望んで完璧主義者してるわけじゃない!意外と自己肯定感が低いらしい
私は現在、広告を校正するお仕事をしています。
広告物の文章に誤字脱字はないか、日本語は合っているか・わかりやすいか、などをチェックするのが校正というお仕事です。
この間、広告の制作元であるクライアントからちょっとしたクレームが入りました。
「今回、◯◯という赤字が入っているけれど、なんで前回入れなかったの?」
私たちはクライアントから提出された広告をガイドラインに則って校正していきます。
もし広告に、ガイドラインに違反しているなどの理由で直してほしい箇所を見つけた場合、その広告データをプリントした紙(校正紙)に赤いペンでどのように修正していただくか指示を書き入れます。そのようにして不備不足を書き入れた校正紙を締め切りまでにクライアントに返却。クライアントがそれを見て修正をする、というのが校正の一連の流れです。
この校正作業は1回で終わることはあまりなく、2〜3回ほどやりとりすることがほとんど。そのため、1回目の校正で修正が入らなかった箇所も2回目では修正が入る、なんてことはよくある話です。
校正作業が終わることを“校了”というのですが、校了までの期間は校正によって「確認と修正に費やす時間」となります。
でもそのクライアントはあまり印刷や出版業界については知らなかったようで、1度校正が完了したのに新たに修正依頼が入ったことに驚いているようでした。
我がチームのベテラン社員さんがクライアントに直接電話して、「校了までに修正が入るのはしょうがないことなんです」といった事情をお伝えし何事もなく終わりました。
私は正直、そんなことを言うクライアントにあまりいい気がせず少しムッとしました。
1度にすべての不備不足を見つけろっていうの?
仕事なんだからそれができて当たり前、と思われるのかもしれませんが、印刷や広告・出版業界はいずれもスケジュールがタイト。納期が命の戦場なので、1回の校正を完璧に行うよりも何回かに分けてスピード優先で動くほうが効率的です。
なんなら精度よりも納期が大事な業界。ときとして完璧は邪魔者になります。
そんなに完璧な校正を望むなら自分たちも完璧な広告作りなさいよ…なんて心の中で文句を言っているとき、ふと、あるフレーズが思い浮かびました。
「完璧は善の敵」
完璧は善の敵
映画『BlackBerry』は、独自の携帯端末を開発したブラックベリー・リミテッドという企業の成功と衰退をテンポよく描いた作品です。
ブラックベリーのエンジニアであるマイクは職業柄もあってかこだわりが強い性格。経営者のジムが至急プロトタイプを完成させよ、と強引に要求するもマイクは「たとえプロタイプであっても完璧に仕上げたい」と言ってもう少し期限を伸ばすよう詰め寄ります。しかしジムは一歩も引く気はないように「完璧は善の敵だ」ときっぱりマイクに言い放ちます。
完璧は善の敵?ことわざかな?
調べてみると、どうやら欧米の哲学者の格言「Perfect is the enemy of good」を日本語に訳したのが「完璧は善の敵」という言葉。
意味は「完璧を追い求めるとなにも得られずに終わってしまう」とか「完璧にこだわり過ぎると正当な評価ができなくなってしまう」とかいう、“完璧”に対する注意喚起のようです。
冒頭でお話しした、クレームを入れてきたクライアント。まさにあのとき私の敵でした。
完璧を相手に求めてもあまりいいことはありません。まさに格言のように、自分の基準や都合を相手に押し付けてしまいかねないし、正しく評価ができなくなってしまいます。
これは自分に対しても同じです。
いわゆる完璧主義者と呼ばれる人たち。
完璧主義者の特徴
先に言っておくと、おそらく私は完璧主義者ではありません。もしかして完璧主義者なのかもしれない、と思った時期もありましたが、完璧な完璧主義者たちに出会うと自分はまったくそこに及んでいないとわかりました。
よく考えてみれば私は何事も中断してしまいがちで、6〜7割の完成度であっても他人からOKがでれば満足してしまう半端者。全然、完璧主義者ではありませんでした。
まず私がどんな方々を完璧主義と思っているのか、性格や行動の傾向をいくつか挙げます。
理想を追いかける
理想にこだわる人が多い印象です。たとえばマニュアル通りの進行とか、数ある中のベストな組み合わせみたいな、“理想的”とされているものにこだわり、それ以外は意味がないと断定しているかのようです。
いわゆる0か100かの価値観なのかもしれません。
先延ばし病
「やらなきゃ」または「やるべき」という気持ちはあるものの、始められずにズルズル予定を先延ばしにしてしまう印象があります。
完璧へのプレッシャーで腰が重たくなっているのか、期限が近づいてきてようやく取り掛かる。でも始めたら始めたで次はやり方にこだわってしまい締め切りを過ぎてしまう、というのがパターン化している印象。
1からやりたい派
短縮したり省略したりがあまり好きではないようです。1からきれいに並べて順番通りに進め完成させる。優先順位はスピードや結果よりも“やり方”が上であることが多く、もはや本来の目的や意義など構わない、とふりきっているようにさえ見えます。
以上が私から見た、完璧主義者たちの特徴です。
もしかしたらネガティブな言い回しになってしまったかもしれませんが、決して完璧主義者を悪く言いたいわけではありません。
むじろ私は完璧主義者の、物事に対する徹底した姿勢や、集中力と探究心が持続するスタミナなど、一度火がつくと自分さえも燃やしかねないほどの原動力に憧れている節さえあります。
完璧主義が仕事の成果につながっている人もいるので、プー太郎な私からしたら憧れです。
