夢野

これまでの人生や日々の中で感じたことを書きます。 まっすぐ表現できる人でありたいです。

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最近の記事

「二次元推しと結婚したい」気持ちの奥底にあるもの

※前置き※ 推しのこと「先生」って呼びます わかりやすく「推し」と表現してましたが 実はしっくりきてないので 「先生のお嫁さんになりたい」 好きになったばかりの頃湧き上がった願いは 私をどこまでも遠くへ連れて行ってくれそうな どこまでも遠くまで走っていけそうな エネルギーに満ちていた。 そのエネルギーの出所は 心から望む気持ちは 結婚という「型」が欲しいということではないと 割と早い段階で気がついた。 出会って お互いを好きになって 一緒に暮らす 法的な手続きを取る

    • 感じること、表現すること

      この世界は自分の感知することが全て 自分が感知しなければ存在しないも同然 自分1人でも大満足できる。 それをわざわざこうして 外に向けて発信するということは 自分にとってどういうことなんだろう。 書くこと、描くことは 1人でもできるけれど 「外に向ける」ことを意識すると 「形にしよう」とする意識がより強く働く。 形にしたものを自分で見て また違う満足感を得られる。 受け取った人が何かを感じてくれて もしかしたらそれが その人を喜ばせたり 役に立つことがあるかもしれな

      • 自分の描く推しが自分の中の至上

        私の推しはかなり根強い人気のあるキャラクターなので、ファンアートも無数にある。 今でこそ「私の描く推しが私の中の至上」と胸を張って言えるけれど 以前は「やっぱり上手い人はいいなああぁ・・・」と思うことがままあった。 そんな時、大学で履修していた認知科学の授業で聞いたある話が、 視点を変えるきっかけになった。 「同じものを見ていても、人それぞれ見え方や捉え方は異なる」 「人が見ている世界というのは、その人だけが認識している唯一のものである」 というような内容だった。 そ

        • 絵を「描けない」人はいない

          私は子供の頃から絵が好きで長いこと描いていたし、習ったこともあるので ほとんど絵を描いたことのない人と比べたら少しは上手く描くことができる。 なので、職場などで必要があって技術を提供する機会があると 「すごいね!」とお褒めの言葉をいただける。 そして 「私、絵って全然描けないから」と言われることも多い。 (その言葉は謙遜や、 「人前に出せるレベルの」という前置きを含んでいるだろうから 字面通りに受け取るわけではないけれど) 絵を「描けない」人っていないと思う。 楽

        「二次元推しと結婚したい」気持ちの奥底にあるもの

          二次元の推しと共に生きていた

          私には人生を懸けて推している推しがいます。 昨日の投稿にも少し書いたのですが https://note.com/imenoawai/n/n9bd25dd33709 長すぎるので引用します 推しには17歳の夏に出会った。 今でこそ「推し」「推し活」と言う言葉が存在し アニメのキャラクターや芸能人に夢中になる趣味は世間一般に認められるところとなっているけれど 当時の価値観で言ったら「ただのオタク」でしかなかった。 私がどれだけ推しに夢中だったかというと 「結婚したいくら

          二次元の推しと共に生きていた

          ぶきっちょ絵描きでも大満足の作品は作れる

          今年の春、とあるご縁で出会った学生さんに イラストや創作についてお話しする機会をいただいた。 描いたものを見せてもらったり、お絵描きアプリの使い方について話しながら 同じ歳の頃、私が同じように悩んでいたことが思い出された。 線がうまく引けない 思うように描けない 上手な人と比べてしまう わかる。わかりすぎて泣きそうだった。 子供の頃の将来の夢は「絵描き」だった。 小学校高学年の頃には漫画セットを買ってもらって 見ようみまねでつけペンを使ってみたり、トーンを貼ったりして楽

          ぶきっちょ絵描きでも大満足の作品は作れる