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医師となり現場の世界へ、そこで感じた歯痒い思い

これまで古賀さんの幼少期から大学時代までを伺ってきました。今回は古賀さんが大学卒業後、医師となってから現場で感じたことや出来事についてインタビューしました。

Interviewee’s profile
古賀 俊介

1989年生まれ。福岡県出身。産婦人科医。筑波大学医学群医学類卒。在学中に起業し、自身もエンジニアとして様々なWebサービスを開発。医学生向け国家試験対策サイトmedu4は医学生の3人に1人が利用する規模にまで成長。2019年に株式会社Inazmaを創業し、現在は会社経営をしながら診療も行っている。2021年4月にゼロマチクリニック天神をプロデュース。


同期の多さを重視し、地元福岡へ

ーー大学卒業後、東京から地元の福岡へ戻ったのはなぜですか?
福岡に戻ったことに特別な理由はなく、ご縁があり地元で働くという形になりました。国家試験に合格し、医師免許を取得した多くの人は、まず総合病院で勤務するというのが一般的です。僕も例に漏れずその一人で、最初の2年間の研修医期間は総合病院で様々な診療科を研修させてもらいました。その後、3年目からは自分の選択したい診療科の専門研修を開始する流れとなり、僕の場合は産婦人科の研修を開始しました。

ーー福岡の病院はどんなところがよくて選択したのでしょうか?
同僚と深い関係性を築けるような環境に身を置きたいと考えていたので、同期の多さを基準に選びました。僕が研修した病院は同期が20人くらいいて、魅力的だと思いました。特に最初の2年間は同期との絆が深まり支え合うことができるので、これから病院を決めようとしている方にもおすすめです。
医師のキャリアという観点では、将来どのくらい医師として働くかなど全く想像がつかなかったので、病院選びにおいて気にすることはありませんでした。

ーー前回のインタビューで大学時代に産婦人科を選択することを決めたと伺いましたが、心変わりはしませんでしたか?
はい。前回もお話した通り、人々の人生のスタートに携わることのできる産婦人科に強い魅力を感じていました。選択肢としては小児科もあるように思われますが、子どもと触れ合うのがあまり得意じゃなかったこともあり、産婦人科を選択しました。

目の当たりにした複雑怪奇な医療現場

ーー学生時代に思い描いていた産婦人科と実際の現場でのギャップのようなものはありましたか?
いかにハードであるかという部分は実際に働いてみないとわからないところでした。産婦人科は24時間、いつ赤ちゃんが生まれるかわからない状況の中、常に気を張っている状況で待機します。お産は命がけで、実際にハードなケースに遭遇したことも多々あります。世の中的に、お産は”幸せなもの”というイメージがあるかもしれませんが、イメージと反して現場は常に穏やかで平和なわけではありません。命を扱う現場ですから気を抜いている暇はありません。

ーー研修医となり、フラストレーションを感じたことはありましたか?
はい。医療現場はかなり大変でした。医療はなぜこんなにも複雑怪奇なのかなど、働けば働くほど疑問符が次から次へ頭に浮かびました。
医学部時代前編でも話した患者にとっての病院選びから受診、薬局への一連の流れにおける無駄な工程についてもフラストレーションを感じました。その他にもひとつひとつの仕事が非常にアナログでした。デジタルをアナログにしてそのあとまたデジタルに戻すような仕事のやり方など、二度手間が多すぎる環境に辟易しました。
もちろん現場は忙しいので簡単には変えられない事情があり、これまでのやり方を続けていることは理解できますが、なんとかならないものかと思いました。学生時代にITの世界で仕事をしていたからこそ、この医療現場に対して違う視点で見ることができたのかもしれません。

Inazma創業への足がかり

ーー歯痒い思いをする一方で、良かったと思えたことはありますか?
大きな病院だったので多くの診療科があり、様々な診療科の先生たちとコミュニケーションをとることができました。それぞれの科の先生と話す中で、最新の治療や何をその科が大事にしているかということを学ぶことができました。リアルな現場を知ることができてよかったです。

ーー医師として働く中でいつか開業したいと思うこともなかったですか?
自分の中に理想の医療のイメージがあるので、それに向かって進む過程で、適切な医療機関を作りたい思いはあったのですが、自分が開業医となって診療をやるイメージはまったくありませんでした。今のゼロマチクリニック天神はもちろん、今年はもうひとつクリニックを立ち上げる予定ですが、あくまで、実現したい医療・ヘルスケアの礎のひとつ、手段にすぎないと考えています。

ーー当時、古賀さんの実現したい“モノづくり”の模索はしていましたか?
模索は特にしていなかったですね。働けば働くほど、いろんな課題があるなと感じる毎日でした。
研修医の時に取り組んでいたこととしては、知人の医師と4人で臨床研究をしていました。妊婦さんのお腹にバンドを巻いて子宮の収縮と胎児心拍を計測する検査があるのですが、計測のための機械は高価かつ非常に古い技術が使われています。それをもっと安価で簡便に計測する技術に関する研究でした。
院内の倫理委員会を通し、妊婦さんに協力いただきながら、あたらしい方法で計測できる仮説を立て、最終的に特許を取得しました。ただし、残念ながら関わっていた全員が多忙なこともあって、その技術を用いた医療機器を形にするまでには至りませんでした。でも、当時一緒に研究していた先生とInazmaを立ち上げる契機となりました。

次回はいよいよInazma立ち上げについてインタビューをしていきます。お楽しみに♪

Interviewer’s profile
高田 桃衣

1990年生まれ。愛知県出身。同志社女子大学卒業後、はとバスイメージガールとしてPR活動に従事。任期満了後、フリーアナウンサーとして番組MCやレポーターなどを務める。2020年に所属事務所を退所し、企業広報、話し方講師、アナウンサーなど複数の職を担い、パラレルワーカーとしてのキャリアをスタートさせた。株式会社Inazmaでは広報を担当。

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