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プロミシング・ノット・ヤング・ウーマン

『プロミシング・ヤング・ウーマン』がとても良い映画だった。


フェミニズムを題材とした映画や本ってなぜかうまく理解できる気がしなくてなんとなく避けてきたけれど、『プロミシング・ヤング・ウーマン』はテーマの深刻さ以上にエンタメとしての魅力が光っていてめちゃくちゃ面白い映画だった!
見やすい、うれしい、、、

登場するキャラクターの人間性や台詞、展開、音楽、美術、どれも良かった。たしかに重ためのTHEフェミニズムなテーマで説教ぽいストーリーなのに、おしゃれでポップなエンターテインメントになっているところがとても好きだった。

映画は面白くて良かったが、それはそれとして、
私がなぜフェミニズムを敬遠していたのかというと、端的にいえば、”自分の悩みごととは遠い”と感じていたから。
私は女性として生まれたけれど、自分自身を女性だと認識できているかどうかは今もよく分からない。

肉体的にはもれなく女性だけれど、生理が来ることに対しては未だに違和感がある。
婦人科の待合室は自分の居場所でないように感じる。
(診察室が無理すぎてほとんど受診したことないのですが)

かといって男性でありたいとも思っていない。

何より、はみ出し者になりたくないという気持ちばかりが大きかった私は、
なんとなく、自分の身体的な特徴などを客観的に捉えたときに(本当に客観的には見れないですが)自然に見えるだろう、という感覚に合わせて振る舞いを決めていたように思う。(うまくいっていたかは不明)

とにかく、女性と男性のどちらもが私にはしっくりきていない。
だから「フェミニズム=女性の権利を尊重する主義」という理解でいた私は、
そもそも特権を持つ(とされる)男性でもないし、権利がない(とされる)女性ともなんだか違う、微妙なところにいる私は当事者なんだろうか?という疑問が浮かんで、いまいち興が乗らなかった。

自分自身のジェンダーやセックス、セクシャリティのことについては今も悩みが尽きないけれど、女性ならではの悩みを抱えたことはほどんどない。
単に気付かなかっただけかもしれないが、女性だからと不当に差別を受けた記憶もない。
そして更に幸運なことにトラウマになるような痴漢や性暴力に遭遇したことも、ない。

今もなお社会が男性優位であって女性が活躍しやすい社会ではないことを理解は出来るけれども、社会で活躍したいと思ったことがないので実際に活躍しにくかったかどうかが分からない。
そもそも私が幸運にも男性からの抑圧を受けずに生きてこれたことは今日まで女性が生きてゆく社会の基盤を作ってくれた先人のフェミニストの方々の社会運動のおかげ、
とはいえ、実感として、私が身体的には女性であることによって社会や他者から抑圧されてきた、という感覚が私にはあまりなく、生きにくさはもっと別のところに存在していた。

でも、フェミニズムについて知っていくうちに、本質は「性差別をなくし、性差別的な搾取や抑圧をなくす」ということだということが分かった。
これなら、全く違和感がなく同意できる。
というかむしろ、私のあり方そのものと言ってもいいかもしれない。

そんなことなら、
これからはあまり敬遠せずに映画などたくさん見てみよう!と思い、
『ハンナ・ギャズビーのナネット』を見たりなどした。
セックスエデュケーションのラジオのプロデューサー役の方がコメディアンだったの全然知らなかった。

これは、、見て良かった・・!

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