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私は負け組

私の人生

私のクリエイター名「いなかのまどから」は、文字通り ”田舎に住んでいる”ことに由来する。
私はずっとそのマチに住んでいる。
私が子ども頃、小学校は1クラス、中学校に上がると2クラスという規模で日々を過ごしていた。

高校は、一応この地域では進学校とされるところを目指した。
中学校生活は、そこへ入ることを目標として過ごす。
そして合格し、いざ入ることが決まった瞬間に思った。
「やべっ、友達いねぇ・・・」

小1プロブレム・中1ギャップ・高1クライシス

各段階を上る際に生じる課題感を表した言葉だ。
私はまさに、高1クライシスになったと言っていい。
不登校はしなかったが、精神的に相当落ち込んだ状態で日々登校していた。

小さな中学校では上位だった成績も、いたって平凡に。
スポーツも割とできた方だったのに、極めて平凡に。
友達も比較的多い方だったのに、いったんほぼ皆無に。

何の取り柄もなく、顔も良くない、性格だって平凡。

「これが社会か・・・」
と、その大きさを感じた。

逆に言えば、今までなんて恵まれた居心地の良い環境にいたんだろうかと感じた。
それでもその時感じた私の社会の大きさは、たかだか200人規模から1,000人規模の学校になったことで感じたもの。
この先出ていくであろう、もっともっと大きな社会を想像したとき、私は途方に暮れた。

「よし、さっさと地元へ戻ろう。」

これが大まかな、私がここに留まってきた理由である。
でも途中で気がついた。
「このまま狭い世界で生き続けるのはマズい。もっと外を見よう」と。

先日MBTIという性格診断ツールについての記事をあげた。

診断結果は「外交的」ということになっている。
しかしこれは確実に、高校当時の私ではあり得なかったこと。
でも結果として途中で気づきがあり、そこから抜け出そうとしたから今がある。
決して内向的な方が悪いと言っているのではなく、私はそこから抜け出したいと思ったという話だ。

そしてそもそも人間なんて、必ず両面を持っていると思っている。
そういう時もあれば違う時もある。
そういう風にできる時もあれば、できない時もある。

娘の人生

私には高校1年の娘がいる。

「私は負け組」

私は直接聞いていないが、どうやら妻にそのようなことを話したらしい。
夏休みに入る前くらいだろうか。
入学して数ヶ月が経過した頃だったと思う。

成績上位だったのに、急に平凡へ。
スポーツはほぼできない。
友達も全然できず、同じ地元の子と連む日々。
部活もその子と入部して、同学年の部活メイトはいない。
顔は悪いし、図体デカいし、目は悪くてメガネだし、髪質も悪い。

いったい私に何の価値があるのか・・・
これはまさに、アイデンティティの確立に向けた葛藤だ。

孔子曰く、「四十にして惑わず」

学問的確立・自立とする説もあるが、私は個人的にアイデンティティの確立を踏まえた自己の確立と他者理解の話だと思っている。

「あなたも素晴らしいし、私も素晴らしい」
「あなたのココが良いけど、私のココも良い」

誰かから何かを評価され認められるところ、つまり自分の外側からの見え方でしか自分を見つける/認めることができないと、なんだか悲しいではないか。
私は今年まさに40歳になるが、ようやく自己理解に ”惑い” が ”少し” なくなってきた。
だからこそ以前より外交的に他者との関わりが持てるようになった。
自分への信頼がベースにあることで、そのエネルギーを外に向けられるようになったのだと個人的には理解している。

娘にはたくさん良いところがある。
つまるところ、あとはそこをいかに客観視して、自分自身がそれを見つけることができるか、そしてそれを信じることができるかだけだ。

地元というコンフォートゾーンを抜け出して、今までより少し大きい社会と向き合ったからこそ出てきた問いだと思う。
そこにまずは気づくことができたのだから、あとはそれを解決するだけだ。
課題発見の方が絶対に難しい。
だって、直視するとしんどいから。

そこを乗り越えたとき、もっと自分が好きになるし、もっと他者を好きになることができる。

長い道のりかもしれないが、頑張れ、娘っ!!


本日のヘッダーは、さっとんさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。


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