではないとはいえ、彼は「映画」と無関係な人ではない。
彼は『沈没家族』というセルフドキュメンタリー映画を監督し、2017年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)で審査員特別賞を受賞した。
映画はその後、『石がある』と同じポレポレ東中野で上映された。

私は悔しいかな映画は観ていなくて、というか、彼自身がその映画の制作過程や後日譚を綴った『沈没家族 子育て、無限大』(筑摩書房、2020年)で映画の存在を知ったのである。
映画は先に書いたとおり「セルフドキュメンタリー」で、つまり著者自身が「沈没家族」の一員だった、というか、「沈没家族」自体が著者を育てるために作られたものだった。

1994年5月3日に僕は生まれた。母親と父親の三人で鎌倉に住んでいたが、生後八か月になって、母親の加納穂子ほこさんが僕だけを連れて東中野に移り住んだ。穂子さんは、当時22歳。日中働いて、夜間は写真の専門学校に通った。
赤子と二人きりになったとき、穂子さんは、自分一人で育てることも、新しいパートナーと一緒に育てることも、実家に帰ることもしなかった。
穂子さんは、一枚のチラシを撒いた。

あなたも、一緒に子育てしませんか?

息子を共同保育してくれる人の募集だった。

当然だが、そういうチラシに興味を持ってくれる人はほとんどいなかったらしい。そこで、『穂子さんはまず、子育てに興味がありそう、おもしろがってくれそうな友人に、自分がいないあいだの子守りを託した』。
そこから徐々に人が集まり始め、必然的に穂子さんは、『集まってきたひとたちをつなげる役割も担うようになる』。

みんながみんな、保育をするためだけに来ていたわけではなかった。そこに行けば、誰かがいる。酒を飲める。子どもと触れ合うことができる。いやされる。心の調子が悪くてあまり誰かと交流したい気分じゃなくても、そこに行けば落ち着く。もちろん社会的な意義を感じている人もいただろう。いろいろだ。

つまり当初「沈没家族」は、土くんを保育してもらう共同体のものだったが、いつしか「様々な事情を抱えた大人の寄り合い所」のようなものになっていった。その中には、穂子さんと土くんと同じような境遇の人たちもいた。
そして、そのことが実は大事だったのでは、と、著者は振り返る。

沈没家族は「たくさんの大人に育てられた子ども」というところに注目がいきがちだが、沈没ハウスの生活で大きかったのは、そこに子どもも複数いることだった。当時、血のつながった兄弟もいなかった僕とめぐにとって、同じ家に性格も全然ちがう子どもがいたのは大きなことだった。
育ってきた環境のちがう同世代の子ども。大人よりずっと近くに自分とはちがう人間がいることを強く実感できた。

そして、子守りに来たわけでもない、ただ居場所が欲しかっただけの大人も、周りに(当然のようにいる)子どもたちと接するうちに認識が変わってきたという。

『現代思想』で沈没家族がとりあげられたとき、ペペさんは保育人の一人としてこんなことを書いていた。

子供がこんなにかわいいということは驚きであった。これでは、万一自分の子供などできようものなら、いやな仕事でも「子供のためだ!」などと言いながら続けまくってしまうかもしれない。そんなことに気付かせてくれたこのプロジェクトには感謝してもしきれないものがある。ああ、世の中ってこうして回っているのか。世界の秘密の一端を垣間みた。

そういった経験から著者は、「沈没家族」が理想だとか正しい在り方だということではないと断ったうえで、こう綴っている。

子どもたった僕のまわりに、自分がやったことを笑ってくれたり心配してくれたりする大人がたくさんいた。そこに属している人間かどうかは関係無く、だ。関わるひとがあまりにもたくさんいたから、知らないひともたくさんいた。だから、そこで笑っている人間が沈没家族の大人かどうかはどうでもよかった。
(略)
子どもはもともと、大人よりもよっぽどそこにいる人を「人間」として等しく見ている。大人がどんどん「区別」するように教える。嘘みたいな話で初めは信じられなかったが、都内のある小学校では、知らない大人からあいさつをされたら無視するよう子どもに教えるそうだ。たぶんそういう態度が、子どもや子どもがいる親の世界と、子どもがいない大人の世界を分けていくんだと思う。
穂子さんは、「家族解放」じゃなくて「人間解放」と書いた。これは、すごく希望が持てる。軽さ、ゆるさ、矢印が四方八方に飛んでいる感じのこの言葉(略)

「沈没家族」は、2000年代初頭、土くんが8歳のときに様々な事情により穂子さん(と土くん)が八丈島へ移住することで終焉する。

映画は、著者が当時の「沈没家族」に会いにいき、改めて「沈没家族」とは、いや「家族とは」を問い直している(と思う)。
本書は、著者(土くん)の生い立ち、映画を撮るきっかけ、映画を撮っている最中のこと、PFFで賞を受賞したときのこと、「沈没家族」が住んでいた東中野にある映画館で上映されたときのこと(著者=監督は『二カ月半のポレポレ東中野での公開中に、100回以上舞台挨拶をした』らしい)が綴られている。

上述した通り、「沈没家族」が理想だとか在るべき姿ということでは決してないが、本書は「家族とは、共同体とは」といったことを改めて考えさせてくれるきっかけにはなる。


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