スマホに映した古地図片手に京都の酒場巡り~加藤政洋著『酒場の京都学』~(改訂版)

京都には酒を飲める店が多い。
花街、老舗京料理をはじめ、和食・洋食・多国籍・無国籍……、ビアホール、バー……
そんな店を紹介するガイドブック、グルメ本、口コミサイトや個人のSNSの投稿なども数多く、また、それらの店を実際に渡り歩く探訪記の類まで存在する。
そういったガイドブック片手に京都を巡るのもいいが、古地図片手に「かつての京都」に想いを馳せながら酒場を巡ると、また違った楽しみができるのではないか。
難しい知識や、面倒な準備はいらない。
スマホさえあればいい。

参考書は、加藤政洋著『酒場の京都学』(ミネルヴァ書房。以下、本書)。

本書は古い文献や地図を手掛かりに、京都における酒場の成り立ちから現在までの変遷を紐解いている、歴史学あるいは社会学のマジメな論文である。
しかし、身構える必要はない。

「今の地図」と「古地図」を見比べる

さて、早速本書を開いてみる……と、こう書いてある。

本書の全編を通じて、立命館大学アート・リサーチセンターがインターネット上で公開している「近代京都オーバーレイマップ」を参照している。

「近代京都オーバーレイマップ」は、現在のGoogleマップ上に、年代が異なるいくつかの古地図を正確にオーバーレイさせているもので、普段使っているように移動や拡大をすると、古地図もちゃんと追随してくれる。

「地図画面の右上にあるスライダーを左右に移動させると、地図の透明度を任意に変更でき」ることから、Googleマップ上に描かれる現在と約七十年前の過去とを、ひとつひとつの建物レヴェルで自由自在に往還することができるので、ぜひ「近代京都オーバーレイマップ」のレイヤーを「京都市明細図」に設定して、地図と本書を往還しながら読み進めてください。

そんなわけで、京都の居酒屋として有名な裏寺町の「たつみ」の賑わうカウンターに立ち、ビールを注文して、スマホ(やタブレットなど)を操作して「近代京都オーバーレイマップ」で現在地を探す。
スマホに映し出されたGoogleマップ上に、ナイフとフォークのマークが入ったピンがあり「居酒屋 たつみ」が表示される。
古地図をオーバーレイさせてみる。
古地図で文字が掠れているのに加え、昔の筆文字なので判別できないが、そこは「たつみ」ではなく「~冬湯」と読める一画だった。

すでにみたように、ここは元湯屋であった。この建物を「しのぶ会館」という。従前の用途である銭湯の名称「忍冬湯しのぶゆ」にちなんだものだろう。

なるほど!
注文したビールを飲みながら、かつてそこが銭湯だったことに思い馳せる。
さあ、この古地図を頼りに、昔の吞兵衛と一緒に「はしご酒」を楽しむぞ!

昭和初期の吞兵衛に同伴

本書の主テーマである「酒場の変遷」(これがなかなか読み応えがある、面白い内容)については、ぜひ本書を読んでいただきたいと思うが、我々酒飲みは昔の吞兵衛が気になる。
本書によると、京都のグルメ雑誌は昭和初期からあったという。

昭和10(1935)年に創刊された京都のグルメ雑誌『洛味』は、当時の酒場事情を知るうえで格好の資料となる。

しかも、その雑誌には飲み屋の探訪記も掲載されていたという。

では、当時の酒好きはどのように飲み歩いていたのだろうか。『洛味』に連載された「のみある記」という連載記事から、彼らの足どりをたどってみたい。
正宗ホールを好きだったという先輩に連れられて、柴野童子なる人物は正宗ホールをたびたび訪れていた。(略)。当時の正宗ホールは、昼呑みもできたことになる。
正宗ホールを出ると、先輩は童子をともなってサンボアへと向かう。老舗のバーとして知られる京都サンボアは、当時、河原町蛸薬師(東)に立地していた。ウイスキーやブランデーベースのカクテルを二、三杯ひっかけてから二人は新京極の寄席「富貴席」で落語をたのしみ、そこがはねると今度は(おそらく寺町四条の)菊水で黒ビールの満を引くのだった。

昼呑みしてバーに行き、寄席を楽しんで、〆のビール。なんとも羨ましい。
さて、ここで「『正宗ホールを好きだった先輩』の竹馬の友」という宮下呑天楼なる人物が登場する。

皆さんおでんやののれんをくゞつて下さい、小料理屋の扉を排して、そして大衆の声をきいて下さい、その話題こそ、その内容こそ、世相を語る有意義なものばかりでありますぞ。

童子とも交友した呑天楼なる筆名の呑み助は、雪の降る夜、やはり正宗ホールで蛤の鍋をつつきながら一杯やった学生時代を回顧する。執筆当時の呑天楼は、正宗ホールと同じ並びにある「芝居茶屋」を行きつけの店としていた。(略)
「芝居茶屋」を振り出しに、≪裏寺町≫から四条河原町の交差点を抜け、高瀬川に沿って西木屋町をさがる。

「たつみ」を出て、この記述を頼りに、「近代京都オーバーレイマップ」を操作してみる。
裏寺町から四条通に出て、みずほ銀行の前を通り、四条河原町の交差点を渡る。右手にマルイ(現エディオン)を見ながら四条通を東へ歩き、地下道18番出口手前の道を右に折れ、西木屋町通を下がる。少し行くと、右手にレトロな「フランソア喫茶室」が見える。古地図を重ね合わせると、ぴったりその区画になっている。残念ながら、その場所が何であったか、(書いてあるが)読めない。
余談だが、現代京都の居酒屋探訪の名著である太田和彦著『ひとり飲む、京都』(新潮文庫)によると、

