こんな京都に出合いたい~赤染晶子著『じゃむパンの日』~

年に何度か京都に行く。
ここ10年ほどは、年末年始を何のゆかりもない京都で過ごしている。
別に何をするわけでもない。観光地を巡ることもない。
日がな一日朝から晩まで、酒を吞んでいるだけ。
「別に京都じゃなくても、いいんじゃない?」
よく言われる。たしかにその通りだ。
自分でも、何故京都なのか判然としない。

作家の赤染晶子さんが、生まれ育った京都などについて綴ったエッセー集『じゃむパンの日』(palmbooks、2022年。以下、本書)を読んだ。
「(酒呑みだが一応は)旅人として京都にいる意味」が何となくわかった気がした。

私は京都に住みたいわけではない。
しかし、「京都」に出合いたい、とは思う。
たとえば、たまたま乗ったバスでの日常的な光景。

「ほな、次、座らしてもらいますわ」
さっき声をかけた乗客が言う。「座らしてもらう」。京都のバスや電車でよく聞く言葉である。「椅子に座る」ではなくて、「座らせてもらう」。ついつい椅子取りゲームのようになってしまう世知辛い現代社会で、謙虚な優しい言葉である。

「弘法さん」

あるいは、不意に迷い込んだ路地裏にある小さなお好み焼き屋。
ガラ悪そうに見える地元のおっちゃんたちにビビるも、お店のおばちゃんの指示に素直に従って席を譲ってくれる姿にギャップ萌えする。
うっかり「京都って、本当にいいところなんだなぁ」と感激する。
しかし、いざお好み焼きを食べようとした時、そんな観光客の感激をあざ笑うかのように「京都」が正体を現す。

「うち、イケズやもん」
おばちゃんがにっと笑う。

「路地裏で」

こんな「京都」に出合いたい。
そう思わせてくれるのは、短文で言い切る、ユーモアたっぷりの魅力的な文章だから。
彼女が通っていた自動車教習所には野良猫がたくさんいた。

猫は何でもできる。坂道発進もできる。(略)坂道の途中で、わたしは考える。何をどうするのだったか、一生懸命思い出す。その隣を猫はすたすた歩いて行く。教官が言う。
「ほれ、見てみ。猫さんは上手に坂道発進をしはるのう」
本当だ。わたしは感心する。猫は右折もうまい。教官が言う。
「右折!」
なぜか、わたしは左折する。代わりに、猫が右折する。とても上手に右折する。
「なんでやねん!」
教官は怒る。

「安全運転」

赤染さんは1974年生まれ。
本書には、両親や同居していた祖父・祖母の話も出てくる。
それらの人々もユーモラスに語られるが、時にホロリとする話もある。
それらの文章は、戦争というより昭和の前半に貧しいながらも助け合って何とか生きていた庶民の暮らしを纏っている。

京都の小さな商店街に小さな本屋さんがある。わたしの母は娘時代にこの本屋に下宿していた。母は小さな海の町からひとりで出てきた。(略)京都の家は間口は狭く、うなぎの寝床で一番奥は蔵になっている。その蔵に母は下宿することになっていた。店主が言う。
「娘さんを蔵に住まわすのは気の毒や。二階の部屋、空けたげるわ」
本屋の人たちは「かまい」だった。人のことがほうっておけなくて、あれこれかまって世話をやく人の事を言う。こんな商店街には必ず「かまい」がいる。

「かまい」

不勉強な私は申し訳ないことに、赤染晶子さんという作家を存じ上げなかった。もちろん彼女が、2010年に芥川賞を受賞していることもだ。

この夏、わたしは自身の芥川賞受賞作『乙女の密告』をこの本屋で注文した。小さな本屋で入荷が遅れていた。店主は鼻息も荒く新潮社に電話した。
「まだですかいな!書いてはる人がほしい言うてはりますのや!」
店主が胸を張る。
「新潮社にぱあん言うたりましたわ」

同上

私は京都に住みたいわけではない。
しかし、京都にはよく行く。
「京都」の「謙虚な優しさ」や「かまい」、そして、その裏にある(だろう/かもしれない)「いけず」に出合いたいから。


本書は「palmbooks」という"ひとり出版社"から刊行されている。
赤染さんのことを存じ上げなかった私が本書に出合ったきっかけは、朝日新聞の記事だった。

「乙女の密告」で芥川賞を受賞し、2017年に42歳で亡くなった作家、赤染晶子さんの初めてのエッセー集が出た。新聞や雑誌に掲載された55編を集めた『じゃむパンの日』(palmbooks)。生まれ育った京都の街の息づかいの中、おかしみをたたえた感性にノックアウトされる読者が続々。じゃむパンファン急増の冬となった。
(略)
版元は加藤木かとうぎ礼さん(44)が作った「ひとり出版社」。加藤木さんは新潮社の編集者をしていたころから、赤染さんのエッセー集を作りたいと企画をあたためていた。昨年6月に退社し、自分がおもしろいと思う本を世に届けたいと11月に出版社「palmbooks」をスタート。1冊目はこれ、と迷わず決めていた。

朝日新聞2023年1月25日付夕刊
「京都の日常 クスッと和む55編。故 赤染晶子さん 初のエッセー集」

本書を読了した後、紀伊國屋ホールで芝居を観た。
終演後に書店をうろつく私の目に飛び込んできたのは、「新・蝶社」ならぬ新潮社のマスコット。
すっくと立つ白黒のそれを見て、私は思わず吹き出してしまった。

Yonda?様のところへ行く。Yonda?様。どんな審判がくだってもわたしは乙女ですわよね? Yonda?様はいつも乙女の問いに答えない。乙女がどんなに祈っても、ただにたーっと笑っている。Yonda?様が聞く。呼んだ? 呼んだ? わたしを呼んだ?
「パンダ!」
わたしはとうとう答えてしまった。(略)Yonda?様の目がきらりと光る。Yonda?様、やめてください。ちょっと、困ります。(略)Yonda?様はじっとわたしを見る。まるで全て見透かすような目つきだ。Yonda?様の目はどこから見ても目が合うようになっているのだ。Yonda?様、どうか目を閉じてください。その目つきはあまりにいやらしいんじゃありませんか。

「新・蝶倶楽部」



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