こんにちはこんばんは。 タイトルの通り、ほぼ6年お付き合いしてきた恋人と別れました。 昨年7月から同棲を始めて、今も一緒に暮らしてます。 「結婚見据えて暮らし始めたけど、相手が首を縦に振らない」 という話は耳に珍しくなかった。 「それこの前も聞いたよ~よくある話なんだぁ~」 なーんてありきたりな相づちを打って流していたけど、まさか自分の身に起こるとは。 それが原因で別れる事になるとは。 当時の自分は顔の産毛程も思ってなかった。 端から聞けば「良くある話」と流
帰り道、いつものお店が軒並みシャッターを閉めていて戸惑った。ご飯は要らないって言っちゃったし。 結局コンビニで惣菜を買い、海が目の前のベンチに向かう。 暗い浜辺に火花が散り、悲鳴が上がった。こんな夜更けに花火かよ、と突っ込みながら上に目をやる。夜空は雲が晴れて、星が煌めいていた。
仕事、恋愛、やりたい事。これから死ぬまでの道のりを歩むのに、何一つ大丈夫と言えるものがない。「これがあれば」とかいう拠り所がない。親はいずれ死ぬ、兄弟は別所帯、恋人は他人、仕事は激務で不安定、やりたい事は先が見えない、結婚はしたくない。 我ながら勝手にくたばれと言いたい。
1日は24時間じゃ足りないって思う。 仕事と睡眠を除いた残り時間は、身支度やら移動やら家事でどんどん減っていく。 更にスキマでぼんやりするから、やりたい事に向き合える時間なんて残りカス程度。 切なくて涙が出そう。 世の充実してる人達は、どんな時間割りを生きてるんだろう。
観光地なだけあって、地元がよく番組の舞台になる。 今日は猫の特集をしていた。 海辺に、お店に、お寺に、色々な猫ちゃんが登場した。 一方で、馴染みの店は出来たけど、四つ足の知り合いはまだいない。 コミュニケーションを学ぶ者として、ご近所で是非お近づきになりたいところだ。
休みの前日くらい、ゆるくていい。 そう言い聞かせて、不穏に叫ぶ猫達を黙殺した。 普段は帰りの挨拶ついでに相手して、バスを乗り過ごす。 が、今日こそは有言実行、予定通り飛び乗った。 本屋で見かけた新刊曰く、『自分のために生きない人はやがて窒息する』とか。 ほんとそれな!!
作業だったり、思案だったり、あることに集中すると周囲に全く意識が向かなくなる。 仕事帰り、駅のホームで調べものをしていて、ふと顔を上げたら乗るべき電車が走り出していた。 そういえば、この前もあった。 バスを待っていた時。 物思いに耽りすぎて、横で叫んでるおばあちゃんに気付かなかった。(バスの行き先を聞きたかったらしい…無視してすまない) やってしまった瞬間は「あ……あぁ~」と頭を垂れるが、それも数秒。 よほど取り返しがつかない限りは「ま、いっか」と忘れる。 周りは変人
年明けから始めて、今までアニマルコミュニケーション的なことをちゃんと書いたことがなかった。今更ながら中々にショック。 と言うわけで、今日の出会いについて書こうと思う。 私が住んでいるのは神奈川の鎌倉市。言わずと知れた鶴岡八幡宮のお膝元で、引っ越してから毎週欠かさずご挨拶に伺っている。 初対面のご祈祷の時、凄い威圧感で潰されそうになってからというもの、おみくじでも末吉が精々で、私には中々に辛口な神様。 その塩対応が逆に心地良く、通い詰めて半年程になる。 今日も今日とて
かつて「私の何を知ってるの!」と叫んだ友達がいた。 当時はドン引きだったが、今更分かってしまう。 もっと自分を出して良い、とか言うけど、出したら歩く感情爆弾みたいな奴だけど良いの? 一方で、所構わず怒鳴って感情のまま叫んで、ケロッとしてる人もいる。 この違いって何だろう。
noteを見ていると、素敵だなと思える文章が本当に沢山ある。 プロの方も、そうじゃない方でも、共通するのは「自分の思いを心から伝えている」からだと思う。 翻って、自分のを見ると。 堅苦しくて、身が縮こまる感じ。そもそも思いを表す事を避けている気がした。 どうせぇっちゅうねん。
アゲアゲな曲調が胃もたれしそうな時は、自然と平井堅を聴いている。 『倒れた同じ数/また立ち上がればいい/君の鼓動は君にしか鳴らせない/君は僕のヒーロー』 ランダムで流れた好きな一曲。 穏やかなメロディに乗せた泥臭い歌詞が好き。 英雄でなくても、誰かと手を繋げる自分でいたい。
スピリチュアルに全身浸かっている人間にあるまじきだが、『ただ感じる』ことの難しさが半端ない。 アニマルコミュニケーションの勉強を始めてから散々言われてやらされてきて、今や当たり前になっている感覚だと思ってたのに。 去年終えた上級コースでは、「最近はインナーチャイルドと仲良しなんで!」とか息巻いてたのに。 ふと気付いてしまった。私がそれだと信じて疑っていなかったそれは『思考や感情が上乗せされたモノ』だったんじゃないかと。 例えば、仕事中にモヤモヤした気持ちを感じる時、意
刺さるような寒さの中、バス停で一心に本を読む少年がいた。 指先を真っ赤にしながら固いカバーを握りしめる姿に、昔の自分が重なった。 一度開くと夢中になって、歩きながら読んだりしていた。 本に親しんだ経験は、その後の人生で何度も活かされてきた。 少年よ、ぜひ本の虫になれ!!