フランソアは昭和9年開店、現在の建物は昭和16年の改築。

太田和彦著『ひとり飲む、京都』
「夏編 3日目」

とある。つまり、呑天楼氏は開店直後の同店の前を通ったと思われる。

店名はフランスの画家、ジャン・フランソア・ミレーからとった。創業者・立野正一は当時のファッショ政情に抵抗する気概をもった社会主義者で、ここを左翼知識人や芸術家、進歩派学生の語らいの場にしようとした。(略)。平成15年に喫茶店として初めて国の登録有形文化財に選定され(略)。
私を喜ばせた逸話もある。ジャズとミステリを愛し、快著『三文役者あなあきい伝』をもつ個性派名優・殿山泰司は奥さんがありながら、ここにいた丸顔美人のすうちゃんに惚れて二人暮らしを続け、73歳ですうちゃんに見守られて息を引き取ったという。時代に抗する精神と芸術を愛する美学、ロマンス。一つの喫茶店にこれだけのものが詰まっていた。

  (同上)

……おっと、呑天楼氏を見失ってしまう。

めざすは「呑助茶屋」だ。筆名にもあらわれているように、彼は店の名をいたく気に入っていたのである。

ここで呑天楼氏は、女将さんが『腕をふるつて揚げる天ぷら』をつまみに一杯ひっかける。

少し千鳥足の呑天楼は四条大橋をわたり、南座の手前を疏水に沿ってさがり、「一平茶屋」の暖簾をくぐる。「うまい料理で酒をのんでも、つんけんした店ではのむ気がしない」-たしかに。ここ一平茶屋は「気分のよい」店なのであった。現在も「かぶら蒸し」をメインとした料理となって営業をつづけている。

マップを操作しながら彼についていき、彼が暖簾をくぐった場所に到着すると……
表示されたマップも実際に見ている現実のお店も、もちろん、「一平茶屋」だった。

吞兵衛たちの名言

本書の論考は、主に、京都の酒場について書かれた文献をもとに展開していく。
その文献には、吞兵衛たちの名言が数多く詰まっている。

例えば、京都で流行り出した洋食を、文豪・谷崎潤一郎は、『少しキタナイたとへだが、まるでゲロのやうにまづまづしい』とこき下ろした。
それに対し、江戸っ子で喜劇役者の古川ロッパは、洋食屋をこう評している。

……[略]……日本的洋食屋ってものは、高級レストラン、その頃の、欧風西洋料理店とはまた別な、誇りを持って、気軽に(食い方のエチケット抜きで)食わせるのが、自慢だった。

彼は続ける。

だから、お客の方でも、その店へ入ったら……[略]……いきなり、「おい、熱いとこ一本つけてくんな」と言い、すぐ続けて「そいから、大カツを一チョウ」と、こう来なくっちゃあつうじゃない。
何のことはない、西洋風おでん屋だ。そこで、菊正の二合ビンか何かが運ばれる。ガラスの中くらいのコップに注いで、チューッと吸いながら、カツの来るのを待つ。
カツレツが来たら、ナイフとフォークでえイえイと皆切ってしまう。バラバラに切っといてから、ソースを、ジャブジャブとかける。
で、そいつを、正宗を飲みつつ、一片ずつゆっくり口へ運ぶ

さすがは粋なロッパ先生。見事な描写である。
酒飲みの私は、これを読んでいるだけで、ウットリとして、うっかり涎まで垂らしてしまいそうになる。

また、明治の文豪も、「正宗ホール」を愛していた。京都で生まれた「正宗ホール」は、この頃東京にも「加六」と「末広」という2軒の店を出していた。

「正宗ホール」の名は、酒の銘柄に由来していたのである。「菊正宗の加六」、そして「櫻正宗の末廣」というわけだ。独歩が愛してやまなかったのは「加六」である。
「細い路次に、硝子障子の二間間口、灘は生一本の正宗」、店頭には「加六」と書かれた丸行燈がさがる。店に入ると、大小ひとつずつの粗末なテーブルに腰掛が十個。店内をみわたしても「ぼんぼん時計」(大きな振り子時計)があるくらいで、「目を喜ばせる装飾」などなにひとつない。「お酌にべる美人」もいなかった。
いかにも地味なつくりであるのだが、昼下がりになると客たちが次から次へとやって来ては思い思いの席に座り、さかんに徳利をあけていく。
(略)
「酒は趣味なり、嗜好にあらず」と言い切った国木田独歩が死を目前にした病床にあってなお思いを馳せたのは、やはり加六の酒であった。

酒は加六の酒にあらざれば飲まず、加六とは読売新聞社筋向ふ写真屋裏の正宗ホールなり。(略)
あゝ、早く癒つて、鯖鮨を肴に加六の酒を引ツ掛けたし

「加六」で酒を飲むために病を治したい。
独歩先生の「加六」好きを物語っている。
加えて、「加六」に来る客たち。いかに「加六」がいい飲み屋だったかということを伝えてくれる。

スマホに映した古地図片手に京都を巡ろう

最近では、NHKの『ブラタモリ』という番組に見られるような、「古地図片手に街歩き」というのが注目されているらしい。

本書は古地図頼りに京都の居酒屋を巡るが、「近代京都オーバーレイマップ」は、もちろん居酒屋マップではない。
京都には古い神社仏閣が多いが、何十年も前の地図を映したスマホを携えてそれらを巡り、今の世界を歩きながら、かつてそこを歩いていた昔の人々に思いを馳せる、という旅も楽しいのではないだろうか(ただし、歩きスマホは厳禁です)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集