実在しないけど行ってみたい居酒屋~秋山鉄著『居酒屋野郎ナニワブシ』~

2021年10月、新型コロナウイルスまん延によって長く続いた緊急事態宣言が、ようやく解除された。
同月末には飲食店の営業及びアルコール提供の制限についても、ほぼ解除された。
酒好きの私も、解除後は馴染みのお店の復活祝いと(勝手に)称して飲み歩いているわけだが、やはり居酒屋の雰囲気は格別だ。
カウンターに一人座る私は誰と会話するわけでもないが、見ず知らずの人たちの喧騒の中に身を置いているだけで不思議と落ち着いてくるし、お酒も旨く感じる。

居酒屋といえば、一度行ってみたいお店がある。
いや、秋山鉄著『居酒屋野郎ナニワブシ』(新潮社、1998年。以下、本書)という小説の中のお店だから実際に行くことはできないのだが、それでも「松五郎」のカウンターに一人身を置いてみたいと思うのだ。

カウンターは座ったばかりの谷岡さんひとりだった。奥座敷は依然、二卓とも埋まっていた。
おれは谷岡さんに、鮑を透けるくらい薄く切ってくれ、という意地悪な注文を受けていた。「穴、空けるなよ」と念押しまでされている。谷岡さんは笑っているが、おれも意地だった。慎重に柳刃を引く。あっと言わせてやらねばならない。
できあがった自信作を差し出したとき、電話が鳴った。宮本が取った。
十人。今から行く、ときた。例によって、呉服屋の松井氏だ。
「おっ、なかなかやるな」
谷岡さんのほめ言葉に、おれは軽く会釈で応えた。
吾郎が袖まくりをし、網の上いっぱいにトリ串を並べる。おれも大皿を取り出し、包丁を握った。

私はカウンターの端っこに座り、「おれ」こと主人公・茂夫と常連客の谷岡さんのやり取りをビールジョッキ片手に眺める光景を思い浮かべる。そこにはきっと、ずっと浸っていたい穏やかな空気が満ちていることだろう。
予約の電話が入り、お店はまた勢いづく。
網の上に並べられたトリ串を見て、きっと私もメニューを取り出し、何を焼いてもらうか思案に耽るだろう。

だからといって、「松五郎」が温かい人情味と活気に溢れた理想の居酒屋だと思ったら大間違いだ。
この直前、料理人の源一は近所でオカマバーを営む常連さんから、困った客を(暴力で)追い返すために呼び出されているし、この後「松五郎」でも、奥座敷にいた男性グループが隣の女性客にちょっかいを出して揉め事が起こり、これも宮本が暴力で解決しているのだ。

だからといって、「松五郎」が大阪のヤンチャな人のたまり場だと思うのも間違いだ。行儀よく居酒屋を楽しむ客はもてなされ、近くの大学のおかしなサークルのちょっと下品な宴会も準備万端で受け容れる度量の深さも持っている。


ところで本書は、1998年の第四回小説新潮長編新人賞の受賞作である。

単行本で250ページ程度の物語は、茂夫の同級生で「松五郎」店主の吾郎、板場で働く源一、茂夫を頼って店員となる宮本、ホール担当のアルバイトたち、店を愛する賑やかな常連たち、先のおかしなサークルや上品/下品種々取り揃えた客たちの話を愛情籠めて描いている。
そこに、茂夫や吾郎の恋愛、吾郎の出生の秘密なども詰め込まれ、とにかくテンコ盛りの内容になっている。
自然、物語は未整理で粗も多くなる。
だが、それが作家を目指す作者の筆の勢いとなり、結果、「松五郎」の活気をリアルに伝える臨場感たっぷりの物語に結実した。

作家・井上ひさし氏は、こう選評している。

居酒屋のすべてを内側から書いてやろうという、作者の熱のこもった姿勢が、物語と文章に力を与えている。作者一人だけが面白がる独りよがりな癖、二人の重要人物が実は親子だったというような、とってつけたような人間関係、過剰過ぎる男性賛美主義(マチスモ)、そして登場人物を簡単に殺してしまう癖…欠点は少なくないが、しかし、居酒屋の閉店までの顛末をどうしても書かずにいられないという作者の情熱が、物語と文章に快い緊張を与え、それが共同体についてのおもしろい物語と、いきいきした文章とを生み出している。これを書かずにいられようかという燃えるような情熱。

だから、粗も力技の展開も気にならず、というか、それすら居酒屋「松五郎」の魅力だとも感じてしまうのだ。
作者の情熱に突き動かされるように一気に読んだ私は、完全に「松五郎」のファンになり、『また「松五郎」に行きたい』と最初のページを開いてしまう。

そして、常連さんたちが賑やかに盛り上がるカウンター席の端っこに座り、店内のヤンチャな喧騒をBGMに、ホールのアルバイトたちが店内を忙しなく行き来して注文をさばく姿や汗だくの料理人が元気いっぱいに働く姿を見ながら、焼き鳥や刺身を肴にビールや日本酒の杯を重ね、いい気分で酔っ払う自分を夢想する。

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