プリンセスが歩く京都の「通り」~彬子女王著『新装版 京都 ものがたりの道』~
年に何度か京都に行く。
と言っても観光ではなく、この"note"でも何度も書いているとおり、行きつけの飲み屋さんに行くためだ。
だから、私の行動範囲は極端に狭い。
北は今出川通、南は五条通、東は東大路通、西は堀川通あたりまで。
とはいえ、これは広くとった場合で、下手をすると北は二条通、東は寺町通、西は室町通りあたりまで、ということもザラだ。
京都が好きで何度も観光に訪れている方たちは「狭すぎ」と呆れるだろうが、私は、この狭いエリアに3日~1週間ほど滞在して、ひたすら飲み歩くのである。
私の話は置いておくとして、こう書いてみると、京都という街は「通りの名前」が重要だということが改めてわかる。
『新装版 京都 ものがたりの道』(毎日新聞出版、2024年。以下、本書)を、著者・彬子女王は『「京都」という街は「道」から成る』と書き出されている。
彬子女王といえば、SNSから火がつき、2015年に刊行された『赤と青のガウン オックスフォード留学記』が2024年にPHP文庫として復刊し、今や全国の書店で平積みされている(本書もその効果で新装版として復刊したと思われる)が、著者は本書の中で留学したイギリス・オックスフォードと京都の共通点を、こう記している。
本書は「京都ツウ」を自認する人が穴場の観光スポットを紹介するでもなく、かといって、京都人が「普通の京都」を紹介するでもない、とても不思議な本である。
その理由はもちろん、本書の著者にある。
世が世なら、もしかしたら21世紀の今でも著者たちのための京都であったかもしれない。
しかし現実の著者は、(京都御所を管轄する宮内庁と関係が深い、にも拘わらず)仕事と研究のために東京から京都に越してこられた、謂わば「よそ者」でもあられるが、それでも生粋の京都人から「お姫さん」と慕われる立場でもある(もちろん、生粋の京都人からすれば「お姫さん(プリンセス)」がいる京都こそが本来の京都であると思っているに違いないだろうが)。
生粋の京都人でもなく、とはいえ、生粋の京都人よりも京都に縁が深く、それが故に生粋の京都人とは違う世界(21世紀に「お姫さん」と呼ばれ、実際に「お付きの者(側衛)」に護衛される御身分)の方が歩く京都の「通り」。
さらに著者は、京都産業大学日本文化研究所特別教授と國學院大學特別招聘教授を兼任しておられるということもあり、だから、著者が見ておられる景色は、まさに、「平安の世から地続きの京都」なのである。
ゆえに本書は、これまでに読んだことがない、不思議な「京都本」なのだ。