【本メモ】チベットのモーツァルト


チベットのモーツァルト (講談社学術文庫 1591)
中沢新一
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何が言いたいのかわからなくなる、無知な私は調べてみると、言葉の使い方は一文ずつ正しいようだ。しかし、全体を見ると、何が主張なのかわからない、そして、話の流れもどうしてその話が始まったのかもわからない。
そんなつかみどころがないような本。
(もはや、これが狙いなのかもしれない)

一文一文のイメージを頭に描きながら進めていくと,その展開はまさに諸行無常といった様子で、音楽のようにコード進行が個別にあるが繋げてみると気持ちいいみたいな感覚だ。

この本を始めに手に取った際には、チベット仏教の修行を行った著者の体験談のドキュメンタリーかと思っていたのだが、どうやら、そう捉えるのではなく、つまり、チベット仏教の体験を説明する本というよりも、文学として、芸術作品として、鑑賞する感覚の方が合っているのだと感じる。

このような本を書ける人が今現在どれほどいるだろうか?私自身、最近の小説などは明らかに語彙が簡潔になってきており、いや寧ろ、私を含め多くの人の鑑賞眼が無いのかもしれない。そのため、西洋的に、民主的に、売れる本を出そうとすればするほど、大衆にウケるように最適化されて、簡潔な表現にせざるを得ないのかもしれない。
AI、LLMが進めばこのような簡潔な大衆にウケる表現は高速で人が描くよりも早く大量に生成される。それでは、人が描く表現の価値が生まれない気がする。今こそ、改めてこのような本を読み、表現はもっと自由でいいのだと見直したい。

この本も一因となって、当時巻き起こしたチベット仏教のブームの一部はオウム真理教といった暴徒化、テロ化につながってしまったのは残念だが、現在はその経験があるからこそ、同じ過ちを犯さずに、この本を楽しむことができるのではないかと思う。

まだ一度さらっと読んだ程度で、解像度は低く、その真意が私の中に描けるほどの理解になっていないのが悔やまれる。
何度か読んで、シニフィエを描くのが良さそうだ。

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