ばばあの決意。海外に行くまで
正直なところ、 海外で働きたいとか言っておいてその時まで何もしてこなかった。
努力をしたかと言われたら、 正直何もしてない。
どこで何をして何になりたいかとか、 何の目標ももたずにただ受けるものだから、当然受かりもしない。
正直今のところにいれるのも奇跡だ。
元同僚がきっかけを作ってくれて、そのレールに甘んじて乗っただけ。
語学力なんてなかったのにその甘えに乗ってよく受かったなと今でも思う。
でもその同僚だって呼んでくれたのは私の性格を知っていたからであり、
それが海外で生かせると思ってくれたからのお声がけだったので、
そういう意味では人柄は評価してもらえていて、
人に好かれるということで自分は努力してきたのだとしたら、
それが海外に行くためのやってきたことだったのかも。
31歳の8月、 母の誕生日の日に1次面接をして、
奇しくも祖母が亡くなった葬儀の当日が2次面接になって、
受かった時は奇跡が起きたなって思った。
そこから怒涛のように🇸🇬行きが決まった。
10月末までは大好きな職場で働き、辞めるつもりがなかった職場だから辞める時は大泣きした。
今でも日本に帰国するときは必ず立ち寄ってる。
その当時と比べるとみんなすごい偉くなってしまって、私が立ち寄るとみんな偉い人が寄ってきて、私は偉そうに対応するもんだから(そりゃそうですよ、当時は自分の後輩だったり同期だったり)知らない人たちは私が何者かとすごい目で見てる。
ともかくここから、 ビッチな生活、 夢にみていた海外生活が幕をあけるのでした。
東南アジアは女をビッチにする。
はい、名言入りましたー
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