しかしどうやら、当の本人たちは自分の完璧主義に疲弊していることが多いらしいのです。
今まで出会った完璧主義者のなかには、自分の完璧に対する執着が過ぎるあまり、なにかの病気なんじゃないかと真剣に考え悩んでいた過去があると告白していました。
完璧であることに生きがいや喜びを感じていれば問題なさそうですが、自分の精神を蝕む元凶になっているならばほおっておいてはよくなさそう。
少し肩の力を抜く必要がありそうです。
自己嫌悪に陥ってしまう
私の出会ってきた完璧主義者たちは自己嫌悪を感じていることが多いです。
前述した、完璧を求めるあまり何事も必要以上に時間がかかってしまうという行動パターンによって、結果的に悪い評価をされてしまうことがよくあります。わかっていたのに、締め切りまでに終わらせなきゃいけないとわかっていたのにできなかった、そう感じて良い評価を得られなかった自分を責めている方が多かったです。
完璧主義者は真面目な方が多いため、決してだらしないわけではありません。でも結果としてはルールや基準を守れていないため、No Goodになってしまいます。
まさにこの状態って「完璧は善の敵」ですよね。
自分にも周りにも“善”の状態になるよう努力をしていても、気づけばあまり意味をなさないような無駄な取り組みをして“完璧”を目指してしまう。
身近にいる完璧主義者がそのようにがんばり過ぎていたとき私は「がんばらなくていいよ」と声をかけようかと思ったのですが、もはや周りの声など聞こえない境地にいるようでした。
本人でさえ“完璧”に呪われた自分を止められないのかもしれません。
自然と自己肯定感が低くなる
完璧主義というのは悪いことではありません。よくないのは、自分でがんばる程度を必要に応じて調整できないことです。
これはつまり自分をコントロールできていない状態。自分の頭と体なのに、思い通りに動かせなければ誰だって歯がゆい思いをするし、ストレスだって感じます。この状況を容易に作ってしまうのが完璧主義の思想なのです。
逆に、自分をコントロールできている実感がある人は幸福度が高い、といわれています。
自分の好みで選んだ、自分の気分で始めた、自分の考えで動いた…このように自分で物事を決めたときって少し心配もあるけれど、達成感のほうが大きくないでしょうか?なおかつ、決断の末に良い結果となれば、さらに嬉しくなるでしょう。
この、自分で決めて行動できている実感、心理学の用語では『自己決定感』といいます。
完璧主義者は物事に完璧を求めるけれど、なにより自分自身に完璧を求めていることが多い。
でもすべての人間は不完全です。長所もあれば短所もある。なのに完璧であろうとしてしまいます。
これはありのままの自分を受け入れられていないからかもしれません。
ありのままの自分を受け入れられることを『自己受容感』といいます。
この自己受容感が高い人、つまり自分のイヤな部分、忘れたい過去、隠したい一面、そのすべてを受け入れられている人はメンタルが強い傾向にあります。
自己受容感が高いと自分は無条件で認められる・愛される、という自信につながり、ちょっとのことではブレない自己肯定感が育まれるのです。
自分に完璧を求める人たちにとって、不出来な自分を認めるのは至難の技。できることなら克服したい課題かも知れませんが、その高い志が返って自分を苦しめているのかも知れません。
『自己決定感』と『自己受容感』は自己肯定感の土台の部分なので、ここがもろいと自己肯定感も必然的に低くなってしまいます。
完璧を求めてしまうと「こうするべき」「こうあるべき」という普遍的な基準で判断しなければいけなくなるため自己決定感が低くなりますし、完璧ではない自分を認めることも難しくなるため自己受容感も低くなります。
このように完璧主義者は、自然と自己肯定感が低くなってしまう仕組みを生み出してしまっているようです。
誰しも完璧を求めてこだわりが強くなってしまう場面はありますよね。
私もこの記事の執筆に思っていた以上に時間がかかり、ようやく終盤になって完璧主義な思考回路になってしまっていると気づきました。
さきほど執筆にとりかかろうとしたら、かなり腰が重たくなっていることに気づいたため、「完璧は善の敵」と心の中でつぶやき、自分の精神の健康を最優先にするため、ここらへんで執筆をやめようと思います。
人から頼まれて作っている記事ではないため自分で自分にOKを出さなければ永遠に書き続けてしまいそうになります。
自分で自分にOKを出す、忘れないように書き留めておきます。
最後に
私は最初、完璧主義者と自己肯定感につながりがあると知ったときすごく意外に感じました。
完璧を目指す、いわゆる意識の高い人たちに、自分に自信がないとされる自己肯定感の低さが影響しているなんてイメージが沸かなかったんです。
でも調べるうちに、自己肯定感が低くなってしまう原理がわかり、周りの人間にあてはめてみたところすごくしっくりきて、腑に落ちました。
一見、自己肯定感が低いようには見えない人も、自己受容感とか自己決定感とかは満たされておらず、結果的に自己肯定感が低くなっていることがあります。
自己肯定感は6つの要素が成しているため、この要素に着目しないと自己肯定感とやらも本当の意味では理解できないかもしれません。
単純に、自分に自信があるとか、自分のことが好きとかいう問題ではないのが自己肯定感。
違う意味で捉えている人も多いので、改めて専門的な用語は自分で調べる必要があるな、なんて校正のお仕事をするうえでの心がけになりました。
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