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「考えるな、感じろ」ってムズない??

スピリチュアルに全身浸かっている人間にあるまじきだが、『ただ感じる』ことの難しさが半端ない。

アニマルコミュニケーションの勉強を始めてから散々言われてやらされてきて、今や当たり前になっている感覚だと思ってたのに。

去年終えた上級コースでは、「最近はインナーチャイルドと仲良しなんで!」とか息巻いてたのに。

ふと気付いてしまった。私がそれだと信じて疑っていなかったそれは『思考や感情が上乗せされたモノ』だったんじゃないかと。


例えば、仕事中にモヤモヤした気持ちを感じる時、意識を内に向けて


「身体が疲れてるな…」

「イライラしているな…」

「もう帰りたいんだな…」

「あぁ嫌だな…嫌だな…」


という流れになる事が多い。正に今日もそうだった。

ある程度味わってから戻ってくるのだが、正直言ってあまりバランスが整っている感覚が無かった。



改めて文字に起こすとよく分かるけど、「そりゃそうだろ」と言わざる得ない。

「あぁ嫌だな…嫌だな…」

コレ、感情が入ってるじゃん!

感じた上で、自分で否定してるんだからそりゃ落ち着くわけ無い。寧ろ更に落ちる。


先生はよく言っていた。

「どんな感情も、ただ感じなさい」

「『こんな自分はダメだ』『あってはならない』等のジャッジは全く要らない。ただ、それがあると見つめることが大切!」


スクールがあった頃は毎回ワークをやらされて、「それは思い込み」「まだ否定してる」と散々ダメ出しを食らっていた。

精神修行の如く辛い時間を乗り越えた自負があっただけに、今回の気付きは中々にショックだ。

分かったつもりだった。出来てると信じて疑いもしなかった。

いつから、ジャッジが紛れ込んでたんだろう。


過去を考えても戻らないのは分かってる。

だけど、そんな禄に整ってない自分で皆と向き合っていたかと思うと、本当に申し訳ないし恥ずかしい。

この後悔も、羞恥心も、罪悪感も、全て受け入れて感じなければならない。


「べき」「である」に染まらず、「ダメだ」「嫌だ」「許せない」に囚われず、自分の頭から出るアレコレに左右されず、ただ自分の今を、目の前の光景を感じるだけ。

それって言うのは楽だし、簡単にマインドフルネスっぽい感じが出せるけど、実は相当に難しい事なんじゃ無いだろうか。


気付いた上で、どうにかるもんなのかな…明日から大丈夫だろうか。



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