「高度経済成長」の陰で~麻宮ゆり子著『花電車の街で』~

敗戦後しばらくして始まった日本の「高度経済成長」。
人々の暮らしは目に見えて豊かになり、教育や文化も向上し、「一億総中流」になった。
街は美しく整備され、安全で清潔な暮らしが当たり前の世の中になった。

国民的映画ともなった『ALWAYS 三丁目の夕日』(山崎貴監督、2005年)では当時の様子が明るく前向きに描かれているが、それはもしかしたら「鈴木オート」が主軸だったからではないだろうか。
モータリゼーションの波に乗った「鈴木オート」は当時の「勝ち組」である一方、劇中の氷屋は廃業を余儀なくされる、いわば「負け組」である(氷屋は続編で商売を変えて登場する)。

上記映画は、東京オリンピック開催が決まり、東京タワーが建設されている最中の昭和33年(1958年)の東京を描いているが、麻宮ゆり子著『花電車の街で』(双葉文庫、2021年。以下、本書)は、同じ頃の名古屋・大須を舞台とした小説だ。

大須の街はいつでも人と活気にあふれている。店は夜でもこうこうと灯りを放って営業し、チンドン屋とすれ違ったと思えば、色っぽい服を着たおねえさんが男の人と腕を組んで歩いていたり、かと思うとそのすぐ横をランドセルを背負った小学生が駆けていき、家の軒先ではおじいさんが将棋を指していたりする。

大須には射的場やパチンコ、居酒屋やキャバレーなど、あらゆる娯楽施設がそろっている。なかでも今いちばんの集客を誇るのが映画館。成人向けも含めると大須内には十四館あり、どこも連日超満員。二本、三本立ては当たり前、立ち見まで出るほどの盛況ぶりだ。
映画館に客が入ればその周りにある店-既製服店、美容院、家具屋、食堂、たばこ屋、酒屋、喫茶店などにも客は流れてくるから、店の多くは夜十一時くらいまで開いている。

来る者拒まず去る者は追っかける。楽しければなんでもあり。子供の教育上よろしくないなんて細かいことは二の次で、どんな店も拒まない。大須が「ごった煮の街」といわれる理由はそこにある。

本書は、主人公・野坂みどりが14歳になる直前の昭和34年~38年頃までを描いた成長物語である。
と同時に、「ごった煮」で賑わっていた大須商店街が、上記映画の氷屋と同じように、高度経済成長やモータリゼーションの勢いに呑みこまれていく様子をも描いている。


碧は母親と大須商店街の近くのトタン屋根が密集する一角の長屋に住んでいる。父親はおらず、母親が昼夜仕事を掛け持ちしている。
高度経済成長に差し掛かる頃の当時は、まだ敗戦の貧しさを引き摺っていたから、碧と同じような境遇の家庭はいくらでもあっただろう。
しかし、繁盛している大須商店街に住む裕福な子どもたちには、貧しい母子家庭という境遇が奇異に見えるらしく、碧は男子生徒や教師から揶揄からかわれる。

傷ついた碧は、現実を暫し忘れ心浮き立つ世界へと誘ってくれる、大須の映画館に入り浸る。

そんな想いで大須の映画館を訪れるのは碧だけではない。
多くの人々が当時市内に走っていた路面電車(市電)に乗って、映画館ひしめく大須商店街にやってきた。

市電は人を運ぶ乗り物だが、しかし、乗客が乗れない市電があった。
それが本書のタイトルにもある「花電車」だ。

花電車は何かを宣伝するために走らせるもので、乗車部分の大半が看板になっているものが多い。だから運転手さん以外は基本乗れない仕組みになっている。でもそういった効率がどうだこうだという事情以上に-単純に私たちを楽しませようという、そぼくな雰囲気にあふれているから、私なんて毎回花電車のサービス精神にやられてしまうのだった。

華やかにデコレーションされた「花電車」が路面駅に到着するのを、碧はもちろん地元の人々が待っている。「花電車」が走る光景は、懸命に生きるだけの日々を暮す人々にとって、「ささやかな非日常」なのだ。


碧を始めとする大須の人々は、伊勢湾台風などの被害を受けながらも懸命に生き続け、物語はやがて、昭和三十七年の九月の終わりを迎える。碧は中学生から高校生になっていた。

棚に置かれたラジオからは、再来年に迫った東京オリンピックの情報が少しずつ流れ始めていた。それは東京というより、「にっぽんオリンピック」と言っても不思議ではないほどの、全国的な熱狂ぶりを私に教えてくれる。

時代は、オリンピックの開催と高度経済成長による好景気に沸いていた。
しかし皮肉なことに、その高度経済成長によって、大須の街は廃れようとしていた。
高度経済成長の申し子でもある「3C」(Color Television,Car,Cooler)の波が一気に押し寄せ、大須商店街を呑みこんでしまった。

カラーテレビを手に入れた人々が映画館に行かなくなる。

客数がすし詰め状態だった数年前に比べると、明らかにこの街の映画館の客数は減っていた。(略)
大衆の娯楽が映画館で映画を観ることから、家でテレビを観ることへ移行してきているのだ。
この街は私が知る限り、ずっと映画館とともに生きてきた。やはり映画館に依存してきた街なのだろう。

自家用車を手に入れた人々が市電に乗らなくなる。

「実は、市電も客足が一向に伸びなくて赤字続きだから、全部廃線にするっていう話が出ているんです」
「全部っ?名古屋から市電がなくなるんですか」
(略)
「このへんは名駅や栄町や広小路と違って交通の便が悪いで、"地の利がない"って前から言われとるんだわ」
「それなら、映画館の客離れがこれ以上進んだら…」
「陸の孤島になってまうなあ」

高度経済成長によって日本中が豊かになったといわれ、実際、確かにそうなのだろう。
しかし、その陰で時代から忘れ去られ退場に追い込まれた文化や職業があり、そのあおりを受けて経済成長の熱狂から弾き出されてしまった人々がいたのも、また確かである。

高度経済成長期が遥か過去となった21世紀。
長く続く不況に明るい兆しが見えない現在を悲観して、当時を知る者どころか知らぬ者までもが、当時の勢い・活気を「捏造」或いは「妄想」的に美化した「"あの頃は良かった"的懐古物語」を紡ぎ始め、それに縋ろうとしているような気がする。

"あの頃は良かった"と懐古される物語の中では、その陰で弾き出された人の存在など無かったことにされている。
本書は、美化された懐古物語に縋ろうとする人々に「陰」を認識させ、冷静さを取り戻させてくれる物語だ。


最後に、もう一つ。

映画館に入り浸っていた碧の将来の夢は「映画監督」だった。
物語の終章は昭和53年。32歳になった碧が、まだ駆け出しながら、その夢を叶え大須に帰って来る。新しい映画を撮るために。
幼い頃から馴染みの、かつて母親が働いていた喫茶店で、碧は回想する。

最初に入った映画会社には結局十年以上いた。だがその半分以上の年数を、私は雑用係のようなことをして過ごしていた。周りの男性たちは当たり前のように出世していくのに。(略)
会社側も制作を希望する私をどう扱っていいのかわからず、困り果てていたようで、さまざまな難関を用意した。

まだ「男女雇用機会均等法」など考えも及ばない時代ゆえのエピソードだとも思えるが、しかし、女性監督が珍しくなくなった現在の映画界においても、セクハラやパワハラが行われている。
碧が映画界に入って半世紀、21世紀も20年を経過した頃、ようやくそれらを問題として認識し、解消に向けて映画界が動き始めた。


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