森田真生著『僕たちはどう生きるか めぐる季節と「再生」の物語』

以前の拙稿で、初めての「緊急事態宣言」が始まった頃に軽いネットニュースなどで若者を中心に『価値観が変わった』との書き込み等が多いと報じられていることに違和感を覚えた、と書いたことがある。
それは、それが起こるまでの「価値観」を顧みることなく「価値観が変わった」といった言葉が独り歩きしていることとともに、現在進行形(しかも始まったばかり)で既に変わってしまう「価値観」とは何か、という違和感でもあった。
つまり、「価値観が変わった」というのは、それなりの時間を経た現在の立ち位置から、その時の立ち位置を振り返ることでのみ認知できるのではないか、ということだ。

たとえば、独立研究者・森田真生は、日記形式で当時を記録した『僕たちはどう生きるか めぐる季節と「再生」の物語』(集英社文庫、2024年。以下、本書)の前書きに、こう記している。

一年前(2020年)まで、ここにはヨシノボリもエビもクワガタもカエルも、カブもパクチーもなかった。僕は週に何度も新幹線や飛行機に乗り、忙しなく移動する日々であった。カエルを手にとったことも、野菜を育てたこともなかった。虫にも植物にも無関心な生活。裏庭のハコネウツギが毎年、小さな紅白の花を咲かせていることにすら、何年も気づかずにここで暮らしてきた。
この一年で、いろんなことがすっかり変わった。一日のなかで、人間ではないものと過ごす時間が増えた。自分が言葉を発するよりも、自分でない者たちが発している声に、耳を澄ます時間が多くなった。子どもや植物やほかの生き物たちの生きる姿に学び続ける日々だ。

京都に2人の子どもとともに4人家族で暮らす著者は、それまで『国内外を忙しなく旅しながら、数学にまつわるレクチャーやトークをすることを生きがいとしてきた』が、コロナ禍で「ステイ・ホーム」するようになって、皮肉にも自宅の庭(=外)に目を向けるようになった。

庭(=外)にはたくさんの発見があった。
それに気づくと、自分の身の回りの全てに今まで見えなかった(見ようとしなかった)発見があり、著書は子どもたちとともに「身の回りにある新たな発見」に目を向けるようになった。

ゆで卵を作るために、湯を沸かす。息子はずっと、鍋の中を覗き込んでいる。透明な液体のなかで、分子の運動が静かに加速していく。やがて湯がぶくぶくと沸き立つ。(略)息子は、なにを思っているのか、しきりに「すごぉい……」と感嘆を漏らしている。
目の前にある何気ない水が、目に見えない小さなスケールで激しい活動をしている。このことを四歳なりに、感じ取っていたのだろうか。食わず嫌いで卵をこれまで口にしたことのなかった息子は、この日自分で茹でた卵を「おいしい!」と、夢中になってほおばっていた。

どの組織にも属さない「独立研究者」と自らを称する著者だが、それは「孤高」「一匹狼」を意味しない。
反対に、同じような属性を持つ者たちの集まりである組織にいては繋がれないような人などと、積極的につながっていく。

庭を通して改めて「自然」を考えるようになった著者は、船橋真俊まさとし氏と出会い、彼が提唱する「共生農法」の実践を自ら試みるため、地元にある法然院の梶田住職に相談し、「狭い荒れ地でよろしければ」と土地の使用を快諾してもらう。
ここでは「共生農法」を詳しく説明しないが、本書を要約すると『与えられた自然観光の中で、ある種が他の種との競合・共生において生育する環境条件の範囲』を指す「生態最適」の範囲で『生態系の機能を最大限引き出していくことをめざす。このため、人間が外部から肥料や農薬などを持ち込むことはしない』。

著者はその土地を、(『「依存先を増やして!」「頼ろう、頼ろう」と、あたたかな声をかけてくれ』た)地元の人や友人・知人たちとともに開墾し、肥料もそこにある落ち葉を集めて「発酵」させて作る。
その際、発酵デザイナーの小倉ヒラク氏に師事を仰いているが、小倉氏の発案により『菌を探そう』と、参加者それぞれが見つけてきたものをシャーレに入れて自宅に持ち帰って観察することになった。

菌を探すときの子どもたちの姿が印象的だった。僕たちは見えないウイルスに感染するだけでなく、見えない微生物たちの活動に支えられてもいる。見えない生き物に怯える身体から、見えない生き物たちの祝福を受け取る身体へ。少しずつみんなのからだが、解きほぐされていくように感じた。

ウイルスも発酵も『見えない生き物』たちの活動であり、その善し悪しは結局、人間の都合で決められているだけである。

人間関係も、様々な人と繋がることにより増殖・変異を繰り返し、自分一人では到達できなかったようなところにいたり、それまでは考えもしなかったようなことをしていたりする。これこそ、まさに「価値観が変わった」ということだ。

同じようなことは「読書」にも言える。
本書には、著者がその時々に思ったり考えたりしたことを、様々な人が著した本から引用して説明している。
これは、その状況において新たに読んだり調べたりしたことではなく、自身が体験したことと、それまで読んだり考えたりしてきたことが結ばれ、新たな知識・経験として増殖・変異したものである。
これこそ、まさに「価値観が変わった」ということで、読書は「すぐに使える知識を得ること」の他に、知識や経験が増殖・変異するための触媒(ウイルス)としても機能する。
それは、私の実感でもあって、それまでブログなどもやっていなかった私がコロナ禍になって"note"を始め、本や観劇・映画鑑賞の感想などを書くようなって、それまでに読んだ本や観た芝居・映画などが「ああ、そういう意味だったのか」といった新たな発見・理解に繋がっていくことに日々驚いている。だから私は、コロナ禍によって「価値観が変わった」ことを実感している。

そしてそれは、それまでの知識との新たな出会いともなる。

先日、数年ぶりに、おかきよしの最初のエッセイ集『春宵十話』を読んだ。20代のころに何度もくり返し読んだため、すでにボロボロで、至るところに線が引かれている。
ところが今回、自分でこれまでまだ線を引いたことのなかった、ある一節に目が留まった。20代の自分が、なぜこの言葉に反応しなかったのかと不思議に思われるくらい、いまの僕には深くしみ込んでくる一節である。

その一文が何であったかはここに書かない(興味がある方は是非、本書を読んでください)が、最年少で小林秀雄賞を受賞した著者のデビュー作『数学する身体』(新潮文庫、2015年)は、ある意味において「日本史上最大の数学者」とも云われる岡潔の評伝でもある。

「数学とは何か」「数学にとって身体とは何か」を問う私の探究の原点には、岡潔(1901-1978)という数学者との出会いがある。

『数学する身体』

これもまた「価値観が変わった」ということである。

最初の緊急事態宣言から4年以上が経った。
あの当時「価値観が変わった」と言っていた人たちは、そろそろ自身の価値観の何がどう変わって、何が変わらなかったか、総括できているであろうか。


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