僕の頭の中
Egalitarianism or Social mobility?
今日のディベートで平等主義かソーシャルモビリティかという議題が上がったのでめもしておく。
どちらもinequalityを解消するための施策ととらえうるんじゃないかと思うんだけど理念が違う。
特に何か文献を参照したわけではないので語幹と持論と議論の内容を加味した解釈なので悪しからず。
まずegalitarianism=平等主義について。
ディベートの中身がschooling systemについてだったから学校制度の例がわかりやすいように思う。
平等主義的学校改革とは、極端に言えば私立学校撤廃。
文化資本や収入に関係なく全員が普遍的なシステムの中で普遍的なサービスを受け取るとされるだろう。
おそらく学費は一律あるいは無料で、生まれがどうだろうと親が特別に投資し高い質の教育を受けさせることはない。同質の教育をみんなが同じように受けることが想定される。
一方social mobility=社会移動について。
social mobilityは英語ではかなり普通に使われる用語だと思うけどうまい訳がわからない。
社会移動、社会間移動、階級間移動、ソーシャルモビリティ(そのまま)
高い能力を持つと思われる人間を私立高校などで特別投資をして高い能力を引き出し、
たとえその生徒が移民出身だろうが、労働者階級の子だろうが、貴族階級の子供だろうが、cherry-pickingのために投資をされるべきという考え。
結果、出身や親の階級に関係なく(理論上は機会の平等に見えるが、制度上、文化資本が引き継がれる可能性は極めて高いと考えられる)学問的に、ビジネス的に、社会的に成功しうる社会を想定している。
より新自由主義的と言ってもいいかもしれない。
というのが大体の対立するポイントであったように思われる
最後に自分の立場を述べたい。
立場と言っても特に学もない自分の意見だが、学校制度について少し述べておく。
平等主義/社会移動に基づく学校制度のどちらを支持と言ったらどちらも支持はしたくない
理由は、どちらもあまりにも恣意的だから。
どういうことかというと
平等主義に則った画一的教育、教育カリキュラム、普遍的ミッション。
仮にそれらを学校で教育するとして、誰がカリキュラムを制定するのか?社会的に成功した政治家?学問的に成功した学者?最先端ビジネスのプロフェッショナル?彼らが「ゴール」と定めたものは正しい?
いまこの瞬間に必要と為政者が考えていることは果たして子供達が大人になってどの程度通用するのか、
社会移動に則った学校教育。誰でも成功する可能性がある。
聞こえはいいが実際はどうか。社会全体で見た効用もおそらく高いだろう。
優秀な人間の功績は果たして「公共財」として機能しうるだろうか。「成功」にこぎつけた個人はinequalityの解消として振る舞うだろうか?
答えはノーかなと思う。結局今の社会構造と変わらない、あれ、equalityの実現とは?メリトクラシー教育によって成功した個人が次の為政者になった時、彼はどうする?
新社会主義的帰結に陥るかなと思う。社会の分裂、持つものと持たざるもの。
むしろ、多様性、多様な価値観を伸ばす教育がいいなーと思う。
メリトクラシー教育の中で生きてきた人間としていうのもなんだけど、
社会のなかで「経済的価値に還元されない価値」の価値がもっと上がるといいなーと思う
多様性教育。多様性理解を促すのではなく個々人のなかで多様な能力の促進を促す
そんな感じのことを感じた今日のCambridge Unionでした
もっとちゃんと教育学の文献読みたい
ちなみにcherry-pickingって単語面白いので覚えてさっそく使ってみた
cherry-pick: to pick only the best people or things from a group, so that only people or things that are less good remain
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