駆け出し百人一首(33)月も出でで闇に暮れたる姨捨に何とて今宵訪ね来つらむ(菅原孝標女)
月(つき)も出(い)でで闇(やみ)に暮(く)れたる姨捨(うばすて)に何(なに)とて今宵(こよひ)訪(たづ)ね来(き)つらむ
更級日記
訳:月も出ないで暗闇になっている姥捨山のように、来ても甲斐のない、姥捨山に捨てられそうなお婆さんの私のところに、いったいどうして今夜あなたは訪ねてきているのだろうか。
It is unworthy of coming to my house. An old woman like me is as boring as Mt. Ubasute without the moon. Why are you here?
『更級日記』の書名の由来になった和歌です。姥捨山のある辺りの地名が「更級」なのです。長野県長野市・千曲市あたりの地名で、今では、主に更科と書きます。
この作品は「日記」と呼ばれていますが、日記というよりは自伝に近い作品です。ある程度の年齢になってから、過去を振り返って一気に書き上げたのだろうと思われます。随所に「この頃の私バカみたい」というように、現在の年齢の筆者による感想が差し挟まれまれています。
その自伝の締めくくりに出てくるのが、この歌です。夫を亡くし、子どもも自立し、一人寂しく暮らしています(研究者によってはこの境遇を「老残」という哀しい言葉で呼んでいます)。そこにひょっこりと甥っ子が訪ねてきたときの歌です。
文字通りの暗い歌として捉えても良いのですが、私は永遠のヲタ女の菅原孝標女が、オタクが良くやる自虐をかましたのだと思っています。久しぶりに人が来てちょっと浮かれ、笑ってユーモアを飛ばしているのだと。
和歌の修辞法
月も出でで闇に暮れたる姨捨:見立て(比喩)。姥捨山は月の名所として知られていたが、そこに肝心の月が出ておらず、訪ねても甲斐のない状態。「私のところなんて、一人寂しく暮らしているだけで、来ても面白くないよ」というメッセージを重ねた。数ある月の名所の中でも、姥捨山を選んだのは、作者が姥捨山に捨てられるような老婆になったという自虐的な意味もある。
文法事項
出でで:ダ行下二段活用「出づ」未然形+接続助詞「で」。〜ないで、と訳す文法。
訪ね来つらむ:カ変「訪ね来」連用形+強意(完了)「つ」終止形+現在推量「らむ」連体形。「らむ」が連体形なのは、「何とて」という疑問詞からの係り結び。
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