ブータンが「幸せの国」と呼ばれるようになったあらまし〜GNHの起源〜
こんばんわ🐱
今回は、「幸せの国」と呼ばれるようになった経緯を深掘りしていこうと思います。
日本では、ブータン王国について、一昔前まで「秘境の国」や「桃源郷」と呼ばれることが大半でした。
ところが最近では、「幸福大国」や「幸せの国」と呼ばれることが多いです。
発端は、1979年の 9月9日のキューバのハバナで開かれた第6回非同盟諸国会議に先代の国王が出席し、その帰途ボンベイのサンタクルス空港において、インドの新聞記者からの取材に応えた際の発言です。
インドの新聞記者はこう聞きました。
「我々はブータンについて何も知りません 例えば、ブータンのGNPはどの程度でしょうか?」
これに対し4代国王は…
「我々にとってはGNPよりもGNHのほうがより重要である」
インドの新聞記者は、言ってしまえば嫌味を言ったんですよね。
ブータン(当時)のような小さい国のGNPは、限りなく低いだろうということをわかった上で、あえて質問した。
これに対し、4代国王は、ユーモアたっぷりのダジャレで返したわけです。
Gross National Products(国民総生産)を
Gross National Happiness(国民総幸福量)に置き換えたのです。
もちろんそんな言葉があったわけではなく、とっさに生まれたパワーワードですよね。
その後、ブータンは国を挙げて国民総幸福について考え、具体的な政策まで立案するようになりました。
このときのやりとりをブータンクエンセル社(新聞社)の編集長が2008年8月に発行されたネパールの月刊誌『Happiness Southasian』に文章を寄稿し、それがブータンが対外的に国民総幸福を打ち出した起源でした。
GNHを初めて言及した新聞記事は、1980年4月29日発行のニューヨーク・タイムズ誌で、国王のこんな言葉が掲載されていました。
ブータン政府公式文書で、GNHが初めて記載されたのは、開発計画である第8次五か年計画(1996年)です。そこにはこのように書かれています。
1998年のジグミ・ティンレイ首相のスピーチで、GNHという言葉が最初の脚光を浴びます。
こうして、当時の首相は先進国がそれまで辿ってきた発展モデルに疑問を投げかけました。
それは現代社会の進む方向に対する反対の立場としての社会のあり方の提唱でもありました。
そんな経緯でGNHという概念が生まれ、それまでの世界の中で異彩を放つ価値観が創出されたのでした。
GNHという概念を軸に政策を実行し、対外的なアピールも進めてきた結果、ブータンは「幸せの国」として、近年有名になりました。
社会問題はいろいろあるにしても、軸となる目標があって一丸となれることは、羨ましいですよね。
心の豊かさを大切にするブータンにぜひ行ってみて実際に体感してみるのもありですね✨
それでは読んでいただきありがとうございました。
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