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【北海道のひだりうえ/遠別町】「リトルアラスカ」と呼ぶフィールドで50年間撮影をし続けているカメラマンの話
生まれ育ったのは「リトルアラスカ」
生まれてから66年間遠別町を離れず、農業をしながら約50年間に渡り写真を撮り続けている泊和幸さん。
「この場所には手付かずの生態系が残っていて、野生動物が生き生きとしている。いわばリトルアラスカみたいなところだ。アラスカなんて行ったことないけどなあ!ハッハーッ!」
泊さんはこの遠別町と周辺のフィールドのことを「リトルアラスカ」と呼んでいる。笑い方が少し特徴的な恰幅のいいおじさんだ。ぼくの父親とも数十年来の付き合いで、友人のことを動物に例えて関わるという変わった特徴もある。(ちなみにぼくの父親のことはアライグマ、と呼んでいた。手のつけられない外来種!)
泊さんとうちの父親
普段は主に小麦農家を仕事にしながら、「株式会社野生塾」の名義で写真家としても活動している。野生塾は6年前、泊さんが60歳の時に立ち上げた会社だ。当時、社名をどうしようかと事務所に尋ねてきて、「株式会社トマラン」にしようか迷っている、と話を聞いた時は必死に止めたような記憶が残っている。野生塾に決まってほっとした。
ぼくがカメラを始めたのが7年前。撮るジャンルがまったく違うということもあって、いわゆる弟子入りという形はとっていないけれど、写真にまつわることについて教わることはたくさんあった。
「とにかく続ける糸を切らさないこと。どんなに忙しくても自分の興味を持ったことは細い糸でも残しておいてください。数十年後に何かに結びつくかもしれない。」
泊さんが小学生向けに行った講義の最後に伝えた言葉は、何度かぼくにも伝えてくれていた言葉だ。
撮影を続けること
11月から2月が泊さんの勝負期となる。オオワシやオジロワシがカムチャッカ半島へ渡る前に遡上するサケを目当てに「リトルアラスカ」へやってくる時期だ。農作業が落ち着いた時期でもあるため、毎日のように撮影に出かける泊さん。なのでこの時期の泊さんはなかなか捕まえられない。
写真を撮りはじめてまだ10年に満たないぼくにとって、50年間野生動物を撮影し続けるということは想像すらできないことだ。日の出とともに撮影地へ向かい、日の入りとともに自宅に戻る。警戒心の強い野生動物たちに気取られないように6時間近く息を殺し、物音を立てずに過ごす。
「オオワシと目線を合わせるために海岸に穴を掘って、流木で隠して撮影していたんだけど、穴にどんどん海水が溜まってきて目の前をエビが泳いでんだ。醤油持ってきたらよかったと思ったよ!ハッハー!」
ちょっと何を言ってるかわからない。気温はマイナス、風速10mが吹き荒れる日本海の海岸で何時間も冷たい海水に浸かり続けるモチベーションはどこから湧いてくるんだろう。
撮影データを遡ることは遺品整理のようなもの
フイルム時代から撮影を続けている泊さんの撮影データは膨大で、自分でもみたことのない写真が出てくることもあるそうだ。
50年間撮影してきたものはすべて同じテーマ「リトルアラスカで過ごす野生動物たち」の記録であり、その当時にしか撮影していない、二度と撮影ができないものもある。自然界の移り変わりは人が知らないあいだ、淡々と行われている。過去のフイルムから目当ての写真を探り出す作業は遺品整理のようだ、と言う泊さん。縁起でもないけれど、きっとそういうことなのだと思う。それくらい生活と撮影が密接に絡み合っている。
ぼくはこのすごいおじさんのことをずっと応援していこうと思っている。なのでオンラインショップができたことをこの記事で紹介しておきたい。
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過去に紹介したブログはこちら。
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