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ミルクティー道


大晦日の昼

母から電話があり、3年ぶりに実家に行くことになった。
ワクチンを打たない我々への出入り禁止が、解けたようだ。
運転・往復10時間、滞在は半日
されど歳をまたぐ。

前回まではオール電化住宅の便利さを羨んだが
今回は森の不便さが恋しかった。
退化か進化かわからない。

一首:トイレ蓋自動で開く実家から戻り水汲み薪割りをする



前から棚にあった器一式が何やら気になり、
母に譲られて持ち帰った。


器の一つは灰皿で、煙草以外の用途をあれこれ見立て
(視力検査など)
冷めにくい厚いカップを探していたのと結びついた。

毎朝恒例のミルクティー、
2年前に頂いた「いい紅茶」をやっと使い
30分かけて淹れ方飲み方を模索した。

途中、「家守綺譚」を読みながら、と思ったがとんでもない。
片手では飲めない仕様だ。

考えたら、茶道中に本を読む人などいない。

1杯入魂。



私に物の良し悪しはわからない。ただ見るたび、美しい器と思う。

茶碗が入っていた箱の内側を見たら
20代で交通事故で亡くなった従兄弟
https://note.com/inaho829/n/n2b456ae105ea
の、1周忌の記念の品だった。



従兄弟は大学で、ボート部の他に茶道部の部長もしていたそう。

彼の部屋に残されていた茶碗がどうしても気になった叔母(彼の母親)
が出どころを探し、それが山形の青龍窯という所で。

叔母は、青龍窯の製品のみを扱う店「翠雲」を開く。
店名には戒名を取り
知り合いに借りた物件がたまたま、お墓のある輪王寺の門前だった。


ネットのない時代に、一つの茶碗の出どころを探す冒険
基本的に卸はしない窯元への交渉
お金を触らず育ち、大学教授に嫁いでも姫だった叔母が
「商い」をするというという、かなりの高さからのジャンプ


「夜中まで話すのが楽しかった」相手が急にいなくなった世界で
生き続けるための一歩一歩と、今ならわかる。


幼かった私は、その一連をボケっと受け止め
自分の悩みに忙しかった。






曽祖父のお手本で書道、に加えて
従兄弟の形見で茶道(ミルクティー)が生活に入った。



急ぐことも稼ぐ必要もない森暮らし。
慕う故人たちと語りながらゆっくり行こう。



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