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「二次元推しと結婚したい」気持ちの奥底にあるもの

※前置き※
推しのこと「先生」って呼びます
わかりやすく「推し」と表現してましたが
実はしっくりきてないので

「先生のお嫁さんになりたい」

好きになったばかりの頃湧き上がった願いは
私をどこまでも遠くへ連れて行ってくれそうな
どこまでも遠くまで走っていけそうな
エネルギーに満ちていた。

そのエネルギーの出所は
心から望む気持ちは
結婚という「型」が欲しいということではないと
割と早い段階で気がついた。

出会って
お互いを好きになって
一緒に暮らす
法的な手続きを取る
現実的な「結婚」

これがしたいわけではなかった。
会えなくてもそこにいると感じる感覚は確かなものだし、
相手に自分を認識してもらいたい、とか
同じように好いて欲しい、とかは
そこまで重要ではない。
「法的な契約」なんてちっともいらない。

そのあたりの感覚は↑の記事にも書いた。

私はこの気持ちの先に
何を求めているのだろうか。
どうしてこんなに好きなんだろう。
この「好き」の正体は
願いの本質は
どこにあるのだろう。

思い浮かんだのは
先生のいつもの笑顔
それから
先生の心の奥底にあるありのままの気持ちを
そのまま見たい
どう生きてきて、何を感じいて、
この先どう生きていくのか
喜びも苦しみも光も闇も
全部見たい。知りたい。

究極の一方通行。
「愛していたい」
それだけならば
相手が目の前に実在していなくても
すぐに叶う。
二次創作という形で昇華することもできる。
だから現状、心底満足して幸せでいる。

とはいえ
もし今この世界で
遠くの景色に先生を見つけたら
私は迷わず駆け出すだろう。
きっとその時こそいくらでも走れる。

この夢と現の狭間で
私は一生生きていくのだろう。


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