【言志四録】読書感想スピンオフ 〜第1弾
みなさん、いつもお世話になっております!
私は普段、「本」「読書」に関することを主軸に記事を書かせていただいています。
自己紹介に書いたマイルールを守りながら書いています。
昨日、佐藤一斎先生の『言志四録』を読み、その感想を書かせていただきました。
しか〜しっ、書きたいことがあり過ぎて、1回の記事で文字量が膨大になってしまいました汗
それでも、約250ページ中わずか30ページ相当について書いたに過ぎず・・・
よしっ、せっかくの機会だ!
この際、書きたいことを全部書いていこう!
ということで始めたスピンオフ企画の第1弾です!
ヘッダーは、MP197さんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!
春風秋霜(しゅんぷうしゅうそう)
言志四録の中で、最も有名な言葉らしい。
「春風の暖かさをもって人に接し、秋霜の厳しさをもって自らを慎む」という意味だそうだ。
前回「寛容」について書いたが、全く同じ意味合いと言っていいのかもしれない。
少なくとも、私はその意味で書いた。
私は、周囲から見れば自分に厳しい方らしい。
それを直接伝えてくれた方が、かつて何人かいらっしゃった。
今思えば大変ありがたいことであるが、当時はなかなか素直に受け取ることができなかった。
そもそも、
・何が厳しいのか、
・何を以て厳しいと見られているのか
について理解することができなかった。
これが、素直に受け取ることができなかった最大の原因であろうと考える。
そして厄介なのが、それを他人にも押し付けていたということである。
いや、いまだに押し付けているかもしれない。
自分に設定した基準は、当然他人も同じく備えるべき基準だと考えていた。
これは、"仕事において” という前提条件を私の中で持っていた訳だが、そんなこと他人には関係ない、分かりようのない話し・・・
「自分の基準を勝手に他人に押し付けるなよ・・・」
と思われていたとすればまだ良い方で、
「自分はできていないくせに、他人に理想を押し付けるなよ・・・」
と思われていたとすれば最悪である。
未だ、私の基準は変わっていないかもしれない。
クライアントに対し、適切かつスピーディーに成果をご提供する中で信頼を築いていくという基本的構造は絶対に変わらないと思っている。
そこには、決して妥協できる部分はないと考えている。
しかし、この基準はあくまで私の考えだ。
仕事だからといって、これが絶対ではない。
そして、ここでいう成果は、必ずしもこの方法によらなければ出ないというものではない。
ここがまさに押し付けのポイントであり、私の他人に対する秋霜である。
それでもやはり、私の考え方は伝えたい。
そう思った時に最近気を付けていることは、「私はこう思う」という意見の提示方法だ。
それを受け取るか受け取らないかは、相手しだい。
相手の考え方は変えられないし、もっと言えば、変えてはいけないのかもしれない。
私のその意見を尊重して受け取ってくれればありがたい話であり、私も相手の意見を尊重して受け取るべきである。
1月17日の真冬において、春風を慕う私である。
季節を問わず、春風を纏いたいと誓う私である。
読書は何のためにするか?
私は、読書が好きだ。
ここ10年ほどヌマっていると言ってよい笑
子どもの頃は、マンガすらもと言ったら失礼だが、あれだけふんだんな絵に字がついているようなスタイルでも読むことが苦手だった。
マンガ1冊を読み切るのに、モノにもよるが1時間半は要していたと思う。
だから、それほど多くを読むということはなかった。
文字だけの本は、なおさらである。
しかし、勤めるようになり、様々な文書を読まなければいけない状況になった。
簡単な文章など、仕事ではそうそう無い。
苦手ではあるが、一生懸命に読んだ。
勤めてから10年ほど経って、職場の先輩から半ば強制的に本(小説)を渡され読んでみたところ、なんとスラスラ読めることか!
日々の習慣というか、訓練というか、恐るべき効果である。
スラスラ読めるようになったことが自覚できてからは、一気に本にのめり込んでいった。
ということで、私はいわゆる「本の虫」かもしれない。
しかし、本への適した向かい方があるということを一斎先生は指摘している。
言志録145条と、言志後録第144条にその辺が記されている。
・ただ、本の字面だけを追っていないか?
・心を書の上に置いているだけで、常に心の上に書を置くことができているか?
・精神を目ばかりに集中させ、ただ目だけ疲れていないか?
といったことを私たちに問う。
そして、あるべき姿として、
・必ず心と環境を整え、心を平静に保って読む。
・浮かれた心や騒がしい心で読んではいけない。
・本を前にしたら尊敬の念を持ち、バカにしたり先入観をもってはいけない。
と指摘している。
ただの一読者ではなく、書中の人物を凌駕するくらいの真っ直ぐな気持ちをもって、書に対峙することを説いている。
そしてさらに重要なことは、こうして本から得たことを実践に移すこと、つまり、学問を実際の社会に活すことを進めている。
もっと言えば、行動に活かすことができないことは学問でないとしているのかもしれない。
むすび(私の志)
私は、何のために読書をするのか?
その答えは、大きく三つあるように思う。
・善なる心を鍛える行動規範を得ること。
・その心を基軸に、自分をしっかりもつこと。
・その心を基軸に、他者をしっかり受け入れること。
これらはつまり、私の『志』なのだと思う。
偉くなりたい訳でない。
お金持ちになりたい訳でない。
容姿端麗でモテたい訳でない。
決してこれらを否定しないが、私はそうでない。
「知足」に基づき、幸せ・豊かさの感度をどんどん上げていきたいと考えている。
本日も、ご覧いただきありがとうございました!